幸福の里・・・

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少年期からこんにち迄・・・

2014-11-27 05:35:49 | インポート

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2014/11/27

 

昭和20年8月15日終戦を迎え、

引き揚げ者が村に戻って来た。

 

 

初めはみんなが協力して

励ましたりしていたが、

やがて村中が飽和状態となり

其の手当に大変苦慮した。

 

 

公共施設や

住宅も増改築が進んだが、

高齢の大工頭領の

姿は見られなかった。

 

 

僕も新制中学高学年、

路を模索していた。

 

 

普通校、商業校、

工業校、難しいな・・・

 

 

工業校建築を選ぶが、

経済的に困難になり途中退学して

勤め乍ら進学を考えて

大学入学資格検定試験に挑戦・・・合格。

 

 

商業系の短期大学を目指し29年合格。

 

 

31年1部上場の建設会社に入社。

 

 

経理課・資材課・土木工事現場・建築工事現場、

 

 

建築工事課・住宅付き診療所担当など、

 

 

宅地建物取引主任者となり、

顧客相談の難しさを学ぶ。

 

 

お客さまは神様です。

 

 

昭和40年四年生大学の3年に編入した。

 

 

経済学を学ぶ、

必要で進学した大学であり、

 

 

教授もゼミを中心に親しい学友もふえた。

 

 

経済人・政治家・初め諸々の専門職を

排出している大学であった。

 

 

成功した先輩の

講演も時々聴いてそれなりに、

興味と関心が持てた。

 

 

私の独立への足がかりが出来たのも、

この時期であった。

 

 

昭和41年4月1日

会社の設立の基本になる定款が

できあがった。

 

 

建設会社は以前から建設業を技術、

と商い、を一緒にした、

企業と考えていた。

 

 

社名は日本商工株式会社とした。

 

 

然し請負と商い共に

中間搾取的内容が強い企業と、

常に思わずには、

いられなかったので思行錯誤を

繰り替えした。

 

 

昭和42年大学卒業。

ついに独立に至る。

 

 

土地の売買にも進出して

それなりの成果もあがった。

 

 

古い土地付家屋を買収、

改修して売り出した。

 

 

当時はやりの原野分譲など

歩合制の販売も行った。

 

 

前に進めるだけ進んだが、

何年か繰り返しているうちに、

疑似宅地としての、

原野分譲商法は改善に向かい、

小面積区画数など

取り締まりの網が張られ

商売がしづらく成る。

 

 

初和62年2月私のお世話に成っている、

お坊様のお言葉も応援して頂いき

東京に移転して参りました。

 

 

最初は知人と沿線の、

農地を買って

建て売り業者に販売した。

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2014-11-26 02:41:43

2014-11-26 02:41:43 | インポート

Dsx4ahxe_400x400    2014/11/26

 

 

僕は1935/04/01日

 

生まれです。

 

 

僕は三歳くらいから,

 

大工さんとご縁があり、

 

 

細工場(さいくば)や

 

住宅も建築の最初から

見に行く事が

好きであった。

 

 

普通は子供が作業場に

出入りする事等は許されて

いなかった。

 

 

父の仕事上常に

施主の立場で合った事や

私が大工さんの、

注意を守った

からかも知れない。

 

大変可愛がって呉れた。

 

 

私を可愛がって頂いた

大工さんは、

頭領(とうりょう)と

 

呼ばれている事に

気が付いた。

 

 

其れは家の客間で、

父が役所の方と二、三人で

お話していた時、

頭領の

考え等とお役人さんに

父が語り始めたのを

聞いた。

 

 

その後も私は、

繰り返し時間があれば

大工さんの側で、

木の香を好んで嗅だ。

 

 

材料の切れ端を頂き

積み木に使って遊んだ。

 

 

七歳で小学校に入学、

通学帰り道、

大工さんの仕事場に立ち寄り

何となく時を過ごし

お茶やお茶菓子も頂いた。

 

 

棟上(むねあ)げの日、

 

お餅拾いに

おいでと言われ、

 

 

友達と参加、

お餅を頂いて帰るこの時、

 

 

神事(しんじ)進行(しんこう)係が

 

玉串奉奠で、

 

 

頭領北野様と呼ばれ

大工の頭領と知った。

 

 

特に頭領は、

僕にどんな職業に就くにも

学問は必要と、

 

 

亦時折来る役人の方も

僕に言って頂いた。

 

 

大工は

職人に成ることだが、

私にはその内に

夢が芽ばえ、

 

 

広い世界で羽ばたける人に

成りなさいとも

言って呉れた。

 

 

僕は目標を早く決めて

目標に向って進もうと考えた。

 

 

亦早く成りたいと思う

毎日が続いた。

 

 

昭和19年新しい場所に移転し、

小学校は少し近くなった。

 

 

大人達は大東亜戦争の話題で

持ちきりだった。

 

 

僕の村から大勢の方が、

戦地に向かった。

 

 

我が家は近所に新築した

官舎に移転した。

 

 

この頃から

木の香りを嗅ぐのは

珍しく成った。

 

 

ラジオニュースは

戦争の事が中心だ。

 

 

僕たちには

理解が難しかった。

 

 

このところ、

住宅の新築は見られない。

 

 

僕は大好きな木の香りを

嗅ぐ事が無くなった。

 

 

