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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

ギター流し、ヤングな北島三郎!

演歌のレジェンド「北島三郎」さんの半生を振り返る特集「歩」の連載が読売新聞で始まりました。(^。^)

今朝はその第一回、、、昭和30年代前半、北島三郎さんのデビューのきっかけについて綴られていました。(^-^)

北島さんの師匠は作曲家の「船村徹」さんだそうです。
船村徹さんといえば、「別れの一本杉」(春日八郎)、「王将」(村田英雄)、「矢切りの渡し」(細川たかし)、「兄弟船」(鳥羽一郎)、「風雪流れ旅」(北島三郎)などの名曲を世に送り出し、2016年には紫綬褒章に輝いた、我が国を代表する作曲家ですよね。(^_^)

その船村徹さんに見出されるまで、北島さんは6年間にわたり「流し」を続けたそうです。(^。^)

「流し」、、、居酒屋やスナックを訪れ、ギターなどの弾き語りで客のリクエストに応えて歌う、そんなスタイルのセミプロ歌手ですね。(^-^)

馬関も、20年以上も昔、大阪は京橋のスナックで、この流しを見聞きしたことがありました。(^_^)

客のリクエストなら何でも弾き語る、、、しかも何も見ずにソラで歌う、、、譜面や歌詞ノートなんかありません。(°▽°)

北島さんも、流しを続けましたが、当時のお代は「3曲100円」だったとか。m(__)m

新婚の所帯を維持するために、毎晩、流しで日銭を稼いだという北島さん、、、当時、一万円の月給が目標だったと綴られていますから、20日間の稼動としても一日500円、つまり15曲は歌わないといけません。( ; _ ; )/~~~

ちょっとしたコンサート、歌謡リサイタルのセットリスト以上の曲数ですよね。(^。^)

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

ほどなく、北島三郎さんは歌手デビューを果たされますが、今なお、当時の流しで経験した「お客さんに喜んでいただくか」、そのためには、「一人一人に歌を届ける気持ちで歌う」ことを大切にされている、とのことでした。(^_^)

「初心忘れるべからず」、今更ながら、身に沁みる言葉です。( ^_^)/~~~

「秋麗や来し方もふと愉楽かな」 祖谷馬関

(注)秋麗(しゅうれい)は秋の季語。「あきうらら」とも読む。秋のよく晴れた日をいう。春の「麗か」にかよう、美しく輝き、心がうっとりするような日和。
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