JAWAみんなの声

JAWAグループ職員、約500人の看護師、介護職員、保育士が、書き綴っていくブログです。

鎮魂と復興への祈りをこめて

2012年03月11日 09時08分54秒 | 役員 ブログ

 代表の土井です。いつもJAWAのみんなの声を応援していただきありがとうございます。

 さて、今日は東日本大震災からちょうど1年となる日であります。この未曾有の震災により大変多くの方が亡くなり、多くの方が被災をして今なお元の生活に戻ることができない人々がたくさんいる状況を大変に遺憾に思います。

 あの日、私も千葉県のJR稲毛駅前のターミナルにいました。長い地震でした。途中で柵に掴まらないと立っていられないほどの揺れでした。目の前の大きな駅舎そのもの全体が揺れているのが見えます。そのうちにあちこち女性たちの叫び声、まさに阿鼻叫喚でした。私は、揺れの長さ、留まることを知らずどんどん揺れが増幅していくの感じながら、これはいよいよい関東大震災が来たのかと思いました。この日、たまたま家族が入院をして、その病院に向かう途中でした。その病院の送迎バスが地震直後到着、中ではラジオのニュースが車内スピーカーで放送されていました。震源は宮城沖、さらには大津波警報も発令されていました。あの揺れの震源が宮城沖!ことの重大さに驚愕しました。

 病院に着きますとテレビのモニターで様子が映ってます。近くの市原ではもうコンビナートの火災が起こっていました。テレビでは段々と津波の様子が映し出されます。まるで映画を見るように沖から大きな波が三重になって押し寄せてくるのが見えます。地表では、まるで床にこぼれたバケツ水が広がるような光景が見えます。高い空からの中継は自然の怖ろしさを無表情に捉えています。私たちはただ呆然とテレビの画面を眺めているしかありませんでした。

 東北被災地の皆さんは、目の前の現実として大変な恐怖を感じられたことと思います。そしておそらくは大切な家族、友人、知人の方を亡くされた方もたくさんおられることと思います。さらには、今だ行方不明の方も大勢おられると聞いております。

 今日はここに亡くなられた方々の冥福と鎮魂を祈りたいと思います。また今だ被災して復興の道半ばの状況ですが、被災者の皆さんにはどうか震災の恐怖を癒され、さらに復興へ向けて頑張っていただきたいと深く願っております。

 私たちJAWAグループは、及ばずながら少しでも被災地のお役に立つべく何かできないかと取り組んできました。

 まず震災直後に現地の様子を視察、4月には4人の職員を現地に派遣して支援活動を行ないました。ご本人たちの要請により3人の方がさらさ横手に避難されました(このうち2名の方が、永住の地として希望され、さらさ道後に移られました)。7月には石巻の仮設住宅に住まいされる高齢者の方に車椅子を寄付いたしました。9月と10月にJAWAの副代表が陸前高田市にガレキ処理のボランティア活動を行ないました。また同じく10月よりさらさ横手で復興コンサートに協賛を致しましたのと共に職員、ご利用者皆で参加もいたしました。

 まだまだ微力でどれほどのお役にも立ったという程度ではありませんが、私どもは、それでもできる限りの応援をこれからも続けていきたいと考えています。今年もガレキ処理のボランティア活動をメンバーを広げつつ行なっていきたいと考えます。またJAWAグループの施設に入居または避難を希望される被災された高齢者の方の受け入れは引き続き行なっていく考えです。そして少しでも皆さんの希望の力につなげていきたい思いから復興コンサートの協賛も行なっていきたいです。

