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こころの命ずるままに

心に正直に自分の思ったこと、感じたことを書いていきたい。(希望)

長野の前日

2010年04月20日 23時00分53秒 | Weblog
長野マラソン前日は、雪の影響もほとんど無く受付を早々に済ませると松代へ向かいました。

長野駅前からバスにのり途中八幡原史跡公園を通り30分ぐらいで松代駅に到着しました。
松代は大学生の頃に1度だけ行ったことがあるのですがその当時と比べてかなり整備されているように感じました。松代といえば真田10万石の城下町で幕末の頃に有名な佐久間象山もここの人です。それからもう少しさかのぼると信玄と謙信が戦った川中島の地で重要な拠点だった海津城(松代城)があった場所です。いろいろな時代の歴史があり興味深い街ですが今回一番興味があって行きたかった場所は、太平洋戦争の時代に作られた地下壕でした。





太平洋戦争末期に本土決戦に備えてこの地に巨大地下壕を作り大本営を移動させようとして準備していたそうです。たくさんの人を動員して突貫工事で進めていましたが結局75%できたところで終戦となり中止になりました。その中の象山地下壕の500メートルが整備され見学できるとのことで行ってみました。ヘルメットをかぶって中に入ります。素掘りそのままでところどころ落盤しないように補強がされていました。中をしばらく行くと碁盤の目状にトンネルが張り巡らされていますが見学コース外へは行けないようになってます。総延長で5800メートルもあり、これをダイナマイトを仕掛けて爆破して残土を手作業で取り出して短期間でここまで作ったというのはすごいなあと思いました。入ってみればただのトンネルなのですが。



昔読んだSF小説でこの松代大本営地下壕跡が出てきてずっと印象に残っていました。小説の中ではトンネルが太平洋戦争時代の日本と繋がっていてこのタイムトンネルを通して別世界の日本に現代の武器を送って日本が戦争に勝ってしまうという設定だったように思います。この暗闇の先に広がるトンネルがどこかで別の世界と繋がっているような気さえしてきます。でもこれが正規の目的に使われなくてよかったです。ここに拠って戦うようではほんとに一億総玉砕になりかねませんでした。玉砕といえば映画で有名になった硫黄島の栗林忠道司令官はこの地の出身だそうです。

壕を出ると次は、象山神社へ行きました。佐久間象山の生家(記念碑しかありませんが)の隣にある神社です。佐久間象山は幕末に活躍した人でその教えを請うた一人に坂本龍馬(ときの人)もいました。最後は京都で尊皇攘夷派に暗殺されてしまいますが。。。仁-JINでもおもしろい設定で登場してきました。象山先生は現代では学問の神様として崇拝されています。私もお参りして明日のマラソン完走をお願いしてきました。(分野違いだったかも 笑)
松代駅方面に向かいながら次に真田宝物館に立ち寄っていろいろと展示を見てきました。




そして最後に松城城址に向かいました。松城城の正門だけ復元されていて、お城と言えばちょうど桜が満開できれいでした。本丸跡をぐるりと回って展望台に登って見ると明日走るコースも見え、「よし、明日は絶対に完走するぞ」という思いを強くしました。そうしているうちにあっという間に時間が経ち電車の時間が迫ってきました。1時間1本なので乗り逃すわけには行きません。(笑) ここから長野電鉄屋代線で今日の宿泊地の須坂に向かいます。





  

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