それはまた、マタイ教団の運命をも示唆していることでした。マタイ教団は、もはやユダヤの地域に戻ることができなくなっていたのです。ユダヤの伝統的律法主義を大切なものとして掲げなければならないにしても、それを元のユダヤに持ち帰ることは、二重の意味でできなくなっていました。ローマ軍に神殿が荒らされもはや立ち入ることもできないほう゛の崩壊し尽くしてしまったこと、そして、当のユダヤ教自らが、マタイたちを迫害し追いかけ回していることです。そんなユダヤ教ではない、ファリサイ派が掲げる教えではない、新しいこのイエスの教えに集まる集団こそが、真に神のことを教え、神の心を実現する、天の国の実現のための道であると確信したマタイ並びにその周囲の者たちが、この福音書をまとめ、人々にその正当性を訴えかけているわけです。