 午後には地震発生の時間が来ます。改めて鎮魂の祈りを捧げ、被災された皆さんへは勇気と希望を持たれることを祈りたいと思います。

 東北被災地の皆さん、頑張りましょう。


39 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さやか 稲地)
2012-03-11 12:42:26
お疲れ様です
早くも一年ですね。。。
ご家族を亡くされた被災者の皆さんのお気持ちを思うと、胸が痛みます
復興も、心の傷が癒えるにも、まだまだ時間が必要かと思いますが、どうか皆さん、一歩ずつ前を向いて 少しでも皆さんの笑顔が取り戻せますように。。。
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Unknown (さやか 山田浩司)
2012-03-11 12:52:48
お疲れ様です
震災から もう一年が経つのですね
ニュースを見る度、胸が痛みます
何のお役にもたてませんが
一日も早い復興と、亡くなられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます
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Unknown (のりか 藤田)
2012-03-11 15:43:37
お疲れさまです。
新聞やテレビで震災のニュースを見る度、胸が痛み何も出来ないもどかしさを感じる一年でした。
被災者の方々が、一日も早く元の生活に戻れるよう願っています。そして亡くなられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
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Unknown (のりか 上田)
2012-03-11 16:02:42
お疲れ様です。
震災からもう一年が経つのですね。
震災のニュースを見るたびに胸が痛み、涙がでました。

一日でも早い復興、そして亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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Unknown (さやか 脇)
2012-03-11 17:28:02
お疲れ様です。

今日は、さやかでも追悼のテレビ番組を利用者さんと見させて頂き地震のあった14時46分に黙とうさせて頂きました。

震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
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Unknown (ももか 職員一同)
2012-03-11 17:54:58
ももかでも、黙祷をさせて頂きました。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。

まだまだ辛い生活を強いられている方々のお姿を拝見していると胸が痛みますが、

わたしたちに出来る事、少しでも復興へのお手伝いをさせていただければと思います。


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自分にできること (副代表 南川彰宏)
2012-03-11 19:10:52
今日の読売新聞の編集手帳に次のような文章がありました。

「使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れるという。流れない「時」もある。雪のように降り積もる。
〈時計の針が前にすすむと「時間」になります。後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。

私も全くの同感です。最近も被災地に訪問する機会がありました。そのとき見た光景は一年経った「あの震災」ではなく、「この震災」そのものでした。あちこちにあるガレキの山は震災当初、訪問した時と何ら変わっていません。編集手帳の記事も言及していましたが、みんなで手分けして処理をするしかない。反対する人は、これを見てもガレキの受け入れを反対できるのだろうかと思いました。
私自身も、昨年は何度かガレキ処理に行きましたが、いくらやって追いつくものではありません。でも目の前のことをせず、遠く離れた自分たちが大義名分で復興しようと言っても始まりません。まず、目の前のガレキをひとつ片づけるお手伝いから始めたいと思います。土井代表も言っていますが、今年もJAWAとして自分のできることを全力で支援したいと思います。
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Unknown (きらきら保育園 林)
2012-03-11 19:14:40
お疲れ様です。
被災された方々を思いながら、今日1日を過ごしています。14時46分、被災地の復興を祈り、黙祷させて頂きました。胸が張り裂けそうに苦しくなりました。あの日から知らされた様々な出来事や事実。どう生き、過ごすのか。亡くなられた方々への御冥福を心よりお祈りすると共に、今ある…決して「当たり前」ではない日々に感謝しなければなりません。
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Unknown (のりか 河村)
2012-03-11 20:02:32
被災された方々にとって、一日一日が不安と苦しみで長く感じられた一年だったことと思います。
少しでも早く、癒しと安らぎが訪れますように。


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Unknown (さらさ伊達 櫻井)
2012-03-11 20:39:36
お疲れ様です
あの日から一年…当時私は栃木県那須塩原市に住んでいました。あの日も社用車で移動中交差点の信号待ちで停車中震災に会いました。揺れが落ち着いてきたころ向こうに見えていた山から煙が上がりました。栃木県北は建築材の杉も産地です。山から立ち上った煙は杉花粉で翌日以降道路が黄色く色ずくほどでした。震災直後から停電が続き東北被害を目の当たりにしたのは通電した翌日早朝。震災の映像が流れるたび今も涙が溢れます。
みなさんの笑顔が、気持ちの安らぐ日が、少しずつでも増えて行きますように。
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