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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

教会内での悪への態度

2025-08-21 | メッセージ
ペトロ一3:8-12 
 
「最後に言います」と宣言した割には、ここからまだ後半が始まるという感じで、それなりの長さが控えていることになります。しかも本人は「短い手紙を書」(5:12)いた、というように言っています。「最後に」というよりは、大切なことを告げるような気持ちだったのではないでしょうか。それは「皆思いを一つに」することのようです。
 
「同情」だの「きょうだいを愛し、憐れみ深く、謙虚で」あれだの、教会を一つの心でまとめることの現れのようなものである、と言えるでしょう。ただ、そこへ「悪」の問題が入ってきます。悪を被ったらどうするか。「あなたがたを試みるために降りかかる火のような試練」(4:12)があります。迫害があったに違いありません。
 
けれども「裁きが神の家から始まる時が来た」(4:17)という認識があります。するとこの流れを考えるに、教会の内で悪い言葉の応酬があることについての戒めであるように聞こえてこないでしょうか。何かしら悪い言葉、侮辱の言葉がぶつけられています。しかし憐れみ深く謙虚さを以て対せよ、というのが、手紙から受ける命令になります。


争いの発端が生じてしまうことそのものを止めることは、完全には不可能であっても、その発端をエスカレートさせないようにしたいものです。ブレーキをかける術については心得ておいた方がいいし、そうすると争いが進展しないことになります。「かえって祝福しなさい」とは、なんと平和な、おとなの応対でありましょう。
 
詩編34編から、平和のメッセージが引用されます。「悪から離れ、善を行え/平和を求め、これを追え」とは、対句としてもリズムがいいものです。そこに「正しい者」がいることになります。そして主は、その人を見ます。その人の祈りを聞きます。もし悪に対してそういう態度をとるならば、神が味方をしてくれるといいます。
 
神が悪を仕掛ける者を裁くことでしょう。いかにも単純ですが、ここから私たちは学ばなければなりません。人が、自分の力で問題を解決しようと躍起になる必要はないのです。人が自分でなんとかしようともがくとき、事態をよけいに悪化させます。人による解決は無力です。本当に悪い者には、主がきつい裁きの顔をそちらに向けてくれることでしょう。

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広島の日に神の声を聞こう

2025-08-06 | メッセージ
詩編85:1-14 
 
「主なる神が何を語られるかを聞こう。/主は平和を語られる」。聖書は神の言葉です。そう受け止めている者が、キリスト者です。さらにこの詩編は、旧約聖書と私たちが呼ぶもののひとつです。ユダヤ教文化もこれをどう尊重しており、ひとつの神の言葉だと見ていると思います。その文化の中心であるイスラエルにも、この平和が語られています。
 
今日、広島は原爆投下から80年を数えます。ちょうど「平和宣言」が告げられています。世界の為政者へと問いかける、広島市長の言葉でした。「ヒロシマの心」を感じてほしいという訴えでした。ノーベル平和賞に値するものと世界のブレインが、昨年日本原水爆被害者団体協議会を認めました。今、平和記念式典が行われているのです。
 
人間の良心が放つ、精一杯の声が、子どもたちを通しても伝えられました。ところで神の力は、人間を遥かに超えているのではなかったでしょうか。人の心を打つこれらの式典の言葉よりも、神の言葉の方が無力に過ぎぬ、ということがあり得るのでしょうか。しかし世界にこの神の声は響きません。いえ、キリスト者の魂にも響いているのか疑われます。
 
コラの子たちの詩だといいます。神の怒りを喜びへと変えてくださることを願っています。民が「愚かさに戻らないように」を主が語る平和の言葉を、私たちキリスト者は救いとして受け容れています。それは「慈しみとまことは出会い/義と平和が口づけする」という姿でした。そして「義は主の前を進み/主の歩まれる道を備える」と結ばれました。
 
私たちは問われています。いったい本当にこの主を信じているのか、と。確かに人間は、平和の実現へと努めることを止めてはなりません。しかし、聖書を神の言葉と信じていると口にする私たちが、いつしか神のもたらす平和について、現実味のないものだと軽んじていやしないか、吟味すべきです。主なる神が何を語られるか、聞かねばなりません。




主なる神が何を語られるかを聞こう。
主は平和を語られる
その民に、忠実な人たちに。
彼らが愚かさに戻らないように。(詩編85:9)

