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2014-11-11 03:02:30 | インポート

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  2014/11

「よくそんな状況で

のん気に舞など踊れるな」

そう考えるのが

普通でしょう。

敦盛の「人間五十年」から

始まる一節。

これはその当時は,

医療もまだ発達しておらず、

戦で命を落とすことも

多かったので、
世間一般で

一生は50年程度と言われて

いました。

しかしこれは

ただ単に寿命の長さを

詠っただけの

言葉ではないのです。

正しい意味はこうです。

「下天(天界の最下層)の一日は、

人間世界での50年と同じ長さ。
 つまり、人の一生など天界から見れば

夢や幻のようなものである。
 死を恐れず、

精一杯毎日を生きるべし」
この織田信長という偉人の

人生の中でも始まりと

最後の大舞台。

まさに、人生の大舞台に直面した時に

敦盛を舞った意味。

私はこの時の信長の気持ちを

考えると感慨深いものが

あります。

彼は倒産を経験し、

信頼していた仲間は私の元を離れ、
富、プライド、地位、自信、

その全てを失った

経験があります。

しかし、そこから2年ほどで

以前とは比べものにならぬほどの

成功を収め、
家族のような仲間に囲まれ、

今までの人生で

体感したことのない幸せを

手に入れました。

彼は何が何でも絶対に

この大切なものを

二度と無くさない。

もっともっと上を目指し、

精進し続けるという強い信念を

持っております。

その為なら

我が身が朽ち果て死んでも良いと

本気で考えています。

ただ、彼は倒産した当時も

同じ気概を持って人生を

生きていました。

それでも、どうすることも出来ず、

全てを失ったのです。

この時の彼の心境は、

桶狭間に出向いた時、本能寺の変で

最後を悟った時の、
信長の気持ちに非常に良く似ていた

ことでしょう。

信長がピンチの時にこそ

敦盛を舞ったのは、

私達人間の一生は、この広い世界。

ましてや人知を超えた天界の

最下層でいう

一日にしか過ぎない。

儚い命であるのならばなおさら、

今日が人生最後の日だと

命を燃やし、全力で一日を生き抜く。

悔いのないように

今この瞬間を

全力で生きよう。

今川軍に臆する兵や民に対して、

本能寺の変で自分が死んだ

後に

残される人々に対して、
このようなメッセージを

送りたかったのだと

思うのです。

それではまた・・・(2)


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