幸福の里・・・

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2014-11-26 02:41:43

2014-11-26 02:41:43 | インポート

Dsx4ahxe_400x400    2014/11/26

 

 

僕は1935/04/01日

 

生まれです。

 

 

僕は三歳くらいから,

 

大工さんとご縁があり、

 

 

細工場(さいくば)や

 

住宅も建築の最初から

見に行く事が

好きであった。

 

 

普通は子供が作業場に

出入りする事等は許されて

いなかった。

 

 

父の仕事上常に

施主の立場で合った事や

私が大工さんの、

注意を守った

からかも知れない。

 

大変可愛がって呉れた。

 

 

私を可愛がって頂いた

大工さんは、

頭領(とうりょう)と

 

呼ばれている事に

気が付いた。

 

 

其れは家の客間で、

父が役所の方と二、三人で

お話していた時、

頭領の

考え等とお役人さんに

父が語り始めたのを

聞いた。

 

 

その後も私は、

繰り返し時間があれば

大工さんの側で、

木の香を好んで嗅だ。

 

 

材料の切れ端を頂き

積み木に使って遊んだ。

 

 

七歳で小学校に入学、

通学帰り道、

大工さんの仕事場に立ち寄り

何となく時を過ごし

お茶やお茶菓子も頂いた。

 

 

棟上(むねあ)げの日、

 

お餅拾いに

おいでと言われ、

 

 

友達と参加、

お餅を頂いて帰るこの時、

 

 

神事(しんじ)進行(しんこう)係が

 

玉串奉奠で、

 

 

頭領北野様と呼ばれ

大工の頭領と知った。

 

 

特に頭領は、

僕にどんな職業に就くにも

学問は必要と、

 

 

亦時折来る役人の方も

僕に言って頂いた。

 

 

大工は

職人に成ることだが、

私にはその内に

夢が芽ばえ、

 

 

広い世界で羽ばたける人に

成りなさいとも

言って呉れた。

 

 

僕は目標を早く決めて

目標に向って進もうと考えた。

 

 

亦早く成りたいと思う

毎日が続いた。

 

 

昭和19年新しい場所に移転し、

小学校は少し近くなった。

 

 

大人達は大東亜戦争の話題で

持ちきりだった。

 

 

僕の村から大勢の方が、

戦地に向かった。

 

 

我が家は近所に新築した

官舎に移転した。

 

 

この頃から

木の香りを嗅ぐのは

珍しく成った。

 

 

ラジオニュースは

戦争の事が中心だ。

 

 

僕たちには

理解が難しかった。

 

 

このところ、

住宅の新築は見られない。

 

 

僕は大好きな木の香りを

嗅ぐ事が無くなった。

 

 

彼の頭領とも

何年もお逢い

していない。

 

 

大人達は景気の

良い話はタブーらしく、

 

 

本当の話が

聞こえなく成った。

 

 

子供の僕にも

良く解る・・・

 

 

お昼の弁当は

混ぜご飯亦は代用食。

 

 

田舎まで生活が

困窮してきた・・・もうダメか。

 

 

小学校5年の夏休み、

僕の母は80人程の女の方を使い

松の苗木を育てていた。

 

 

この時父は

苗木を山に植える仕事であった。

 

 

苗圃(なえぼ)で除草中の

 

頭上に米軍飛行機が飛来し。

 

 

爆弾が2個小学校の

向かいの林に落ちた。

 

 

大きな穴と爆風で

付近の立木をなぎ倒した。

 

 

神風は、何時吹くや・・・

 

 

最早駄目かと。

 

続きます。

 

其れでは亦・・・

 

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■愛 称 :【青年の乃呟き】
■発行者:佐藤 盛男
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