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ギデオン◆4

2025-08-01 | メッセージ
 ここに、そうでない弱気な一人の男がいた。からだはとうに成人の体格になっていたが、精神的にはまだ大人になりきれていない、若者だった。厚い胸板をもち、頭一つ人々より出るほどのなりをしていながらも、孤独で、いつもうつむくようにして生きていた。
 男は、ミディアン人がいつ襲ってくるかと怯えながら、小麦を打つのにどこに隠れて打とうかと思案していた。なにしろ穀物をどうかしているというのがミディアン人の目に触れると、すぐに襲ってくる。あれだ、と岩を穿ったところに造られたぶどう酒のための酒槽に小麦を持ち込んで、男は小麦を打っていた。
 そんな男を周囲の者は、臆病だと笑った。
「ギデオンが、また隠れて仕事をしている」
「いもしない怪物に震えているのか。ミディアン人なんて、めったに来るものじゃないよ。その証拠に、去年も一昨年も、来なかったじゃないか」
「まったくだ。次は、天が落ちてこないかと心配するんじゃないか」
 ギデオンは、なんとでも言え、と思った。
『きっと今に、またあの蛮族が来る。そのときは、外に置いた食糧という食糧が、すべて奪われてしまうのだ。こうして山に隠しておきさえすれば、見つけられずにすむかもしれない』
 ギデオンは、父ヨアシュの所有するテレビンの木をちらりと見た。丘の中腹に立つ木は、人の背の三倍余りもあり、平原からも目についた。その木を目印として、この洞穴へたどり着くことができる。だが知らない者が木のもとへ来たとしても、この洞穴のことは見えにくい角度にある。
 父ヨアシュの属するアビエゼル族は、伝統あるマナセの中の一家系である。ギデオンは、父親にそのことを誇りに思うようにと度々言われてきた。しかしギデオンは、父の語ることと父の行うこととの食い違いに悩んでいた。父の名は、『主が与える』という意味にもつほどにイスラエル的な名前であり、そのようなイスラエルの神、主についての話を小さいころからギデオンに何度も聞かせてくれた。にもかかわらず、父ヨアシュ自身は、家の自分の祭壇で、バアルを祀っているのを知っていたからである。バアル用の祭壇には、アシェラ像もあった。こちらは裸の女の形をした像なので、ギデオンは、物心ついてそれを見たとき、恥ずかしさを感じたのを覚えていた。どちらもカナン人にとっては普通の神像であり、どこにでもあるものだが、ギデオンはあくまでもイスラエル人であったし、耳で聞く話とそこにある祭壇とがまったく違うので、戸惑ったらしい。なにしろイスラエルの神は、あらゆる形ある像を嫌うのだという。
 その日、すべてが動き始めた。
 仕事に疲れたギデオンが、またふと外を見ると、あのテレビンの木のふもとに、誰か人がいるのが分かった。ギデオンは一瞬緊張した。見慣れぬ姿は、もしかするとミディアン人かもしれない。もしそうだったら、ここで自分は殺されてしまうかもしれない。
 ギデオンは手を止めた。腰はもう、洞窟の奥の方へ逃げていた。物音を、できるたけたててはならないと自分に戒めると、よけいに暗がりでつまずきそうになった。再び振り向くと、もうそこに人の姿はなかった。どこかへ去ったのか、それとも別の道からここへ近づいてくるのか、分からない。緊張した面持ちでギデオンは立ち尽くしていた。
「勇士よ」
 やや高い男のような声が、頭の中に響いてきた。ギデオンの心臓は拍動を盛んにし、それから顔の血が引いた。
「勇士よ。恐れることはない。主が、そなたとともにおられる」
 不思議な響き方だった。空気を通して伝わってきた音なのか、それとも心の中から聞こえる声なのか、判然としなかった。いや、そこまで考慮する余裕すらすでにない。
 ギデオンの緊張は極度に達した。ただ、死を前に覚悟してのそれとは異なる性質のものだった。なんだか暖かい空気が漂うような感触がして、その声とその内容に、いくらかの信用を寄せることができたのは、奇蹟だった。奇蹟、それはまさに神の領域である。人のとやかく言うことではない。だから、そうと決まればむしろ腰が据わる。
「主の言葉を携えて、そなたのもとに下った。主の言葉を聞くがよい。主は、そなたとともにおられる」
「ほんとうに、主ですか」とギデオンは恐る恐る尋ねた。「アブラハムに幾度となく御声をかけ、モーセに呼びかけてイスラエルをエジプトから導き出した、あの主なる神が、この私にも御声をかけてくださったというのですか」
「そうだ」
 声の主は、洞窟の入口のところから深く入ろうとはしなかった。ただ、ギデオンは光の加減で判然とはしないものの、その主が白く輝いているように見えた。また、半透明なふうにも感じられた。とすれば、それはまさしく主の御使いであろう。神は、自ら姿を現されることはなく、人に出会うときには御使いを遣わして言葉をかけるといわれている。逆に言えば、人間は神の姿を見たとすれば、命を取られるものと伝えられている。ギデオンは、それがイスラエルの神、主からのものであることを認めた。が、それならそれで、尋ねたいことがある。おそらく誠実な人間ならば、誰でも一度は神に訊いてみたいこと……。しかしこんなことを神に申し上げてよいものかどうか、気弱なギデオンならばもっと怯えるべきだったことだろう。それでも、どんな理由からか、彼は御使いに堂々と尋ねた。勢いなのか、それともギデオンの中の精一杯の勇気からか、彼は御使いに向かって尋ねた。
「わたしの主よ。それではお尋ねいたします。主なる神が、私たちとともにいらっしゃるというのならば、なぜ……どうしてこのようなことが私たちの身に降りかかることになったのですか」
 相手は黙っていた。ギデオンは、言葉を制されることがなかったのを知って、さらに続けてよいと判断した。いや、自分の中にあふれる熱情が、堰を切ったようにこぼれた。
「主は、イスラエルの民を、エジプトから導き上られました。私も聞いております。『主は、我々をエジプトから連れ出された』と、代々伝えられてきました。あの驚くべき御業は、今どうなっているのですか。主よ、イスラエルはミディアン人に、ひどい目に遭わされております。主は私たちを見放してしまわれたのでしょうか。もう、ミディアン人の虐げに屈し、このまま滅んでいかなければならないのでしょうか……」
 一瞬の沈黙の後、御使いの声は今度は低い威厳のある声となって、ギデオンに向かって一直線に飛んできた。
「おまえの持つその力をもって、立ち上がるがよい。そなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる力をもっている。そのために、すべてのイスラエルの民から選ばれた。このわたし、主が、おまえを遣わすのではないか」
 ギデオンは思わずのけぞりそうになりながら、その言葉を受け止めた。しかしあまりにも突然に、そして意外な御言葉。頭の中にがんがん鳴るばかりで、冷静に受け止める余地がない。
「私の主よ。どうかお願いいたします」とギデオンは切実に訴えた。「イスラエルを救うなど、そんな大それたことは私にはできません。私の一族アビエゼルなど、マナセの中でも最も貧弱なものではありませんか。それに、私ギデオンは、家族の中でさえ最も小さな弱い者ではありませんか。私に何ができましょう」
「わたしがおまえとともにいる」と主の声は返された。「おまえは、ミディアン人を打ち倒す。あたかも一人の人間を打ち倒すように、軽々と打ち倒すことができる」
「なんと……」
 ギデオンは戸惑った。と同時に、だんだんその気になっていったのも、不思議なことだが事実である。主の言葉を真っ向から否定してよいはずはない、ということは分かっていた。それでも、どうしても自分にそんなにも重大な何かができるなどとは、とうてい信じられるものではなかった。
「主よ。もしも主の目に適うことでありましたら、ひとつ『しるし』を示していただければ、と願います。たしかに主が私にお告げになっているという『しるし』を、ぜひとも教えてください。……そうだ。どうか、ここでお待ちください。供え物を用意して、私が再びここへ戻ってきますので、それまでここでお待ちください。御前に供えさせていただきとうございます」
「よろしい。おまえがここに戻ってくるまで、ここにいよう」
 しかしその御使いの姿は、そのとき見えなくなった。ギデオンは、夢から醒めたように、洞窟から外に一歩出た。今ここに、御使いがいた。その地に立つと、不思議な気がした。が同時に、御使いが立っていたのはここではない、という気もした。ギデオンは、やはりあれはたんなる夢であるとは思わなかった。たとえ夢であったとしても、主が示した夢の大切さは、昔の話でよく聞いている。ヤコブやヨセフには、主は夢で大切なことを知らせた。もし今のが夢だとしても、自分は自分の言葉に誠実に従うべきだ。ギデオンは直ちに家に戻り、供え物の準備をした。
 ただちに子山羊一匹と、麦粉一エファから酵母を入れないパンを準備した。それくらいの準備を、旅人のためにすぐに用意することができないでは、この地で生活する権利すらない。旅人は最大の敬意ともてなしをもって迎える。それが暗黙のルールである。旅人の安全のためには、娘でさえ売り飛ばす覚悟ができているのでなければ、この土地で生きる価値かない。ギデオンは、籠に肉を入れた。肉汁は壺に集めた。急いでいるつもりだったが、焦れば焦るほど、思うように手が動かなかった。かなりの時間が過ぎていた。
 洞穴に戻ろうとすると、まだあのテレビンの木の下に、白く輝くその御使いが座っているのが見えた。人の形をしているが、顔ははっきりと見えない。神々しくて、まともに見ることができない。さきほども、あんなに輝いていただろうか。夢中でいたそのときの姿が、どうしても記憶から出てこない。ギデオンは、神の顔を見た者は死ぬ、という言い伝えを再び思い出した。目は伏せるようにしながら、その御使いのもとに、ゆっくりと罪を悔いるかのごとく近づいていった。
「お待たせしました」
 ギデオンが子山羊の肉とパンを差し出すと、御使いは手にした杖を動かして命じた。
「その籠と壺とを、そこの岩の上に置きなさい」
 ギデオンは、言われた通りにした。
「それから、肉汁を肉の上にかけなさい」
 ギデオンはその通りにした。
 御使いは、杖の先を差し伸べて、肉とパンに触れた。すると、岩から強い火が起こった。黄色いような、赤いような炎が見えた。あっと驚く間もないくらいにその火は燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。
 一瞬、視界が赤く、それから白く変わった。それは感じた。だが、その後ギデオンは辺りを見ることができなくなった。
 何が起こったのか。省みるゆとりもない。
 やがて……音も光もない時間を経験すると、しだいに視力が回復した。しかし、もうそこにあの御使いを認めることはできなくなっていた。   (続く)