彼の頭領とも

何年もお逢い

していない。

 

 

大人達は景気の

良い話はタブーらしく、

 

 

本当の話が

聞こえなく成った。

 

 

子供の僕にも

良く解る・・・

 

 

お昼の弁当は

混ぜご飯亦は代用食。

 

 

田舎まで生活が

困窮してきた・・・もうダメか。

 

 

小学校5年の夏休み、

僕の母は80人程の女の方を使い

松の苗木を育てていた。

 

 

この時父は

苗木を山に植える仕事であった。

 

 

苗圃(なえぼ)で除草中の

 

頭上に米軍飛行機が飛来し。

 

 

爆弾が2個小学校の

向かいの林に落ちた。

 

 

大きな穴と爆風で

付近の立木をなぎ倒した。

 

 

神風は、何時吹くや・・・

 

 

最早駄目かと。

 

続きます。

 

其れでは亦・・・

 

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■愛 称 :【青年の乃呟き】
■発行者:佐藤 盛男
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2014-11-25 03:21:24

2014-11-25 03:21:24 | インポート

 

2014/11/25

 

本日よりブログ

再開いさせて戴きます。

 

お時間の有る時にお読み下さい。

 

 

先ず自己紹介から・・・

 

 

北海道石狩市

厚田区で産声をあげました。

 

 

重いお餅を

背負ったのが記憶の、

始まりであります。

 

 

はっきり記憶はありません、

 

 

周りの方が話すのを聞いて、

感じたのでしょうか、

 

 

父や母の会話に参加したくて・・・

 

 

然し両親は、

僕の口元を見て何時も話し掛けた、

 

 

最初は僕の発生は、

言葉になる前に、

唇を前に出している、

 

 

此のことを繰り返しているうちに、

音声になった。

 

 

僕の取り巻きは何時も、

僕がお話を始めようとすれば、

 

 

唇が飛びだしていることを話しますが・・・

 

 

其れは僕だけのことではなく、

 

 

僕が声を出そうとする、

その時決まって、

周りの大人が僕に、

 

 

語り掛けてくるので、

僕の唇がとがっても声が出ないで、

 

 

口先が前のめりになるので

唇がとがると笑う・・・

 

 

僕は自分で聞くことは、

早かったようだが、

 

 

口が回らず話す事が、

出来るように成ったのは遅く、

 

 

3才の頃、

多少の文字が書けて、

 

 

僕の気持ちを、

両親に伝える事が、

出来るように成った。

 

 

僕は何処から来たのかと、

母に尋ねてみた、

 

 

人が生まれて来ると言うこと

を知ったのは、

 

 

それから少したった5月、

妹が生まれて、

からだった。

 

 

僕はそのころに成って、

 

 

実に不思議な事に、

兄弟はどことなく似ており、

 

 

特に近所のおばさん達が、

 

 

子供が生まれると、

父親似だとか母親似とか言って、

 

 

両親と話てるのを、

耳にしたが、

 

 

そんな会話が大人の、

話なんだと感じていた。

 

 

僕の家の前は水田で、

あったが、

 

 

其の地先には、

小川が曲がりくねって流れていた。

 

 

雪深い山村であったが、

積雪は真冬に地上2メートルより、

少し多い位と思う様な、

気がしたが、

 

 

屋根から落ちる雪と、

積もった雪で屋根と地上は、

続いていた。

 

 

4月になって其の積もった雪は、

毎日春の日差しで、

表面から解けだして、

夜には凍って堅くなる。

 

 

その上を大人も子供も、

歩くことが出来る様に成る。

 

 

その頃までは小川も氷おり、

雪に覆われていて、

その上を何処でも、

歩くことが出来た。

 

 

次に続きます。

 

其れでは亦・・・

 

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お休みのご連絡・・・

2014-11-14 23:05:54 | インポート

Nihonshoukou

各  位

2014/11/14

当方機器点検と、

送授信環境点検のため、

2014年11月14日

より、

11月23日までブログを、

休刊させて戴きます。

何卒宜しくお願いおたします。

佐藤盛男

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実感の伴う文章・・・

2014-11-13 06:38:11 | インポート

Nihonshoukou   2014/11/13


お早うございます。

昨日は暖かかったですね。

お客様が一番反応するのは?

「およそ」
「だいたい」
という言葉で

表現されても、
頭の中ではイメージが
出来ませんよね。


キャッチコピーは、

「一瞬」がすべて、
と、先日お話した通り、

アバウトなキャッチコピーを使っても
意味がありません。


一瞬でインパクトを伝えるための文字。


それは、数字、です。


【数字で覚えさせるキャッチコピー】


もし、売る商品や
サービスに実績があるなら、
必ず、数字で表現すべきです。


更に、その数字は、
「事実」でなければなりません。


「売り上げ実績5298万円」
「お客様満足度、97%!」
「販売数1257戸」


というように、
数字を書く場合、

キリのいい
数字ではなく、
細かく書きましょう。


キリのよい数字は、
いかにも
適当に作った感じがしますよね?


それに比べ、
最小単位まで数字が書いてあると

リアリティが出ます。

事実による数字を入れる。
最小単位まで書く。


細かい数字が入っていると、
覚えてもらいやすくなります。


更に信憑性高いキャッチに
仕上がるはずですよ。

それでは亦・・・

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