エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

自分を救えないからこそ

2016-09-16 | メッセージ
ヨハネ5:1-9


カナから再びエルサレムへ。ユダヤ人の祭りの故でした。ヨハネ伝でのイエス、三度にわたりエルサレムを訪ねたことが記されています。他の福音書はそのような煩わしさを考慮せず、ただ一度エルサレムに一直線に、とくにルカはその歩みを読者に印象づける描き方をしていますが、これを以て、イエスがエルサレムを訪ねた回数をとやかく議論することは、聖書のメッセージを見失うことにもなりかねません。私たちも、幾度か東京に行ったことを、ひとつひとつ回数を記すことはしないでしょう。

ベトザタの池はヘブライ語で呼ばれていたままに記録しています。癒しに関する伝説があり、そこには癒されたい思いの人が多く集まっていたことが、ヨハネらしく詳細に説明されています。ただし、後世の書き加えであるという理解が通例なされており、初期のものにない説明があるといいます。だとしても主旨が変わるわけではありません。水が動くときに最初に水に入った者に癒しの恵みが与えられるという伝説を信じ、人々は我先にと水の動くのを見守っていました。こうなると競争です。癒されるためには、他人を押しのけて自分が一番になる必要があります。でも、これほどに必死なのです。

38年間病気に喘いでいた人がいました。イエスはその人に近づきます。病人に近づいたり触ったりするのは、知られているように、ユダヤの律法では汚れの規定にひっかかってくるものですが、イエスは近づき、時にその身に触れます。この感覚を私たちは見落としてはなりません。ただここでは、「良くなりたいか」と声をかけます。なりたいに決まっているではありませんか。そのためにここにいるのですから。だが、改めてその意志を確認するという目的はあるかもしれません。

この人は、自分で自分を救うことができない人の姿を現しているように、私は読みました。たとえ天使の力によるとはいえ、自分で水に飛び込み自分を癒すことの実現に至る人は、自分で自分を救うタイプの人です。ファリサイ派のように、律法を自ら守ることで神に救われるのだとそれでも受身に捉えている人々もこれに含まれることでしょう。しかしこの人は、自分で動けないのです。他の人が次々と飛び込み癒されるのを見ても、自分では何ともできないのです。誰か他人の力に頼らなければ、自分を救うことができません。これこそ、真の人間の姿ではありますまいか。

誰も私を助けてくれないのです。この人はイエスに応えました。人間に頼っても無力だと知っています。ではなぜそれでもここにいるのでしょう。癒されたいからです。人にはできないが、神にはできる、その祈りが積み重ねられた38年間ではなかったでしょうか。40年になるともう完全に病の世界に引き込まれて抜け出せなくなるという数字なのかもしれません。そこより5%だけ手前で、この人はイエスに出合いました。神ならば、イエスが神であるならば、自分を救ってくれるかもしれない。いや、もう神に頼るしかない。その思いで涙していたのではないかと思うのです。

「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」とイエスはことばをかけます。それだけです。イエスのことばが、この人の人生に介入したのです。しかも、それは「起き上がりなさい」ということばの中に、眠りからの目覚めや、死の眠りからの覚醒をもニュアンスとして含む呼びかけでありました。あなたは、これまでの絶望とやるせなさの夜から、いま目覚めるのだ。寝たきりの貧しいその寝床はもう必要がなくなった。いまや自分本来の人生をここから始めることができる。あなたの道を歩き始めよ。イエスのことばに使われている語は、このようなニュアンスを含むと考えることができる語です。

この力あることばが、いまもなお私たちに届き、はたらきます。イエスの十字架と復活は、罪からの赦しであるとともに、このようにイエスが地上でなさったことや、投げかけたことばが、いまも同じように生きはたらいているのだということの証しにもなりました。故人の遺した名言ではない、この癒しも奇蹟も、すべて歴史の中でいつでもありうることだとするのです。それを体験したクリスチャンは、それが本当のことでこの身に起こったのだ、と証言するように呼び出されている者たちなのです。
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2 コメント

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頷かされました。 (さとうまさこ)
2016-09-16 18:25:49
なるほど、そのとおりですね。
だから、今でも癒していただけると、改めて思います。
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ありがとうございます (いまここに)
2016-09-17 00:42:08
さとうさん、コメントをありがとうございます。なにかしら一筋の光を運ぶことができたなら、幸いです。どうぞこれからも、神からの光が歩みを照らし続けてくださいますように。
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