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ギデオン◆3

2025-07-30 | メッセージ
 その昔、イスラエルがまだ部族ごとにばらばらに散らばっていたころのこと。
 イスラエルの民が、カナンの地に来た。エジプトから渡ってきた。古くは、メソポタミア地方にいた民族だともいう。いずれにしても、本来自分の歴史を土地の中にもっているのではなく、遊牧を主として生活していたようでもある。そのイスラエル民族が、ヨルダン川の東の側から侵入して、いくつかの町を攻め取り、瞬く間にカナンの地に住みついた。カナン人にとってイスラエル民族は、明らかに面白くない存在だった。まさしくそれは侵略者であった。
 戦闘の武器を見るかぎり、かの民族はそう進んだ軍隊ではなかった。どちらかといえば野蛮で、青銅の斧や槍を振り回して、集団で襲ってくる。カナンの住民の持つ、鎌状の鉄の太刀のほうがはるかに強く、洗練されたデザインをもっているのだが、攻撃の勢いは残念ながらイスラエル民族にあった。彼らの結束が堅いのは事実だった。リーダーの一声で、命も顧みず一気に攻めてくるのは、何か神懸かり的な感じがした。実際、彼らは彼らの名の下に結束してかかってきた。いなごのように激しく攻めてきては、めぼしい食料や備品を襲い、海の民の手を経て手に入れた高価な壺や飾りも、乱暴に奪い去った。それどころか、女も奪っては、連れ去ることもあった。
 だが、それに屈するばかりがカナンの民ではない。あのエバルの山を越えたところにあるの平原の地は、豊かな実りをもたらす土地である。そこをただ奪い取られて黙って見ているわけにはいかない。カナンの勇士は戦いにおいて逃げるような真似はしなかった。ちょうどミディアン人の隊商が通りかかったので、彼らもカナンの兵士とともに戦ってくれた。そのころは、ミディアン人たちはカナン人にとって隣人であったのだ。
 そうでなくてもこのシケムの町は、イスラエルの民の中心地として栄え、しばしばこの町も争いのまっただ中に置かれることが多かった。古い時代から、元いたヒビ人との間に一悶着あった。イスラエルの、民族としての歴史は、ヤコブという人間に始まるといわれているが、そのヤコブの娘のディナがシケムの若者に襲われたことがあったそうだ。その若者は若者なりに、ディナを愛していたらしい。だがディナの兄のシメオンとレビは、どうしても許せなかった。うまく口車に乗せてシケムの男たちを動けないようにし、一網打尽に撃ち殺してしまった。かの若者は、たしかにディナを手込めにしたものの、ディナを真剣に愛しており、ちゃんと正式に出向いて、ディナを娶ってイスラエルの民と姻戚関係を結びたい、と申し出たのに、だ。
 かの哀れな若者は、名をシケムといった。それでイスラエル民族は、自分たちが敵を滅ぼしたことを勲章にするべく、その名前を町の名に付けた。
 カナンの地に侵入したイスラエル民族は、ヨシュアという若者が率いていた。この若者には、勇気と知恵があったのはもちろんだが、やはりイスラエルの神を信じる心が備わっていた。それは、民族を一つにまとめるのにも役立っていた。
 ヨシュアは、このシケムが、彼らの散らばった地域全体の中心ほどに位置することを利用して、たとえば民族の結集のための集会をシケムで開くなどして、拠点とした。そのヨシュアが最晩年にしたことだが、このシケムに民族を集結させて、堅い結束を誓わせたという。イスラエルを導いてきた主なる神に仕えて、民族としてのアイデンティティを保つように……そう言い遺して、この世を去った。
 イスラエルの民は地域全体に広がっていった。もはや一人の王のもとで統一するということは不可能だった。ただ、何かあると結束することができるように、共通の神を主と定めて、ただそれを崇め祀るように、その一人の神のもとに民族も一つになるように、とヨシュアは言いたかったのだろう。
 だが、ヨシュアの直接の後継者の時代まではまだよかったにしても、その次の代になると、イスラエルの結束はもはや怪しくなった。この土地で生まれこの土地で育った者たちは、ちゃんとこの土地に染まっていく。
 イスラエルの民も馬鹿ではない。この世は自分たちだけで生きているのではないと知ることは、知恵さえあれば誰でも気がつくことだ。もともとその地に住むカナンの民を駆逐するようなことはしなかった。アジることの好きな政治屋はよくいうことだが、イスラエルの過激派の中にも、カナンのどこそこの町の民を皆殺しにしたなどとオーバーに叫ぶ者がいる。もちろんそのようなはずはなく、イスラエルの民を邪魔することがないかぎり、この土地に住み続けることは認められてきた。いや、それは当然のことだ。この土地のことを一番よく知っており、この土地での生産力を支えている勢力を虐げたところで、よいことは何ひとつない。
 カナンの血をひく住民もまた、イスラエルの為政者たちに逆らわない形で、こっそりとイスラエルを支配するような巻き返しの方策を考えていた。
 その一つが、宗教だ。
 イスラエル人たちは独特の宗教をもっていた。主と呼ぶ特殊な神を崇め、その名の下に結束して力を一つにするようだった。
 だが、カナンにはカナンの神がある。この土地を豊かに実らせるバアルの神だ。そもそもここからメソポタミアに至る広い地域で祀られてきた、雨を降らし五穀豊穣を保証し、軍神として雷をも支配する神である。この土地にはこの神がいた。
