花街柳巷、、、色町のことを指した言葉ですが、詳しくは、「花街」は花が咲いている町、「柳巷」は柳の木が多くある街路のことで、遊郭には柳の木が多く植えられていたことと、花の美しさを女性にたとえたといわれている、と解説されています。(^。^)
古来、京都には、六つの花街がありましたが、現存しているのは五つで、祇園甲部(井上流、都をどり、温習会、つなぎ団子)、祇園東(藤間流、祇園をどり、つなぎ団子)、先斗町(尾上流、鴨川をどり、水明会、千鳥)、宮川町(若柳流、京おどり、みずゑ会、三ツ輪)、上七軒(花柳流、北野をどり、寿会、五つ団子)です。
あとひとつ、、、今はなき花街として、「島原」があり、当初は二条柳馬場に開かれ,その後六条三筋町に移転し,さらに1641年に現在の地に移されました。
急な移転騒動が,当時の島原の乱に似ていたことから,島原と呼ばれたとも言われています。(^_^)
島原には,揚屋と置屋があり,揚屋は太夫や芸妓などをかかえず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催し、幕末の動乱期には、新選組の若き武士や、薩摩・長州・土佐などの勤王の志士たちも、よく此処に通ったと言われています。( ^_^)/~~~
揚屋であった角屋の建物は,揚屋建築唯一の遺構として,1952年(昭和27年)、国の重要文化財に指定。また,置屋の輪違屋は京都市指定文化財,東の玄関であった島原大門は京都市登録文化財となっています。(^-^)
なかでも、置屋の「輪違屋」は、浅田次郎原作の映画「輪違屋糸里」でも名を馳せましたが、家紋?の二つの輪が互い違いになっており、由来を感じさせますね。(^_^)
今はなき花街、島原の面影を偲びながら、ほろ酔い気分で詠む一句。
「色里や晩秋の風輪違屋」 祖谷馬関