ニュースなはなし

気になるニュースをとりあげます

ようやく見えてきた、コロナウイルス騒動でも生き残る企業そして個人

2024年07月20日 00時08分49秒 | お金のこと
ようやく見えてきた、コロナウイルス騒動でも生き残る企業そして個人
 
>生き残れる人とは結局、稼げる方法を編み出せる人生の在庫が豊富にあり、きちんと現金を蓄えてきた人なんだと
>手持のおカネがいくらなのかよりも、不安に押しつぶされないように心を健全に保つほうが重要だったりするのでしょう
>生き残るために何が必要か、何をしなければならないか、手持ちの在庫を見ながら必死に考えることができる人が、逆説的に困難な時代を生き抜くのだろうと。
 
いよいよ大変なことになってきました、コロナ騒動による経済低迷。
 
 私のような相場の片隅で棲息しているセミリタイアのところにも、事業不振で大変なことになっている経営者の皆さんからいろんなご相談を頂戴します。
 
【写真】この記事の写真を見る(9枚)
 
 飲食やサービスの仕事をされている方が最初は多かったですが、いまでは普通の事業会社が目の前の仕事が飛んで、年内はおろか夏を迎えられないという悲壮なお話を頂戴することのほうが多くなってしまいました。 いますぐ潰れて欲しいような要望ばかり
 
 もちろん「私のところに来るぐらいなら、さっさと商工中金や政策金融公庫に行け」と申し上げるのですが、ここには落とし穴がありまして、いろんな緊急融資も特別給付も「ちゃんと地方税や社会保険料を納めている会社のみが対象」だったり、雇用調整助成金も1人当たり最高1日8,330円までしか認められないし、そもそも支給が6月だよ、融資決定が来月だよという話になると「いま!! この月末の!!! おカネが!! 足りんのです!!!!」とかいう経営者の皆さんのニーズには合致しないんですよね。

  結果として、最初は「ちょっと時間くれ」だったのが「借りているオフィスについて賃料を免除して欲しい」とか「いま払えないので支払いを7月にしてくれ」などという話とともに「悪いが2,000万貸して」とかいう、月末と言わずいますぐ潰れて欲しいような要望ばかりだったりするのです。
まず身銭を切って生き残ろうという姿勢を
 
 そういう経営者さんたち、皆さん個人的には好きだし交流もあるんですけど、だいたいが「会社のカネで車を買っている」「愛人を子会社の社長にしている」「豪華なオフィスで多くの不要な社員を雇っている」ところばっかなんですよね。

 まずカネを借りに来る前に、事業の中身を見直したり、豪華すぎるオフィスを減床したり、余剰な人員を削減したり、経営者自らが会社にツケた車を売り、愛人からマンションを取り上げ、身銭を切って生き残ろうという姿勢を示さなければならない。自分は資産をため込んでいるくせに、会社にキャッシュがなくなったからといって、銀行や同業者やワイのようなところをアテにして頼みこんでくるというのは間違っていると思うんですよね。

  何より、社員さんの生活が第一であるべきなんですよ。事業を行って利益を出して会社を存続できるのは、何よりも仕事を担当する社員さんがいてこそです。オフィスやベンツや愛人が稼いでくれるわけではない。事業の存続に貢献しない、低空飛行する気球の砂袋をいち早く落とすことができるような、変化に対応できる、決断できる経営者だけが、こういう危機を乗り越えるのです。
 
経営者という人種は、カネがあると浮かれる
 
 でも、残念ながら経営者という人種は、カネがあると浮かれるし、全能感を覚えると銀座やパパ活に入り浸ったり、女子アナと合コンをしたがるのです。いままで我慢して経営してきた人が、いったん軌道に乗るとパッと派手にカネを使いたがる、いい女を求めて彷徨(さまよ)い歩くのは、持って生まれたコンプレックスと欲望の爆発によるものなのでしょうか。

 そういう人たちが目の前の新型コロナの2か月でいきなり経営危機に陥って、阿鼻叫喚となり、カネを貸してくれ、出資してくれと突然連絡を取ってくるのが世の中なのです。私にまで連絡をしてくるということは、他から断られたんだろうなあ、と思うわけでね。