 イスラエル人とて、権力者でなく庶民は、しょせん大地の実りを願う善良な老若男女である。バアル神の魅力に取り憑かれる者が続出した。政治的にイスラエルに支配されていたとしても、カナンの血をひく者は精神的にイスラエルを支配することができる。それが知恵であり、世に生きるための力である。
 ところが、イスラエルの神である主は、そのように民族の心が離れていくのが我慢ならなかったらしい。ここにギデオンという男を通して、イスラエル民族の結束を再び固めていくようにし向けていくことになる。
 今から四十年あまり前、この辺りはミディアン人の略奪に悩んでいた。
 そう言うと、イスラエルの歴史を知る者は首を傾げる。かつてエジプトで殺人を犯したモーセが逃れてミディアン人にかくまわれ、そこで妻を得てやがてイスラエルの民をエジプトから脱出させたことからしても、ミディアン人は友人であるというほうが当然である。だが、時代は変遷する。イスラエルとミディアンとはすっかり遠く離れてしまい、別々の歩みを営んでいる。その間、ミディアン人たちはイスラエルにとって恐ろしい敵に変わってしまった。
 とにかく獰猛で、ありとあらゆる作物や家畜を奪い去っていく。これまは、イスラエル人ばかりでなく、カナン人も困り果てていた。多少の自衛を施してみるものの、まったく役に立たない。相手は、もともと動き回る民であるゆえ移動には慣れている。天幕持参でどこにでも根を下ろし、またさっさと逃げていく。砂漠でもどこでも、らくだを使って自由に走り来る。ときに南部に住むアマレク人を仲間に引き入れて、定住する民を誰でも襲う。まるでいなごの大群のように、襲った後には何も残さない。ヒツジもウシもロバも、根こそぎ奪い去ってしまう。イスラエル人も、自分の命を守るだけで精一杯だった。そこらの山の洞窟に逃げ込み、身を隠す。要塞に立てこもったりするものの、財産を手放さなくて済むことは考えられなかった。
 こういう目に遭うとき、人はどうするか。神を呼ぶのだ。それは、イスラエルの神でったか。いや。イスラエル人たちはすでに、たいていは神と言えばカナンの神バアルを思い浮かべるようになっていた。カナン人とともに、バアルの像に向かって懸命に手を合わせていた。
 ところが、そこへ預言者と呼ばれる男が突然現れた。
 らくだの毛衣を着て、野蜜やいなごでかろうじて生きているなどと噂された、痩せぎすの男。髭と髪で元の顔がどのようなものだったか、誰にも分からなくなっていたが、それでも語る言葉ははっきりしていた。
「イスラエルの神、主はこう言われる」と預言者は神の言葉を代弁した。「わたしはエジプトからおまえたちを導き上り、奴隷の家からここまで連れてきた。いや、エジプトからというばかりではない。あらゆる虐げる者、あらゆる敵からおまえたちをことごとく守り、群がる敵を追い払い、乳と蜜の流れる地をおまえたちの住む土地として提供した。わたしが、おまえたちの神、主である。カナン人がいる土地に暮らしたとしても、カナン人たちの神を拝んではならない、と常々告げておいたではないか。あれほど、たびたびこのことは告げておいたではないか。だが、おまえたちは、わたしの声に聞き従わなかった」
 イスラエル人にしてみれば、どきりとするお告げだったことだろう。なにしろ、先祖代々の掟のようなものをつきつけられたのだから。新しいものがすべてよいなどという間違った教育をされた民族なら別だが、その点イスラエル民族はまだ健全だった。イスラエルがイスラエルであるゆえんともいえるその主という神の言葉が、魂のどこかによみがえり、生き働こうとしていた。もちろん、古ければそれでよいという理屈もないだろうが。
 ところで彼らはこのシケムのある一帯を、エフライムと呼んでいる。同じ名を持つ部族に因んでのことらしい。このエフライムとともに、ミディアン人たちにもっとも攻撃されたのが、マナセと呼ばれる部族の地域だった。なにしろ広大なイズレエルの平原は、地域最大の穀倉地帯。その名は、神が種を蒔くという意味をもつ。そのように、大地はつねに緑で覆われ、豊かな穀物を産する。四季の花も咲き乱れ、じつに美しい平原だ。しかしミディアン人たちにとっては、襲うべき土地を見渡せる点でも都合がよい。
 マナセ族の土地にあるオフラと呼ばれるその町もまた、ミディアン人に襲われたことが何度もあった。そんなとき人々は、山辺の洞窟に隠れて、嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。ミディアン人たちは、作物を根こそぎ抜いて持ち去り、あらゆる家畜を奪い去った。ロバさえ食い散らかしていくほどの野蛮な様子を示した。そのたびに町は滅亡寸前まで至った。が、たくましくも残った人間が、新しく町を再興していく。このようなことを繰り返すのが人間の歴史というものだ。
 昔ミディアン人に誘拐されたイスラエルの子どもが成長し、今ではミディアン部隊の先頭に立って掠奪をはたらいているという例もあったらしい。そうなると、しばらくして再びミディアン部隊が掠奪にきたとき、実の子どもに教われるという悲劇も生じたかもしれない。
 ただ、掠奪隊は、たまたまここ数年、南へ活動の舞台を移動していたゆえに、オフラの町は比較的平穏な数年を過ごした。人々はけっしてその恐ろしさを忘れてはいなかったが、平和が少しでも続いていると、このまま世界は平穏無事なまま過ぎていくと錯覚する者が必ず現れる。いや、多くの者が思う。昨日までそんなことは起こらなかった。だから、今日も明日もそんなことは起こるはずがない、と。   (続く)

