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長野道が松本から豊科まで延長されたのが1988年だ。
当時は長野県南安曇郡豊科町といって地元に高速道路の豊科インターチェンジが開業したことは大きな経済的にも社会的にも発展のきっかけになった。長野オリンピックが開催されたことは読者の皆さんがご存知のことと思うが、招致活動は1985年ごろから始まっており、豊科から先の長野までの区間ももちろんこれを見越して構想されていたのだろう。幼少のころ、筑北や聖高原を祖父とドライブした際など「大きな橋をつくっているねぇ」とその巨大な建造物を見て驚いていたことが記憶されている。
なにせ、母親が免許を取ったころは長野県内に高速道路なんて来ていなくって、山梨の韮崎までだったそうな(^^)
いまや、長野道は長野を貫き、新潟まで直通しそのプロジェクトは完結している。そんな中、この程のNHK連続テレビ小説「おひさま」で安曇野が舞台になったりと観光地としての安曇野をもっと全面的に出していこうという流れが広まってきた。また、この地域では平成の大合併によって豊科町周辺の町村が2005年に合併し、「安曇野市」となった。 病院や警察署など、多くの施設名が変更され、議論はICの名称変更まで。。。
私としては個人的には「豊科」の二文字を残してほしかった。だが、地元の歴史は動いたのだ。何も遊ぶところもなければ観るものもないが、自然あふれる美味しい空気と水だけが取り柄。県外からも一層多くの支持をもらえるならそれに越したことはない。いい決定であってほしい。
頑張れ!安曇野IC
Top写真>
10/7 6:37歴史が動いた。
10/7 除幕式
高所作業者が使用された。
レーンを規制
スタンバイポジションに入る
さぁ、行くぞ
看板に近づく
剥がしだした。事前に新品にしておいてシールだけ張ってあったのだ。
見えてきたぞ
完成!!!! 多くの報道陣がシャッターを切っていた。
電光掲示板も「安曇野」に変わった。
あーーーー 「豊科」がぁ・・・ 丸められちゃった・。・・
カメラは10台くらい来ていたかな。
あはは、同じ直線状に「安曇野」が3つも見える。
どんだけ好きなの??
10/6 豊科IC 最後の日
一部看板はすでに新しいものに変更されていた。いちよ、小さく豊科と書いてある。
カーナビはすぐ直らないだろうからドライバーはこれで確かめることになるだろう。
常念岳が聳える
シールを貼ってあとは剥がすのみ
八方を望む
広報
最後のゲート
こちらの案内標識は新品
電光掲示板にともる最後の豊科
新品
最後のゲートアウト
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