 やはり、「当面のコストはちゃんと絞ってから相談に来て欲しい」というきちんとした再建計画と「いま出資や融資をすればこういう未来がある」という行く末の話をしてくれない限り、銀行はもちろん、友人であったとしても私だって財布のひもは緩まないのです。誰がカネなんか貸すかバーカ。

  そして、働く人たちもここしばらくはサバイバルが求められます。生き残らなければなりません。
 コロナ緊急対策の名のもとに統制された戦時経済へ
 
 どうせ、安倍ちゃんがようやく決めてくれた1人10万円一発ぽっきりじゃ足りませんでした、コロナウイルスによる自粛経済からの回復のスピードが失業拡大に追いつきませんでした、とか言って「現金給付おかわり」や「休業補償の拡大」を求める声はどんどん大きくなると思うんですよ。一家で1人10万円もらったって、それで「ああよかった。これでどうにかなる」と救われる人がいると思いますか。おらんでしょ。しかも、それをやるのに12兆円もかかるんですよ。

 そして、国庫的にはこれらは全部捨て金になる一方、食えない国民からしたら、政府が悪い、どうにかしてよという話になるんですよね。「生活できない」ってのは切実ですし、それが正義ですから、世の中はコロナ緊急対策の名のもとに非常時対応となり、やがて資本主義から統制された戦時経済へと移行していくことになるのです。

  だからこそ、早々に不振が広がる産業については支援の幅を広げて、業界再編のうえで合併させ公的資金を注入して早期に国有化して凌げ、という文字通りの戦時経済になると思います。余裕がなくなりますからね。
 
みんな死にますよね、これ
 
 一番心配しているのは航空業界や輸送・鉄道業界、地元のタクシーやバス会社など、経済の大動脈から毛細血管に至る人流と物流を担う会社。そして、高付加価値産業へとシフトして成功したはずが一気に受注激減して死ぬ思いをしている農業・酪農・養殖などの装置産業化した一次産業、またそういうところに担保をつけて貸し出しを続けてきた地場金融機関です。

 みんな死にますよね、これ。

  当然、地域の金融機関はたくさん死にかねないので、破綻処理に追い込まれる前に信金信組や農協などが地域で合併して、さらにブロックごとに地銀や場合によってはメガバンク系列になるような護送船団的な仕組みを作って、金融円滑化法で検討されたような公的資金の注入ぐらいしかやることはなくなるわけです。
 大波をかぶってなお生き残っているのは……
 
 そして、そこからさらに長期にわたる低迷となって、団塊Jr.と呼ばれた人口のボリュームゾーンの人たちは、就職氷河期とかいう他人事のようなキーワードで正社員となる道を閉ざされます。働き口がなく、生活が安定しないので結婚もままならず、次のベビーブームを起こすことなく、かなりの割合が未婚無職の独居老人となってフローリングのシミとなる最期を迎えかねないのです。

 失われた10年、ネットバブルの崩壊、リーマンショック、東日本大震災、いろいろと転換点となる事件は経験してきたけれども、そういう大波をかぶってなお生き残っている企業も人物も、特徴としては「欲をかきすぎず、ほどほどに頑張り、無難に手元資金を残している人たち」のように思えるんですよ。

 収入となるフローがたとえ半分、いや、仮にゼロになっても、それまで相応な生活で分をわきまえて貯めてきたストックで1年、2年と持ちこたえられる立場の人たち。大多数の日本人が共働きで、子育ても頑張り、介護でも苦労して、歯を食いしばって生きている中で、旅行やコンサートなどのコト消費で派手に浪費せずにそこそこ貯蓄したことで、冬が厳しくても越せる蓄えがあるのです。厳しいようだけど、収入が途絶えて、国家や自治体がどうにか対策を打ってくれるのを待たなければいけない人たちほど、社会に頼りながら社会に対して「対応が遅い」と批判することになるのです。

  ある意味で、イソップ童話『アリとキリギリス』的な側面は仕方がないと思うんですよ。
 
いざ」というときに余裕がないのはお互い様 
 ただ、それまでの経済界も特に、株価を引き上げるためには時価総額経営のなかでもROEの最大化が大事だと力説され、なるだけ会社の中に現金を置いておかず、それらの資産は全部再投資に回し、全力で利益を上げることをもって経営者の力量とされてきました。うっかり余裕のある手元資金があると「モノ言う株主」がやってきて現金を配当で吐き出させられるし、それが上場企業の責任だという風潮もまたありました。