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ギデオン◆2

2025-07-29 | メッセージ
 町は慌ただしくなった。こうなれば騎虎の勢い、ガアルとしてもその気になり、町の中から集められた勇士に一人一人会って、小隊をもたせるなどの組織作りに余念がない。町の中では、アビメレクへの反感の空気がどんどん濃くなっていく。
 そうなれば、アビメレクから派遣されていた長官のゼブルにも、その空気が伝わらないはずはない。だが、長老たちがすでにゼブルの身辺を包囲している。人質とまではなりえないが、ともかくうまくいけばアビメレク側の情報を聞き出せる重要人物。取り扱いは慎重にしなければならない。
「ゼブルよ。あなたがアビメレクの僕としての地位を放棄するならば、けっして損はしないようなさせますがね」とゼブルに近しい長老が話しかけた。「つまり、われわれに味方するならば、悪いようにはしないということですが」
「何度同じことを言わせればよいのか。私はアビメレク様によってこのシケムの長官として任命された身。ただそれだけの人間だ。遣わした王に背を向けるわけにはいかない」
 ゼブルは毅然として答えた。
「なるほど、ご立派なことで。ですが、それは同時に、あなたの命を縮めることになるかもしれませんよ」
「もとより承知だ」
「ただでさえ、周りの山を封鎖して、アビメレクの手の者が一人たりともこの町に足を踏み入れることができないようにしてあるんです。つまりは、あなたは孤立しているんですよ。そこのところをもう一度よく考えてみることですな」
「何度も考えている。殺すなら殺したらどうだ」
「まあ、それはお楽しみとしてとっておくことにいたしましょう。それより、アビメレクの母親の実家の者は、この奥の間にまだいるのですか」
「さあ……もしそうだとしたら?」とゼブルは口元を上げてにらみ返した。
「もちろんアビメレクの母親はもういないにしても、その子孫が長官の家でぬくぬくと暮らしているというのは、今も続いているわけですよね」
「王に仕える者にとり、それは名誉なことだ」
「いかにも。アビメレクの側に立つ人間は、しかしこの町にはほかには見あたらないのですね。さぞ寂しく思われることでしょう」
「寂しくなどない。イスラエルの王は、同胞を見過ごしたりはしない。同胞の意識はことさらに強いのだ。われわれの窮地に対しては、ふさわしい助け手を送り込んでくれるに決まっている」
「幸運を祈りましょう」
 しぶといゼブルに、担当の長老も嫌気がさしてきた。強情なこの派遣長官は、そう簡単に寝返ってくれそうにない。だがともかく、このことは長老会議に報告しなければならない。すまなさそうな顔で、ゼブルの様子を伝えると、仲間たちは、それは仕方がないことだろう、と言って慰めた。
 最長老は、とにかく明日が勝負だと最期にすべてのカナンの重要人物たちに告げ知らせた。
 その長老は、この会議の後、久しぶりに息子の家に立ち寄ることにした。シケムの外れの要塞の様子を検分した後、具体的な指揮はもう若手に任せ、その晩はゆっくり休もうとしたのである。
 さすがの長老も、いくぶん落ち着かない風体を示す。じっと座っておられず、裏の林をぐるぐる歩いたり、隣のヒツジの数を何度も数えたりしている。もういい壮年となった息子が、イライラしないように、とその父に言うと、私はイライラしてなどいない、と苛立たしそうに叫んだ。
 老人が一人で奥の部屋にいると、孫のヤビアが無邪気にやってきた。しばらく外で遊んでいたらしい。
「町が騒がしいようだけど、何かあったのですか」
 ヤビアは、もうおとなに匹敵するほどの体格をしているが、いまだ知識と経験は豊富でない。どこかまだ幼い表情を見せることがある。小さいころ、しばらく預かったことがあり、長老にもよくなついていた。そんなヤビアを、老人はとくに可愛がっていた。
「なに。シケムの町が救われる時が近づいているのだよ」と老人は言った。
「どういうこと?」
「ついにこのシケムが、イスラエル人の傲慢な王の支配から逃れるときがきた、ということだよ」
「……よく分かりません」
「戦いがあるのだ。明日にでも戦いが始まり、アビメレクを叩きつぶすのだ。アビメレクさえ死ねば、こっちのものだ。シケムが、ついにイスラエル人から解放される」
「アビメレクとは誰のことなんですか」とヤビアは老人を見上げた。
「おまえはそんなことも知らないのか。父親は今日まで何を教えてきたのだろうかね、まったく」と老人は驚きを隠しきれずに答えた。「まあいい。アビメレクか。アビメレクというのは、このシケムの支配者だ。つまり乱暴なあのイスラエル人たちの支配者のことだ。このシケム出身で、最初は歓迎された。だが、結局のところここで生まれた、というだけだった。それ以上この町のためによいことは何一つしなかった。アビメレクはやはりカナン人ではない。シケムで生まれたし、母親はカナン人ではあるが、しょせんイスラエル人だ。イスラエルの指導者となって、シケムを食いつぶそうとしている。先代の王ギデオンとは違って、尊大な男だ。その父親は、イスラエル人だが、こいつはなかなか立派だった。勇敢さの中にどこか奥ゆかしさのようなものもあっ。だが、息子のアビメレクはいかん。残酷なだけだ」
「残酷なんですか」
「何をしたと思う?」と老人は眉をひそめた。「自分の兄弟たちを殺したのだ」
「え……」と孫は言って怯えた。
「七十人だ。兄弟七十人を刃にかけたのだ」と老人は空しさと怒りとが混じったような息で呟いた。「いくら野蛮なイスラエル人とはいえ、それはあんまりのことだ。カナンの歴史にも、そのようなすさまじく醜い出来事はなかった」
「恐いことですね。昔のことなの?」
「三年前、ほんの三年前のことだ。おまえはそのころのことを覚えてはいないのか」
「覚えていません」
「まったく、子どもはそこらを走っていればいいだけだという、最近の教育もどうかしている。こんな恐ろしいこと、人間なら誰でも考えなければならないことは、親がちゃんと教えてやるべきだ。私が一緒に暮らしていたら、教えてやっていたものを」
 長老は呟いた。この十年というもの、孫とは別に生活していなければならなかった。ときに会えばヤビアは甘えた。幼いころに味方となった者は、ずっと味方でありうる。しかし、長老は忙しかった。ことにアビメレクの問題が起こりかけてからは、ここにはまったく寄ることがてきなかった。それだけシケムにとって長老は、必要な知恵者であった。さまざまな相談や祀り事に招かれてばかりいて、この孫ヤビアと接する時間もろくにとれなかった。
「その殺された兄弟たちという中には、子どももいたの?」
「いた……悲しいことだが、いた……いたが、子どもが一人、助かった」
「ほんと?」
「ヨタムという男の子だけは、かろうじて逃れて生き延びた。小さいから、別のところで遊んでいたらしかった。ところがこのヨタムには、なかなかの知恵があった。神の力を宿していたのだと聞いている。アビメレクのもとを逃れた後、あのゲリジム山に登って、このシケムに向かって大声で呼ばわった」
 そう言って老人は南に立つ山を指さした。そこから叫んだとなると、この町全体に響き渡ったことだろう。
「『アビメレクを王としたのは、間違っている。父ギデオンは命を懸けて、シケムの人々のためにも、ミディアン人を追い払った。けれどもギデオンは、王位に立って支配者として優越感に浸ることはしなかった。しかしアビメレクは、自ら王になりたいがために兄弟たちを殺戮した。ただそれだけのために。そして、こんなアビメレクを喜んで迎えたシケムの人々を、自分は憎む』と……」
 長老は、言葉を止めた。
「シケムを憎んだんですか」
「ああ、そうだ。このシケムもまた、そのヨタムによってしっかり呪われておる」
「でも、シケムは今はアビメレクに反対する立場なんですよね」
「そうだ」
「じゃあ、ヨタムも許してくれるんではないでしょうか」
「さあ、どうだか」と老人はため息をついた。「シケムだけじゃない。今では、おまえのおじさんの住むテベツの町も、アビメレクには敵意を見せている。シケムほどではないかもしれないがな」
 生ぬるい風が吹いた。夜になるにはまだ間がある。
「ぜひ聞かせてください。そのアビメレクという男の話を。そして、そのヨタムという子が、どうしてそのような呪いの言葉を吐くようになったのか……ヨタムの父親のギデオンとい人は、どんな人だったのですか」
 ヤビアは、とくにそのヨタムという逃れた子どもの話に関心を寄せた。もっとそのことについて詳しく聞きたい、と祖父に求めた。
「そうか。では、少しまわりくどくなるが、イスラエル民族がそもそもこのカナンの地にやってきたころのことから話そう」
 長老は岩に腰を下ろしたまま、杖に両手をかけて話を始めた。   (続く)

