エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

「自ら証明している」(マタイ23:31)

2010-08-31 | マタイによる福音書
 次の呪いの理由は「預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ」(マタイ23:29)ときました。
 ルカにも同様の記事がありますが、別に記述されたものと見なされます。マタイのほうが話としても長くできています。ルカよりもマタイのほうが、この話の実情を詳しく理解していたために、記事も丁寧に書くことができたのかもしれません。
 石灰の墓の話が出たところで、その墓からの連想なのか、過去の預言者について言及されたのでしょう。預言者や義人の墓や祈念碑を、律法学者やファリサイ派の人々が立てて飾るということが挙げられます。
 ここは現代の私たちにとっても、含蓄深い内容のように見えます。
 ユダヤ人たちは、預言者たちの墓を建て、義人の祈念碑を築きます。そして、かつて迫害された彼らの死のことを思うとき、さも自己弁護するかのように、言うのです。自分だったら、そんな預言者を殺すことなど、しなかっただろう、と。けれども、イエスはそこを斬り込みます。この斬り込み方は、語弊があるかもしれませんが、爽快です。私も大賛成の論理です。「こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している」(マタイ23:31)と、イエスが言ったのです。
 どうして、これが証明したことになるのでしょうか。マタイは何も説明していません。説明せずとも分かる、という故でしょう。本当に分かるのでしょうか。今でも読者はこれを、「確かにそうだ」と肯いて読んでくれるのでしょうか。
 彼らは、墓を建て、祈念碑を築くことで、それが非業の死であったと感じていることになります。また、自分だったらそんなことはしなかった、と口にするのは、それが罪であることを認識していることになります。
 それだけでは分かりにくいでしょうか。
 太平洋戦争の結果、日本に原子爆弾が投下されました。あるいは、特攻と賞する自爆攻撃で、優秀な若者が次々と死んでいきました。原爆の碑が建てられています。特攻を称え立派だったと涙ぐむ人々がいます。原爆のモニュメントは、もちろん市民も協力しています。しかし、建設者は公共団体あるいはその長というのが一般です。そのような公共団体は、戦争で人々を死に追いやった側にあるのではないでしょうか。特攻を好んで取り上げて美化しているのは、特攻をした側ではなくて、特攻をさせた側にいる立場の人々ではないでしょうか。そして今のその知事などは口にするのです。私だったら、こんなことを若者にさせなかった、と。
 実は、その当人こそが、再び戦争をけしかけるような言動を繰り返しているのではありませんか。断固たる平和主義ではなく、日本は強くなければならない、もっと軍隊を強くすべきだ、と主張する当人が、特攻を美化しているのではないでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「白く塗った墓」(マタイ23:27) | トップ | 「蛇よ、蝮の子らよ」(マタイ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

マタイによる福音書」カテゴリの最新記事