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「闘争の果て」についに手にした「絶対的な権力」と「生涯を共にすることになる側近」達…稀代のカリスマ「アドルフ・ヒトラー」爆誕

2024年08月11日 23時06分48秒 | 歴史的なできごと
>こうしてヒトラーはナチ党の実権を握った。これまでまがりなりにも機能していた党委員会の多数決原則は意味を失い、ナチ党は組織的にも民主主義とは無縁の指導者政党へと変貌した。ヒトラーのナチ党がここから始まった。


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「闘争の果て」についに手にした「絶対的な権力」と「生涯を共にすることになる側近」達…稀代のカリスマ「アドルフ・ヒトラー」爆誕
8/5(月) 7:05配信


現代ビジネス
photo by gettyimages


ヒトラーは、どのようにして大衆の支持を得て独裁者となったのか。安楽死殺害やホロコーストはいかにして行われたのか。ナチ体制は、単なる暴力的な専制統治ではなく、多くの国民を受益者・担い手とする「合意独裁」をめざした。最新研究をふまえて、未曾有の悪夢の時代を描く。


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*本記事は、石田 勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。


4党権力の掌握 七月危機から指導者政党へ
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党の主導権を握るメンバーのひとりだったとはいえ、ヒトラーの党内基盤はまだ弱々しいものだった。一九二一年夏、ヒトラーは党のあり方をめぐって生じた党内対立から、七月危機と呼ばれる苦境に陥る。


実は、ナチ党は、国民社会主義を標榜する唯一の政党ではなかった。ドイツでは「ドイツ社会主義党」と称する、やはりトゥーレ協会の支援を受けた反ユダヤ主義政党がミュンヒェン、ニュルンベルク、ハノーファーなど各地に生まれていたし、オーストリアやチェコスロヴァキアではハプスブルク帝国に起源をもつ「ドイツ国民社会主義労働者党」が活動を続けていた。これらの党はたがいを友党と認識し、連携の動きを強めていた。ドレクスラーもこの動きを支持し、ドイツとオーストリアを跨【また】ぐ国民社会主義諸政党の合同に賛同の意思を示していた。


ヒトラーはこれに反対した。合同すれば、より大きな運動にナチ党が吸収されてしまうからで、そうなればこれまでの努力は水泡に帰する。しかもドイツ社会主義党は選挙に打ってでる方針をとっており、ナチ党が掲げる反議会主義と相容れない。


ヒトラーの抵抗にもかかわらず、ドレクスラーら党委員会は二一年三月、合同を決め、新党の本部をベルリンにおくと表明した。党の組織づくりがうまく進まず、委員会メンバーをすでに辞していたヒトラーだが、この決定に憤慨し、ついに離党を宣言した。


看板弁士を失った党幹部の狼狽は想像に難くないだろう。ヒトラーが党を割って新たな党の樹立に向かうのではないかとの憶測も彼らを不安に陥れた。党幹部の懸命な取りなしに、ヒトラーは復党の条件を次のように記した。


「臨時党大会を(ただちに)開催すること。議題は党委員会の総辞職。新委員会の選出にあたり、私は第一委員長のポストを要求する。それには、党に紛れ込んだ外的要素から党を浄化する行動委員会を招集するための独裁権が付与される」と。


ドレクスラーは、「鉄の指導」を求めるヒトラーにあえなく屈服した。ヒトラーは復党し、七月末の臨時党大会で第一委員長に選出された。そしてヒトラーの手による新たな党規約が承認された。それによってこれまで党委員会の一員に過ぎなかった第一委員長が党委員会から独立したポストとなり、党首として党に関わるすべての決定を下すことができるようになった。党委員会は従来どおり党大会で選出されるが、実質的な権限はないに等しく、権力は第一委員長に集中した。


こうしてヒトラーはナチ党の実権を握った。これまでまがりなりにも機能していた党委員会の多数決原則は意味を失い、ナチ党は組織的にも民主主義とは無縁の指導者政党へと変貌した。ヒトラーのナチ党がここから始まった。


ヒトラーが独裁権を握ったナチ党で、終身名誉委員長に祭り上げられたドレクスラーは、実質的な影響力を失った。党のあり方や路線をめぐってヒトラーと対立した党委員会メンバーは党を去った。


代わって、ヒトラーの側近として、その意を体【てい】して働く者が党の重責を担った。


リスト連隊で同じ釜の飯を食らったマックス・アマン(一八九一~一九五七)はナチ党事務局長に、自らも優れた弁士として知られ、ヒトラーを慕う若きヘルマン・エッサー(一九〇〇~一九八一)は宣伝部長に、ヒトラーに弟子のように接し、幾多の知恵を授けた作家ディートリヒ・エッカート(一八六八~一九二三)は機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』編集長に抜擢された。


忠実な彼らは、指導者政党の原理に従ってヒトラーを絶対の指導者として党内外に押し出していく。これが、ヒトラーがカリスマへの道を歩み出す最初の一歩となった。


さらに連載記事<誰もが知る独裁者「アドルフ・ヒトラー」…「人類史上最悪のジェノサイド」を起こした男の若かりし日々>も、ぜひご覧ください。










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