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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

商売の家系からサラリーマン!

長年、サラリーマン人生を歩んできましたが、思えば、母親の家系ではサラリーマンは少なかった方でした。(^。^)

母親の六人姉妹は、長女から順に、米屋、パン屋、洋裁店(母)、内職、造船会社、製鋼会社、でしたね。(^-^)

子供の頃、うちの母親や姉妹の叔母ちゃんたちが、次女の美智恵伯母さんのことを「パン屋、パン屋」と呼んでいたことが不思議でした。(^_^)

その頃、美智恵伯母ちゃんは、すでにパン屋ではなく、食堂を経営していましたから、「パン屋」という呼び名が結びつかなかったのです。(≧∇≦)

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

そういう我が家も、最初は「おもちゃ屋」、そして「洋裁店」、その店も畳んだあとは、父親はタクシー運転手、母親はパートタイムの掛け持ちでした。m(__)m

馬関が生まれた頃は「おもちゃ屋」でしたから、店先はおもちゃだらけ、、、子供としては、この上ない幸せな環境だったわけです。(^。^)

幼児用の玩具が入荷されると、お母ちゃんがそっと荷を解き、馬関が試食、いや試用すること、しばしばでした。(^-^)

アルバムに残る一枚の写真。

ウルトラ警備隊のヘルメットを被り、光るピストルを手に、新幹線ひかり号に跨る馬関少年、、、おそらく洋服と靴以外は、全部お店の商品だったと思われます。(^_^)

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実は、父方の祖父母が玩具店を営んでいたので、おもちゃ屋は、いわゆる「のれん分け」でした。(^。^)

おばあちゃん宅のおもちゃ屋、すなわち本店の方が構えも大きく、最新鋭のおもちゃがたくさん置いてありました。(^-^)

ある時、馬関はすでに10歳くらいになっていたと思いますが、本店の陳列に飾ってあった話題の「ファミコン」を欲しいと祖母にねだりました。(^_^)

「おばあちゃん、このファミコンちょうだい」

すると、普段は優しく、僕が欲しがるプラモデルを、いつもノールックで渡してくれるおばあちゃんが、、、

「あかん、絶対にあかん!」

と、すげない返事。( ; _ ; )/~~~

聞くと、当時、ファミコンは店に一台しかなく、かわいい孫にも絶対に渡せない貴重な品でした。m(__)m

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激流の昭和の時代において、逞しく商売を続けて来た父母やおばさんたち、、、生きていく糧として、様々なチャレンジをしたのだと思います。(^_^)

サラリーマンでは経験することのない荒波だったと思います。
懸命に商売と向き合った先達に敬礼!!(◎_◎;)

「月給を羨む店も月見かな」 祖谷馬関

(注)月見は秋の季語。仲秋の名月をながめ賞すること。薄を活け、三方に団子や季節のものを供える。月見の宴が催され、主人が客をもてなす。酒食のほか詩歌や謡で興趣を添える。また、松島、姨捨、石山寺など月の名所へ多くの人が足を運ぶ。

コメント一覧

iyabakan2020

コメントありがとうございます。
ひと頃、脱サラが流行りましたが、武士の商法のようで成功例は僅かです。(≧∇≦)
父母も言うに言えぬ商売の苦労があったと思います。そう考えると、サラリーマンは自由こそ劣りますが、出勤する限りはサラリーがあるのですから気楽なものです。(°▽°)
washiy8
「月給を羨む店も月見かな」 

私共も家業は商家でしたので、句の趣意が良く分かりました。

サラリーマンを夫にすれば・・・と良く思ったものでしたよ・・
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