少し前、勤務中の知人が職場の電話を取ると
受話器の向こうから唾でも飛んできそうな程の勢いで
外人がまくしたててきたらしい。
呆気に取られた知人はしばらくただ聞いていたらしいのだが、
あまりにも早口過ぎて、日常会話程度ならヒアリング可能な
知人の英語力をもってしても
何を言っているのかまるで理解出来なかったという。
語気から何となく怒っていることは伝わってきたものの、
相手がこちらの話を遮って一方的に話すのでまるで疎通が出来ない。
さすがに不愉快になった知人は受話器を置き、
音声を外部に流しながら待つこと約5分、
相手が話し終えたことを確認するとおもむろに受話器を上げ、
「スピークジャパニーズ」
と言い放つと、
相手は「к◇j?ゞ●Ш!!」と謎の怒号を放ち
ガチャンと電話を切ったという。
Xbox360の発表からE3開催後までに
様々なメディアで次世代マシンについての話題を見かけたが、
それらの記事を見聞きした自分の感想は
「スピークジャパニーズ」と言い放った知人と同じだ。
各社が何やら凄い物を出してきたらしいことは
ぼんやりと分かるのだが、
何がどう凄いのかという具体的な魅力については
残念ながらさっぱり伝わってこなかった。
私の知人にはライトユーザーが多いのだが、
彼らからたまに聞かされる当BLOGの感想は
「何が書いてあるのかさっぱりわからない」
というのが圧倒的に多い。
少し前にコメント欄のレスでも書いたのだが、
私が当BLOGをやっていく上で心掛けていることのひとつに
「可能な限り平易な言葉を選ぶ」というのがある。
一応守っているつもりではあるのだが、
それでもまだ意味不明な専門用語が多いというのが彼等の意見だ。
インターネットの普及で耳年増なコアユーザーが増えたせいか、
当BLOGのコメント欄でも「タイレシオ」「ローンチ」などの
言葉を使っている方をけっこうお見かけするが、
世間的にはまだまだ隠語レベルということであろう。
スペック表を眺めて「これは凄い」と唸るユーザーがいる一方で
数え切れないほどの脱落者が続々と出ているのが
ゲーム業界の現状ではないか。
「もう付いていけなくて…」と及び腰のユーザーに
こんなことを言ったところで、足を止めてくれるどころか
速度を上げて走り去られるのがオチである。
久多良木氏は御存知ないかも知れないが、
世のおばちゃん達はパソコンを見て
(かなりの高確率で)「怖い!」と言うのである。
この「怖い!」には「何やら得体の知れない物」という
アメーバや宇宙人にも近い恐怖心が込められているのだ。
*「うちの母親はそんなことありません」などの
例外の報告は間に合っているので悪しからず。
久多良木氏は「PS3は家庭の中心になる」と
少し前の日経新聞でも語っておられたが、
「家庭の中心になる」ということは、
性能が上がるより何よりもまず、
「家族全員が使いこなせること」が大前提ではないか。
そしてそれにはまず、「触ってみたい」と思わせるだけの
気安さ(敷居の低さ)が絶対条件になる。
知識も意欲もある子供は放っておいても触ってくれる。
問題は、「怖い!」「面倒臭そう」という先入観を持つ親の世代だ。
SCEが本気でPS3を家庭の中心に据えたいと考えるなら、
技術的な話しか出来ない久多良木氏をスポークスマンにせず、
久多良木氏の哲学なり理念なりを
分かり易い形に翻訳し、説明出来る人間を置くべきではないか。
機械音痴な私が分からないなりに一生懸命読んだ
日経のインタビューからは、
ゲームも含めたエンターテイメントの未来像が
わずかながら見えた、ような気がする。
しかし、一生懸命読まなければ伝わらない魅力は、
ゆりかごにも墓場にも届かないと思う。
必死で付いて行こうとしているジジィの私が言うのだ。
間違いない。
*今回の記事はE3直後に書いていたのだが、
下書きのまま放置していたところ教授の展覧会につきっきりになり、
そのまま忘れ去っていたという記事のため少し時期外れになってしまった。
