新型コロナの影響でしばらく中断していた出生前診断の議論が、再び動き出した。6月20日、日本産科婦人科学会は「NIPT(新型出生前診診断、無侵襲的出生前遺伝学的検査または母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査」の実施基準を緩和する改定ガイドラインを取り決め厚労省に提出すると発表した。
厚労省では昨年ワーキンググループが立ち上がり、あるべき体制を模索している。 【写真】ダウン症陽性が2回…夫婦でとことん話し合い、「両方の決断」をした家族の姿
出産ジャーナリストの河合蘭さんが、親の声に耳を傾けて綴る連載「出生前診断と母たち」。15回目を迎えるこの連載は、出生前診断の本質を、妊婦の立場から問い続けてきた。 今回は、胎児にダウン症があると知る体験が2回も続き、それぞれに違う道を選び取ったご夫婦に貴重な体験を語っていただいた。
出生前診断への思い
現在5ヵ月の楓季くんを抱く父の貴彦さん 撮影/河合蘭
樋口好美さん・貴彦さん夫婦 は、2人の子どもを育てている。下の楓季(ふうき)くんは生後5ヵ月の男の子で、40歳の高年齢出産だったが、妊娠時から今に至るまで特に何か言われることもなくすくすくと育っている。
一方、3歳になる上の女の子・綺星(きほ)ちゃんは、ダウン症がある。樋口さん夫婦は、妊娠中から、そのことはわかっていた。NIPT(新型出生前診断)と羊水検査を受けてはっきりと告知を受けていたのだが、夫婦は妊娠継続を決めた。
そして実は樋口さんたちには、綺星ちゃんの上に、もうひとり産まなかった子がいた。綺星ちゃんは、好美さんが二度目に妊娠したダウン症児だった。
連続してダウン症の子を授かるという、そんな稀有な経験をした樋口さん夫婦は、出生前診断を受けて産む人の気持ちも、産まない人の気持ちもよくわかるという。 「産むこと、産まないこと、どちらかを人にすすめる気はまったくありません。出生前診断については、これが正しいことであれは正しくないといった話はしてほしくありません」
2度の流産も経験
樋口さんの妊娠ダイアリー 撮影/河合蘭
好美さんは34歳で結婚してすぐに自然妊娠したがこの3人のほかにも二度の流産を体験するなど、楓季くん以外の妊娠はいつも波乱万丈だった。あまりにも大変な妊娠ばかり経験したので、夫の貴彦さんは「楓季が、珍しい子のように感じる」という。
ダウン症は基本的に偶発的なもので、年齢以外になりやすさを左右するファクターはないと考えられている。両親いずれかの21番染色体に「転座(染色体の一部が他の染色体と入れ替わっている)」がある場合はダウン症の子どもが生まれる率がかなり高いが、それは稀なことで、樋口さんの場合、検査をしても転座は見つからなかった。
好美さんは、入籍して「早く子どもがほしいね」と話して避妊をやめたらすぐに第一子を授かった。 それは妊娠11週の時、近所にある小さな個人開業医のクリニックで超音波検査を受けた時のことだった。医師の動きが止まり、同じ場所をずっと見ている。どうしたのだろう、と思っていたら「NT(nuchal translucency 後頚部浮腫)と呼ばれる首の後ろのむくみが厚く、年齢と掛け合わせた表で見ると、染色体異常のある可能性が8分の1ある」と言われた。
予備知識がなかった好美さんは意味がよくわからなかったが、医師がただならぬ雰囲気を醸し出しているので、だんだんに「これは深刻なことだ」ということはわかってきた。
「そのうち『今から、旦那さん、ここに来られる? 』と先生が言い出して、職場にいる夫に電話をした時には、もう、気が動転していました」
夫が来て再び詳しい説明を一緒に聞き、医師が「羊水検査を受けた方がいい」と言っているように聞こえたので、その場で検査の予約をして帰宅した。 (私、妊娠したばかりだよね? 妊娠してすぐにこんな大変な関門があるなんて……) 好美さんは夢でも見ているようだった。
好美さんが、羊水検査ができたのは妊娠16週。5週間も中途半端な状況で待っていたことになる。そして、結果が出た時には、もう妊娠19週になっていた。しっかりとした胎動も感じていた。羊水検査を受けて、検査結果を待っている間に、胎動が始まっていたのだ。
以下はリンクで>