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ギデオン◆1

2025-07-28 | メッセージ
【夏休み特別企画】本日から3週間ほど、小説「ギデオン」をお届けします。
 
 
「アビメレク? さあ。聞いたこともないな」
 大柄なその男は、地元カナン産の上等なぶどう酒を豪快に呷った。
「この一帯を、むりやり支配したつもりになっている、身の程知らずの新参者なんですよ。それがまた、自分では何もできないくせに、他人をうまく巻き込んで、指図を下すだけ何です。それで自分の兄弟七十人を殺して、父親の築いた地位を自分一人のものにしてしまったんですから」
「なんだと?」と大男は杯を止め、鋭い眼差しを酒宴の主に向けた。「自分の兄弟七十人を殺した?」
「そうなんです」
「そんなひどいことをしたのか、そのアビメレクという男は。……許せん」
 ガアルは立ち上がり、横のよく似た男の肩に手を当てて叫んだ。
「おれは、この弟アランをはじめ、自分の血のつながった兄弟はおろか、おれに忠誠を誓った仲間のことを、けっして裏切りはしない。神に与えられた血族を粗末にする人間は、必ず天罰が下ると教えられているし、実際その通りだ。そのアビメレクとかいう男は、人間として最低の奴だ。くずだ。カスだ。目の前にもしも今そいつがいたら、おれは即座に叩き殺してやるところだ」
「私どもも、そうしたいところでございます」とシケムの指導者の一人が、うなずきながら答えた。「そこでとりあえず、このシケムの町にアビメレクが入ってくることができないように、町の周囲の山々に、関所を設けました。ご存知の通り、この町は盆地にあります。敵は山を越えて侵入しなければなりません。しかし、山の頂に見張りを常備すれば、敵が来たときにすぐ発見できるというわけです」
「うむ。分かる。おれもここを通りかかるとき、危うくその関所で痛めつけられるところだった」とガアルは髭を撫でながら言った。「それにしても、その関所で待ち伏せる者たちは、言ってはなんだが、なかなかの猛者たちだったな」
「いえいえ。ガアル様には敵いません。ほんと、見ればすぐに分かります。ミディアン人を一網打尽にしたという先ほどの話だけでも、それが分かります」
「なあに、あのときは運も味方したがな。強い雨が、奴らのらくだの足下をすっかり乱してしまってな」
「運もまた、戦いには必要なことでございます」
 ガアルとその一行は、数十人の、いかにも野蛮そうな男たちだった。ときに盗賊のように、ときに英雄のように振る舞いながら、広い地域に名を馳せていた。このたび、このカナンの地の中央のシケムの町の近くをたまたま通りかかったところ、シケムの見張りの目に留まり、さっそく指導者のもとに導かれたというわけだ。アビメレクという難敵に対する戦い手として、有用と見なされたのである。
「だがおれは、奴隷の出身だ。そんなおれは、これまでどの町に顔を見せても煙たがられてきた。山賊として追い払われたこともある」
「なんという失敬な。わがシケムは、そのような野蛮な仕打ちはいたしません。ただ、できればこの町のために、一肌脱いでいただければ、と……」
「ということはつまり、そのアビメレクという男を仕留めればよいのだな。なんの、たやすいことだ」
「ガアル様なら、難なくできますことでしょう」
「アビメレクが何者だというのか。兄弟殺しの、のぼせ上がり者ではないか。伝統あるシケムの町が、そのような男に制圧されてはならんだろう。シケムといえば、昔ハモルが築いた由緒ある町。その子シケムの名を取って、町の名としたのではなかったか。どうしてアビメレクとかいうやくざに支配されてなるものか」
 シケムの長老たちは、その様子を黙って見つめていた。
 シケムには、シケムの事情がある。
 このシケムの町は、イスラエルの民が侵入してきて以来、すっかり変わってしまった。
 古くからこの地域に暮らす住民には、旧来の伝統的な生活があった。海外から豊富な原材料がもたらされるのを利用して、さまざまな工芸品が発達した。美しい幾何学模様の器や、エジプトの紅玉を使った装飾品は、目を見張るものがあった。ブロンズ製のバアル神像はいたるところに祀られ、大地の恵みを求める人々の願いを集めていた。
 だが、イスラエルとかいう民族がヨルダン川を越えて襲い、勝手に町を築き始めたころから、様子がおかしくなった。この地でヨシュアというリーダーがイスラエル民族の結束を図る集会を開き、この町は犯罪者をかくまう町として定められた。イスラエル民族は、小さなグループごとに別々の土地で別々の自治を展開し、ときおり全体に影響を与える指導者が登場していたが、三年前にアビメレクという男がシケムの支配者だと勝手に宣言してきた。その父親ギデオンは、略奪を繰り返すミディアン人たちをこの地域から追い払うという、シケムのカナン人にとっても悪くない仕事をしてくれたが、その息子たるアビメレクは期待を裏切った。いや、ここシケムでは、カナン出身のイスラエル人ということで、カナンの住民は最初彼を歓迎した。アビメレクは、ここシケムに住む女がギデオンに見いだされ、宿した子どもであって、立派なシケム町民なのだった。シケムでは彼を讚え、王位に即くことを歓迎した。だが、生まれながらにして指導者の子という立場にあったアビメレクには、父親のような謙遜さがなかった。このカナンの地で盛大な戴冠式をしたものの、すぐに思い上がって、自分の思いつくままの税や兵役を要求し、カナン人の誇りを踏みにじる真似をした。
 さて、宴席ですっかりいい気分になったガアルたちだったが、もう身も心もカナン人になりきった様子であった。
「アビメレクはもともとこのカナン人だというのか。違うだろう。そいつはやはりイスラエル人だ。カナンの血は混じっているかもしれないが、そんな同胞意識は一切捨ててしまったほうがいい。戦いに情けは無用だ。アビメレクは敵だ。敵だ、敵だ」
「さっそく、ガアル様の力を思う存分発揮させてくださいませ」
「よし」とガアルはうなずくと、側の有力者に小声で告げた。「このシケムには、軍隊はどのくらいあるか。明日、明後日にでも軍を増強して用意するがいい。おれが指揮を執り、例のアビメレクとかいう奴の息の根を止めに、出かけるとしよう」
「ぶどう酒をさらにもってくるように!」とホストが叫んだ。「今夜はこのガアル様に、とことん飲んでいただきなさい。まちがってもエジプトのビールなどを出してはいけない。ぶどう酒だ。シケム名産の、上等のぶどう酒だ」
 酒宴はその晩、いつまでも続いた。シケムの長老たちは、このガアルという風来坊の顔を、表向きは微笑みながらも、運命を任せるに値する男かどうか、鋭い目つきでにらんでいた。
 翌日早く、シケムの長老たちは、顔を付き合わせて相談した。
「あのガアルという男の腕は確かなのか」
「確かだ。ミディアン人を追い払ったのは、シケムの複数の人間が目撃している」
「関所であのヘマンがねじふせられたというのはほんとうなんだな」
「ほんとうだ。ヘマン自身、そう言っている」
「ヘマンの怪力が通じないという話は、たしかにこの町では聞いたことがないが……」
「つまり、今シケムにいる人間の中では、ガアルが一番強いことはまちがいがない……」
「まちがいがない」
「奴隷の生まれだというのが気になるが」
「気にする必要はない。かえって、知恵が足らない分、その馬鹿力を利用することができるかもしれない。へたに賢い男だと、後に権力を狙ってくる可能性がある」
 シケムの町に、緊張感が漂い始めた。いつ、どんな形でアビメレクに対する反乱の炎が燃え上がるか、誰にも予想はつかなかった。さしあたり、アビメレクを倒しに出陣するというのではない。アビメレクがこの町に攻めてきたおりには、この町をアビメレクから守り通そうというものである。
「だが、あのゼブルがどう出るか、が問題だな」
 一人が呟くように言うと、数人の輪の中に、張りつめた空気が漂った。
「ゼブルか……」
「当然、このガアルのことは、近い将来必ずゼブルの耳に入ることになる」
「アビメレクに通知されると、まずいのではないか」
「いやいや」と、一番風格のある長老が低い声で落ち着いて言った。「知らせることはできんだろう。いくらアビメレクが遣わした長官だとはいえ、このシケムの中で暮らすゼブルだ。おいそれと伝令を出させるようなへまは、われわれはなすまいて」
「包囲網は完璧ですからね」
「そうだ。それより、今日中に常備軍はおろか、一般の中からも勇士を募って、明日にでもアビメレクへの攻撃をかけていったほうがいい。アビメレクのほうでもどこからか聞きつけて、軍を増強しないともかぎらない」
「善は急げだ」   (続く)