受話器の向こうから唾でも飛んできそうな程の勢いで
外人がまくしたててきたらしい。
呆気に取られた知人はしばらくただ聞いていたらしいのだが、
あまりにも早口過ぎて、日常会話程度ならヒアリング可能な
知人の英語力をもってしても
何を言っているのかまるで理解出来なかったという。
語気から何となく怒っていることは伝わってきたものの、
相手がこちらの話を遮って一方的に話すのでまるで疎通が出来ない。
さすがに不愉快になった知人は受話器を置き、
音声を外部に流しながら待つこと約5分、
相手が話し終えたことを確認するとおもむろに受話器を上げ、
「スピークジャパニーズ」
と言い放つと、
相手は「к◇j?ゞ●Ш!!」と謎の怒号を放ち
ガチャンと電話を切ったという。
Xbox360の発表からE3開催後までに
様々なメディアで次世代マシンについての話題を見かけたが、
それらの記事を見聞きした自分の感想は
「スピークジャパニーズ」と言い放った知人と同じだ。
各社が何やら凄い物を出してきたらしいことは
ぼんやりと分かるのだが、
何がどう凄いのかという具体的な魅力については
残念ながらさっぱり伝わってこなかった。
私の知人にはライトユーザーが多いのだが、
彼らからたまに聞かされる当BLOGの感想は
「何が書いてあるのかさっぱりわからない」
というのが圧倒的に多い。
少し前にコメント欄のレスでも書いたのだが、
私が当BLOGをやっていく上で心掛けていることのひとつに
「可能な限り平易な言葉を選ぶ」というのがある。
一応守っているつもりではあるのだが、
それでもまだ意味不明な専門用語が多いというのが彼等の意見だ。
インターネットの普及で耳年増なコアユーザーが増えたせいか、
当BLOGのコメント欄でも「タイレシオ」「ローンチ」などの
言葉を使っている方をけっこうお見かけするが、
世間的にはまだまだ隠語レベルということであろう。
スペック表を眺めて「これは凄い」と唸るユーザーがいる一方で
数え切れないほどの脱落者が続々と出ているのが
ゲーム業界の現状ではないか。
「もう付いていけなくて…」と及び腰のユーザーに
こんなことを言ったところで、足を止めてくれるどころか
速度を上げて走り去られるのがオチである。
久多良木氏は御存知ないかも知れないが、
世のおばちゃん達はパソコンを見て
(かなりの高確率で)「怖い!」と言うのである。
この「怖い!」には「何やら得体の知れない物」という
アメーバや宇宙人にも近い恐怖心が込められているのだ。
*「うちの母親はそんなことありません」などの
例外の報告は間に合っているので悪しからず。
久多良木氏は「PS3は家庭の中心になる」と
少し前の日経新聞でも語っておられたが、
「家庭の中心になる」ということは、
性能が上がるより何よりもまず、
「家族全員が使いこなせること」が大前提ではないか。
そしてそれにはまず、「触ってみたい」と思わせるだけの
気安さ(敷居の低さ)が絶対条件になる。
知識も意欲もある子供は放っておいても触ってくれる。
問題は、「怖い!」「面倒臭そう」という先入観を持つ親の世代だ。
SCEが本気でPS3を家庭の中心に据えたいと考えるなら、
技術的な話しか出来ない久多良木氏をスポークスマンにせず、
久多良木氏の哲学なり理念なりを
分かり易い形に翻訳し、説明出来る人間を置くべきではないか。
機械音痴な私が分からないなりに一生懸命読んだ
日経のインタビューからは、
ゲームも含めたエンターテイメントの未来像が
わずかながら見えた、ような気がする。
しかし、一生懸命読まなければ伝わらない魅力は、
ゆりかごにも墓場にも届かないと思う。
必死で付いて行こうとしているジジィの私が言うのだ。
間違いない。
*今回の記事はE3直後に書いていたのだが、
下書きのまま放置していたところ教授の展覧会につきっきりになり、
そのまま忘れ去っていたという記事のため少し時期外れになってしまった。