退院翌日、所用があって出かける途中の娘が様子見に我が家へ寄ってくれた。
まことに都合がよいことに、ソファーで横になっていたぼくは、わざとらしげに弱々しく手を振って、いかにも病人然とした振る舞いを見せるが、身体の内からかもしだす元気さは隠せなかったようだ。
「だいじょうぶそうやね」
といって笑う彼女の言葉は受けずに、手術以来ずっと心に思っていたことを吐露する。
「アンタ、えらいなあ」
なんのこと?と怪訝な顔をする娘に言葉では返さず、右の手で腹を切る真似をする。
「ああ、ね」
瞬時に理解したようだ。
そう、彼女は帝王切開を三度経験していた。
すると、それを聞いていた妻が自慢気に口をはさむ。
「あらワタシだって、アンタのときは16針も縫ったんだからね」
切開する縫合するの有無にかかわらず、お産にともなう痛みは、男の想像をはるかに超えるものであるらしい。いや、この期に及んで白状すると、ぼくはその想像すらしたことがなく、あたかも「アナタ産むひと」とばかりに、まったく他人事のように振るまってきた。
それをだ。たまさかできた胆石が発端にして、たかだか腹腔鏡手術でちいさい穴を4箇所あけたぐらいのことで、口を開いてはイタイイタイと、まったくもって情けないといったらありゃしない。
「いや、ホンマにえらいわ」
娘や妻のみならず、会う女性尽くにしばらくそう繰り返していたぼくに、あるひとが言った。
「尊敬しなさいよ」
いやホント、尊敬してますってば。