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剣のない世を民は望みつつ

2025-07-26 | メッセージ
イザヤ2:1-4 
 
「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻」(1:1)である、とイザヤ書の冒頭に掲げられるのは分かりますが、2章にもまた改めて、「アモツの子イザヤがユダとエルサレムについて、幻に示された言葉」である、という説明を以て始めるというのは、珍しいような気がします。というより、不必要です。では、何故繰り返されたのか。
 
1章と2章が独立していたからだ、と考えるのが自然でしょう。1章では、ユダの罪が中心に記されています。但しそれで裁かれて終わり、というのではありません。「あなたがたの罪がたとえ緋のようでも/雪のように白くなる。/たとえ紅のように赤くても/羊毛のように白くなる」というように、清められるという約束があるのです。
 
尤も、それは「立ち帰る者たち」(1:27)のことです。一方2章では、「終わりの日」に、「主の家の山」が「高くそびえる」姿を描きます。そして国々の多くの民がそこへ流れてくるというのです。その山、「神の家に登ろう」と集まってきます。「主はその道を私たちに示してくださる」からです。「私たちはその道を歩もう」と異邦人たちが歌います。
 
この山から、教えが出て来ます。正に私たちはこの役割を担っています。「多くの民」の一人として、後の時代に私はこうして主の家へと登っています。「さあ、主の光の中を歩もう」と呼びかけていますが、それは誰なのでしょうか。そこへ呼ばれた私なのでしょうか。個人としてのイザヤなのか。純粋にそれは主の言葉であり、主の声であるのか。
 
私はどれも重なっていると見ます。国々を裁くのは、確かに主です。それさえ定かであればよいでしょう。主の許に集まる私たちは、多くの民のうちの一部ですが、さて、何を求められているというのでしょうか。ここで、有名な句が与えられます。「彼らはその剣を鋤に/その槍を鎌に打ち直す」というのですが、さらに続きます。
 
「国は国に向かって剣を上げず/もはや戦いを学ぶことはない」とあるために、ある団体は、武道の授業をすべて拒否するように教えています。それは余りに偏狭ではないでしょうか。きっと豚肉もイカやタコも食べないと教えているのでしょう。とはいえ、剣のない世の中をは、やはり人の手によってはできないものなのでしょうか。




