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(1) 来信のメールをご紹介・・・

2014-11-10 04:23:58 | インポート

Nihonshoukou  2014/11/10

今日は実は、
あなたにひとつ

大事な話があるのです。

そして、それをお伝えする為に、

ひとつ、歴史の話を

したいと思います。


なぜこんなタイトルを

つけたのか?ご理解いただける

はずです。

「織田信長」

誰もが一度はその名を聞いたことが

あるでしょう。


信長は武芸、政治手腕に

優れていただけでなく日本文化にも

明るかった為、
大事な場面では

伝統芸能の「舞」を

舞って集中力を高めたと

言われています。

その中でも信長が好んで

舞ったのが

「敦盛」という作品でした。

「人間五十年、

天下のうちを比ぶれば、

夢幻の如くなり。


「ひとたび生を得て

滅せぬもののあるべきか」

これは敦盛の中でも

有名な一節です。

信長がこの敦盛を

舞った2つの有名な

シーンがあります


ひとつは「桶狭間の戦い」の出陣前、

そして、もうひとつは

「本能寺の変」です。

桶狭間の戦いとは、

その当時、現在の静岡県一帯を

治めていた今川義元という大大名が、
天下を手中に収めるべく

京都に向かって進軍を

開始したことが

発起となった戦です。

京都への進行ルート上に

あったのが織田信長の治める

現在の愛知県でした。

大大名の今川軍の

兵数は20,000人。

これに対しまだ小大名だった

織田軍は

わずか3,000人。

織田軍の敗北は

誰の目で見ても明らかでした。

今川軍がもう間もなく

こちらの城に近づいてきたという

知らせを聞き、

兵は萎縮し、民は怯えて

いました。

総大将の信長は

何をしていたかというと、

ろくに軍議も開かずに

酒を飲むばかり。

兵はその姿を見て焦燥感に

駆られていたといいます。

しかし、今川軍が自軍のある

砦に攻めかかった事を

聞いた信長は、
突如、敦盛の一節を

謡ながら舞うと、

猛然と出陣しました。

そして、

信長はわずかな軍勢のみを率いて

敵の大将の首を取る為の

奇襲作戦を決行。

あまりの信長の行動の

早さに兵は甲冑を身に着ける

暇すらなかったそうです。

そして、

信長は大将を

討ち取ることに成功。

今川軍は混乱に陥り、

見事大軍を

退けたのです。

これがそれまで

破天荒な振る舞いを

続けてきた為、

「うつけ」と馬鹿にされていた

信長の
人生を大きく飛躍させる

始まりの戦となったのです。

そして、もうひとつの

「本能寺の変」

こちらはご存知の方も多い

ことでしょう。

桶狭間の戦いの後、

飛躍的に勢力を

伸ばし続けた信長。

領土も拡充を続け、
名実共に誰もが天下を

治めるのは

織田信長である。

そう思っていた矢先の

出来事でした。

信頼していた重臣

「明智光秀」が

裏切りを起こし、

信長が宿泊していた

本能寺にいきなり

火を放ったのです。

無防備の信長は

本能寺の

周りを光秀軍に包囲され、

もはや逃げること叶わず。

そう悟った瞬間、

焼け落ちる本能寺の中で

この敦盛を最後に舞ったと

言われています。

それでは亦・・・(1)


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