四条室町上ルの菊水鉾さんの会所。
ここには少し前まで、金剛能楽堂さんがございましたが、現在は再三ご紹介していますようにマンションとなっております。
敷地の北西の隅には、ひとつの石碑とひとつの看板がございます。
看板には「菊水の井跡」とあり、そのいわれが記されています。
一方の石碑には「大黒庵武野紹鴎邸跡」と刻まれています。
ここは、戦国時代の茶人・武野紹鴎(文亀二年(1502)―弘治元年(1555)が菊水の井のかたわらに大黒庵を結んだとされる場所です。
武野紹鴎は、千利休の師とされています。また当代きっての文化人として知られる公家の三条西実隆との親交が深かったことでも知られています。
江戸時代の地誌『雍州府志』によりますと、ここの北隣にはかつて恵比須社があり、世間では恵比寿さんと大黒さんは一双をなしているとされているので、邸宅を「大黒庵」と名づけたとあります。
ちなみに応仁の乱以前からあったとみられる菊水鉾は、昔「夷山」といい、この恵比須社の恵比須さんの像を鉾の上に安置して巡行していたそうです。
しかし元治元年(1864)の大火で鉾は消失。
昭和27年(1952)になって再興されました。
その再興された菊井鉾の上にも、恵比寿さんが安置されているはずです。ぜひ確かめてみましょう。
恵比寿さんがいらっしゃるから、商売繁盛のご利益のある鉾でもあるのですね。
では明日は、菊水鉾の様子をお伝えします。
参考文献 平凡社『京都市の地名』
主婦の友社『史料による茶の湯の歴史(上)』