多くの民は来て言う。
「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう。
主はその道を私たちに示してくださる。
私たちはその道を歩もう」と。
教えはシオンから
主の言葉はエルサレムから出るからだ。(イザヤ2:3)

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贖いの背後に偶像を見る

2025-07-24 | メッセージ
イザヤ44:21-23 
 
偶像というものに対して、揶揄とも言える形で、その無力であることをさんざん言い尽くした後、「ヤコブよ」「イスラエルよ」と呼びかけます。かの偶像と対照的に、あなたはどうするのか、と問うようですが、その内容は「思い起こせ」というものでした。イザヤの口を通して、主なる神が語りかけるのですが、「あなたは私の僕」と聞こえました。
 
この「あなたは私の僕」は繰り返されます。主があなたを創ったのだ。主はあなたを忘れることがありません。このことを「あなたは私に忘れられることはない」と、主語をイスラエルにして述べます。ここまでが21節。続く22節は、「私」という言い方で、「主」が主体となります。主は「あなたの背きの罪を」「かき消した」と告げます。
 
イスラエルもまた、偶像を拝していたのです。一部でたいそう敬虔に主を崇めていたグループもあったには違いないのですが、民の多くが背反していました。それはしばしば指導者の故でした。列王記には、善い王も描かれていますが、偶像崇拝に浸っていた王の名も散見されます。しかし今や「私があなたを贖った」のでした。ビッグニュースです。
 
もう買い取ったから心配するな、と言います。もう片付いた。さあ「私に立ち帰れ」と呼びます。両手を拡げて迎え入れるような光景が目に浮かびます。23節では、天や地の底、山々に木々に、立て続けに命じています。表現はいろいろ変えていても、「喜べ」というのが、その命令です。否、誘っている、と行った方がよいかもしれません。
 
「主がヤコブを贖い/イスラエルの中に栄光を現されるからだ」と結んでいますが、「あなたを贖った」ことが、喜びの根拠であることが分かります。「イスラエルよ」「主なる私は」「誰も皆喜べ」と、一節ずつ視点を換えながら、イザヤは、偶像に跪くことから離れることの幸いを、恰もライトで照らし出すように、ここで示しています。




私はあなたの背きの罪を雲のように
罪を霧のようにかき消した。
私に立ち帰れ。私があなたを贖ったからだ。(イザヤ44:22)

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大水の上に響き続ける声

2025-07-22 | メッセージ
詩編29:1-11 
 
大水というモチーフがあります。乾燥するイメージは、乾季の存在からくるのでしょうか。まとまった雨の降る雨季になると、乾燥した土地に水がしみこまず、そのまま洪水のようになって強い流れになる、と聞いたことがあります。雨量がさほど多くなくても、恐ろしいことになります。でも主は、地のこうした水よりも遥か上におられます。
 
人の世の大水を超えて、主は王として座しています。このシチュエーションで、この詩が全編にわたり響かせているのは、主の「声」です。「声」そのものは、文字では伝わりません。たとえ耳で聞くにしても、その声そのものを他の人に伝えることはできないのです。今でこそ録音機器やウェブ環境でできても、聖書の時代には無理なことです。
 
それでなのか、「声」そのものについての考察は、そう多くありません。クリスチャンのある声の研究家が、イエスが福音書に記されたような話を、どのような声効果で話していたのか、考察したものがありました。サウロの回心のときに響いた、雷のような音が、当人にとってはイエスからの語りかけだった、ということも思い起こします。
 
ダビデはここで、主の「音」とは言わずに「声」だと表現しました。大水の上に、主の声はあります。力と輝きを以て主の声は届きます。杉の木を砕き土地を踊らせる声です。炎をひらめかせ荒野をもだえさせる声です。森を裸にすらすると言います。この主の声に対して、人はどう応えましょう。「主の宮では、すべてのものが/「栄光あれ」と言う。」
 
人は神に「栄光」の言葉を以て返すしかありません。それはどのような声でしょう。水の上に響き続けるその声を、今私たちは聞いているはずです。それは外から聞こえます。どのような声であるかは分かりません。轟くような声なのか、「かすかにささやく声」(列王記上19:12)なのか。その声が力を与え、祝福してくださるように、と詩人は祈ります。




主の声は大水の上にあり
栄光の神は雷鳴をとどろかせる。
主は荒ぶる大水の上におられる。(詩編29:3)

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どの地を受け継ぐというのか

2025-07-20 | メッセージ
詩編37:23-40 
 
「正しき者」と「悪しき者」が、こんなに簡単に区別されて良いのかどうか、私には分かりません。蝶の雌雄は人目には区別がつきませんが、蝶本人には極めて明らかであるのと同様に、神の目にはその区別がはっきりしているのでしょう。「人の歩みは主によって確かなものとされ」るというから、主の側にある者はすっかり安心できることでしょう。
 
「倒れても、打ち捨てられることはない。/主がその手を支えてくださる」ことを信じて、「地を受け継ぎ/いつまでもその地に住む」ことを願い、期待しましょう。「神の律法」がその心にあるならば、「その歩みが揺らぐことはない」というのです。確かに、悪しき者が待ち伏せし、正しき者を陥れようとすることはあるでしょう。
 
しかし、主にある者は「主に望みを置き/その道を守れ」との指示に従います。旧約の世界では「地を受け継ぐ」と言いますが、新約ではそうではないと考える人がいます。しかし「へりくだった人々は、幸いである/その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5:5)と、イエス自ら山上の説教の初めに宣言していました。これを否むことはできないでしょう。
 
「地」とは何でしょうか。神の国のことであってもよいのではないでしょうか。「天の国はその人たちのものである」(マタイ5:3,10)というように、「幸い」ということに挟まれていたこととが、指し示されることの根本ではないでしょうか。「後の繁栄は平和の人にある」のであって、「全き人」「まっすぐな人」でありたいものです。
 
でもそれは、人自身の力によって達成されるものではありません。「正しき者の救いは主から来る」のです。救うのは主です。苦難の中にあろうとも、主は「助け、救い出してくださる」のです。主に逃れるならば、必ず助けてくださいます。それが信仰です。しかしこの世では、そうはならないように見えることが、当たり前のようにあります。
 
現実に、善人に見える人が不幸な死を迎えるのを見ます。悪辣な者がはびこり、権力を用いて好き勝手をするようなこともあります。旧約の救いでは、そのための慰めが十分であるとは言えないように思います。イエスは「神の国」を説きました。神の国という「地」を約束するような救いが必要でした。神の国に住まわされる幸を思います。




正しき者は地を受け継ぎ
いつまでもその地に住む。(詩編37:29)

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