 何より、「いざ」というときに限って、同業者は頼りにならないし、銀行はすぐにはカネを貸してくれないどころか借り換えも難渋するようになるし、取引先も苦しいから一日も早くカネを回収しようとしてきます。それは善悪というより、お互い様なところがあるんですよね。

 今回は「リモートワークにしましょう」「なるだけ出勤しなくても仕事ができるようにしましょう」という方向に経済全体がシフトしても、インフラに携わっている事業者は社員さんたちの出社がなければ仕事ができないし、現場にも人を出さないといけない。生活の現場を守る人こそが、雇用の中で一番大事なのだ、ということに、なかなか気づけないのです。

  また、社員個人個人が付加価値をどれだけ生んでいるのかがリモートワークで分かるようになってしまうと、その会社のジョブフローも仕事の仕組みも変容していき、使えない人、要らない人が炙り出されてしまう。
 危機に直面したいまこのとき、すべきことは
 
 中高年どころか、30代でもパソコンが満足に使えない、自宅にWi-Fi環境も用意していなかったという社員が出ると、業績不振が見込まれる会社は危機対応ができなかったり能力のない社員さんを真っ先に切りに行くわけですよ。どんなに職場では「いい人」でも、リモートワークもありの環境になったら成果があからさまに出て、職場の潤滑油的な人ほど立場がなくなっていきます。必然的に、企業など組織内での働き方は変容せざるを得ないし、容赦なく働く個人に変革を迫ることになります。

 現場に出る仕事でない限り、突き付けられているのは「非常時は誰も助けてくれない」前提で、自分が如何に環境に適応できるよう日々の生活の中で準備をしてきたのか、です。それは生きていくために必要な現金をどのくらい持っていたのかだけでなく、自分のパフォーマンスをこの状況下でも出せる仕事の仕方を整えてきたのかだと思うんです。

  だからこそ、泥棒を見つけてから縄をなうような泥縄の議論をしても仕方がなく、危機に直面したいまこのとき、生き残るためにどういうスキルを自分は持っているのか、それを活かして生活していくためにはどういう行動を取ればいいのか、という「自分の人生の棚卸し」をやらないと駄目なんじゃないでしょうか。
 
容赦なく騒ぐからこそ子どもなのです
 
 生き残れる人とは結局、稼げる方法を編み出せる人生の在庫が豊富にあり、きちんと現金を蓄えてきた人なんだと思います。そうでない人は組織から切られないよう必死に頑張り、あるいは受け入れてくれる先が見つかるまで漂流するしかない。ここまで来ると、いまある手持のおカネがいくらなのかよりも、不安に押しつぶされないように心を健全に保つほうが重要だったりするのでしょう。

 そういう不安が支配する時期をむこうまだ何か月かは過ごすのに、いざ自宅で働くぞとか思い詰めてみると、子どもは家にいるしまったく仕事にならないのもまた事実なんですよね。子どもたちはかわいい。赤ちゃんもかわいい。だが、いま私は仕事に集中したいのだ。声をかけないでおくれ、静かにしててくれと言っても容赦なく騒ぐからこそ子どもなのです。

 富める者も悩める者も、いまは等しく感染症の恐怖に怯え、だいたいみんな自宅におるのです。子どもたちも学校に行かず、オンライン授業やったり家でゴロゴロしているのを見ながら、なんとなく家族が団子になって暮らしているのは、私は心が洗われる思いがします。

 大事なものを守りながら、やはり生き残らないと駄目です。感染症から身を守るだけでなく、経済困難な状況でも自分自身が生き抜くことが何よりも大事です。そして、生き残るために何が必要か、何をしなければならないか、手持ちの在庫を見ながら必死に考えることができる人が、逆説的に困難な時代を生き抜くのだろうと。

  そして、私も4人の子どもたちが寝静まった深夜に、ようやくこの原稿を書いています。次の世代を担う我が子たちに、どんな社会を引き継ぐべきなのか自問自答しながら。
     
山本 一郎
 
 
4/23/2020
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 持ってるだけで死刑の聖書、... | トップ | 宇宙ビジネスの展示会も »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

お金のこと」カテゴリの最新記事