入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

アントロポゾフィー指導原理 (13)

2007-11-09 10:38:41 | 霊学って?
アントロポゾフィー指導原理(13)

13.
Man kann auf dem Wege der Meditation zu der Gestalt,
in der das «Ich» im gewöhnlichen Bewußtsein auftritt,
drei weitere Formen finden:
1. In dem Bewußtsein, das den Ätherleib erfaßt, erscheint das «Ich»
als Bild, das aber zugleich tätige Wesenheit ist
und als solche dem Menschen Gestalt, Wachstum, Bildekräfte verleihnt.
2. In dem Bewußtsein, das den Astralleib erfaßt, offenbart sich das «Ich»
als Glied einer geistigen Welt,
von der es seine Kräfte erhält.
3. In dem Bewußtsein, das eben als das zuletzt zu erringende angeführt worden ist,
zeigt sich das «Ich» als eine von der geistigen Umwelt relativ unabhängige,
selbständige geistige Wesenheit.(Rudolf Steiner)

自我には、通常の意識におけるかたち(ゲシュタルト)とは別に、
メディテーションの過程で、
さらなる三つの形態(フォルム)が見出される。
1. エーテル体を捉える意識においては、自我は形象(イメージ)として現れる。
それは同時に、活動する本性であり、そのあり方を通して、
人間にかたち(ゲシュタルト)、成長、形成力を賦与するものである。
2. アストラル体を捉える意識においては、自我は霊界の一分肢として現れる。
それは自らの力を霊界から受け取っている。
3. 最後に獲得される前述の意識においては、自我は
霊的な周辺世界から相対的に独立した、自立的な霊的本性として現れる。
(訳・入間カイ)


この第13項では、「自分を知る」(自己認識)ということを、
さらに掘り下げるための方向性が示されます。
私たちは、通常、自分というものをどのように捉えているでしょうか?
私たちにとって、一番リアルに感じられるのは、
「肉体をもった私」ということではないでしょうか。
皮膚を傷つければ「痛い」と感じます。
それは「私の痛み」として感じられます。
私の肉体は、他人の肉体と同じ空間に、同時に存在することはできません。
だから、私と他人は一体化することなく、別々の個体として並ぶことになり、
そこから「自分は他の人々と違う」という意識や、
自分を他人と較べる意識が生じます。

私たちの思考、感情、意志は、
肉体をもっている自分を基準にして働くといえます。
そのように肉体があるがゆえの思考、感情、意志は、
外界からの刺激によって大きく左右されます。
いわば受動的に、外界からの刺激への反応として
私たちの思考、感情、意志が生じます。
そして、そのような外界からの刺激への反応の総体を
「私」(自我)と感じるのです。

そのような「私」は非常にあやふやで移ろいやすいものです。
しかし、そのような「通常の意識」における「私」は、
自我の現れ方の一つにすぎません。
メディテーションを通して、
さらに三つの「私」(自我)のあり方を見出すことができるというのです。
ここでいうメディテーションとは、
これまでの指導原理で見てきたように、
外界からの刺激を排して、
思考の働きそのものに意識を向けることから始まります。

そのとき、ちょうど「肉体における私」があるように、
生命体(エーテル体)における私、
感覚体(アストラル体)における私、
そして「私における私」を意識することができるのです。

これ以後の指導原理では、まず
これらの三つの自我のあり方を一つひとつ見ていきます。