京のにちじょうさはん ごこう

京都在住19年目の浜っ子の日記。其の弐。

祇園祭と荷茶屋 ~小括~

2006年07月17日 | ミーハーがつくる喫茶文化史


到着の遅れていたジャイ子さんも、巡行の最初の頃にはめでたく合流できまして、その後恙無く(といいつつ、警官の制止を無視して河原町通りを横断する観光客に腹を立てつつ)、土砂降りの中の、32基の巡行を見届けました。
今回は、荷茶屋の転用が考えられる「御供車」に注目して、すべて画像におさめてみました。でも荷茶屋のそれとわかるものは、太子山と保昌山のふたつだけでした。
もしかしたら、ほかの山鉾でも、布の下に荷茶屋がかくれているものがあるかもしれません。

さて肝心のYさんのおっしゃっていた荷茶屋の茶振る舞いですが、結局わからずじまいでした。恐らく、大雨のため中止になったものとみられます。次回は確実な情報をお願いしますね、Yさん。

そうそう、河原町商店街の法被を着て短パン・ヒールの高いサンダルといういでたちのお嬢さんがたが、紙コップ入りのお茶を巡行のかたや永楽屋のまえを通る人に配っていましたよ。(もちろん これではないそうです。)

さらにジャイ子さん情報では、数年前の『淡交』か『なごみ』で祇園祭の屏風祭の特集をしていて、その中に「製茶図屏風」があったそうです。でもそれがどこの家のものかまでは記憶してらっしゃらないそうです。この情報も『淡交』などのバックナンバーで検索しておいてくださいね、ジャイ子さん。

という具合に、今回の調査は、ふたつの宿題を残す結果となりました。
ということは、わたくしは、来年の巡行も、ここでみなあかんということ?!!!
う、つらい(涙)。

とにかく、4時間半もの間、立ち続けたおかげで、すっかり足の感覚がおかしくなっていました。それにこの人ごみ、めちゃめちゃ疲れました。
よろよろになったわたくしたちは、永楽屋さんのお二階の喫茶室へと直行しました。
(来年に続く?)

太子山の荷茶屋?

2006年07月17日 | ミーハーがつくる喫茶文化史


町でいまでも江戸時代(19世紀)の木製の荷茶屋をお持ちの、10番・太子山さんの御供車です。
明らかに荷茶屋を意識した形状です。
でも前後がばらばになって、それぞれに車輪がついています。
いまはこの中に粽や椅子を入れています。

祇園祭と荷い茶屋 ~その2~

2006年07月17日 | ミーハーがつくる喫茶文化史


とんでもないほどの「だだぶり」(どしゃぶり)の雨でした。ときどき雷のおまけつきです。お祭の関係者のかたがたは、どんなに大変でいらっしゃったかとお察し申し上げます。

さて、きのう研究会で伺ったYさんのお話から。

Yさんは、前日大阪であるひとから「祇園祭巡行の日、どっかの山か鉾が荷茶屋をだして、永楽屋の前で(辻回しなどで)時間があくので、そこでお茶を振舞う」という情報をお聞きになったそうです。でもこの情報、肝心のどこの山か鉾が出すのかがはっきりせず、顔はわかるけど名前も連絡先もご存じないかたからお話をお聞きになったのでその詳細をたしかめようもありません。
とにかく、わかっていることは、「巡行の日に永楽屋の前で荷茶屋でのお茶振る舞いがある」ということだけです。

本当ならば17日はゆっくりお休みをとるはずだったのですが、この不確かな情報を前にして行かないわけにはいきませんでしょ。
ということで、わたくしはジャイ子さんとYさんと、きょうの8時30分ごろ永楽屋の前で待ち合わせをすることにいたしました。

もちろん、きょうの8時30分ごろの永楽屋前がどうなっているか、わからないわたくしではありません。永楽屋は四条河原町の北東にあります。ちょうど辻回し(鉾の方向転換)が見渡せるポイントにあって、例年たくさんのひとでごった返します。とにかく早めに行ってすこしでも前の場所を確保しようと、わたくしは今朝の8時ごろ現地に到着しておきました。この雨の中でも、すでにかなりの方々が集まってらっしゃいます。
早速「到着メール」をジャイ子さんとYさんに送りました。するとYさんからは、今日は雨で荷茶屋の茶振る舞いは中止だと踏んで、行くのを止めましたとのお返事が。えー、いいだしっぺがこないんですかあ?
しかもジャイ子さんも、大幅に遅れるとのメールが。
仕方ありません、このわたくしがしっかり32基の山鉾を見ておきましょう。

ということで、どしゃぶりだというのに刻々と膨れ上がるギャラリーに後ろから押されながら、山鉾巡行は始まりました。

行列の先頭が現れたのは、10時前。
やはりくじとらずの一番鉾・長刀鉾がビルの間から登場したときには、ひとびとの間から歓声があがりました。