和田岬線については
小説キャナルタウン 8 新兵庫運河物語 3 JR和田岬駅(2017.4.14)で和田岬駅
小説キャナルタウン 36 兵庫運河の可動橋 兵庫運河五橋十新川橋(2019.3.8)で和田旋回橋
小説キャナルタウン 44 川崎重工兵庫工場(前編)甲種鉄道車両輸送(2019.8.2)で兵庫駅
が出てきましたが今回は和田岬線の歴史と現在になります。次回の(後編)旧湊川と湊川改修会社は和田岬線建設の理由となっ
た旧湊川です。
大正12年地図
和田岬線は明治21年山陽鉄道の資材運搬用路線として建設されます。山陽鉄道は明治21年11月1日兵庫・明石間が開通、
同12月23日明石・姫路間開通、明治22年9月1日、神戸・兵庫間が開通します。明治23年7月8日から山陽鉄道の支線と
して貨物輸送を開始します。旅客の取り扱いは明治44年となります。明治45年には中間駅として鐘紡前駅が出来ます。大正
13年、市電和田・高松線が開通し旅客は3分の1に減少します。昭和8年兵庫港駅が新設され、貨物駅機能が移転し三菱重工の
引込線化します。鐘紡の一部移転のあって、昭和10年代に汽動車による昼間の旅客運転が中止されます。
建設当時は黄色の辺りから資材を陸揚げしていました。明治41年和田﨑桟橋に付け替えられました。
資材運搬用の線路が転用された例としては他に東海道線の建設のため、明治21年に建設され昭和49年まで貨物線として
利用された蛇松線(沼津港線)沼津・沼津港間があります。
写真 左 和田崎桟橋付近の拡大です。桟橋のそばに東京倉庫・三菱倉庫の文字が見えます。
写真 右 明治41年、開設当初の和田岸壁。この岸壁は、山陽鉄道建設のための器材陸揚げを目的に明治21年に作られた和田桟
橋を付け替えたもので、和田岬線は海に至る桟橋まで伸びていた。 写真と文は「市民のグラフ こうべ」ノスタルジー
和田岬線1世紀の歩みから 満艦飾に飾られた外国船が接岸、機関車には三菱と国鉄(工部省)の旗を掲げています。
ではなぜ資材運搬用の路線の建設が必要だったのでしょうか。
明治14年地図
明治5年5月11日新橋・横浜間が開通、続いて明治7年5月11日大阪・神戸間が開通します。官設鉄道として明治22年
7月1日新橋・神戸間が全通しますが、当時の国力の限界から国は東海道線の建設に集中、神戸以西は私鉄の山陽鉄道が建設する
こととなり、明治21年1月に設立されます。路線は地図の黄色の線になります。本来なら神戸から西に線路を伸ばしていけばい
いのですが、高さ約6mの天井川の湊川にトンネルを掘る必要があります。神戸・兵庫間の開通は明治22年9月1日になります
のでトンネルの完成を待っていたら、この日まで西進工事が開始できないわけで、海岸から兵庫駅までの資材運搬用の線路が造ら
れます。
和田岬駅のコンビニの壁に和田岬線のあゆみのパネルがあります。
和田岬線は、1889(明治22)年6月、海岸との連絡のため、兵庫停車場(兵庫駅)から分岐し和田岬にいたる支線として
2.7kmの施設を申請、同年9月30日に免許を受け工事が着手されました。1890(明治23)年7月3日に完成し、8日か
ら旅客・貨物の営業を開始されました。和田岬線の線路は和田岬駅構内で終結していますが、かっては和田岬駅より先に線路が伸
び、三菱重工兵庫工場への専用線となっていました。
駅前の道路には神戸市電が通り、平面交差を避けるため市電は専用軌道の陸橋で和田岬線の上を通過しました。
また、兵庫駅近くから川崎重工兵庫工場への専用線も分岐しており、鉄道車両の輸送にも使われていました。
和田岬線と兵庫運河の交差部にはレンガ造りの橋台2基と橋脚1基が造られ、イギリスから輸入された回転桁を設置。運河を航
行する船が来ると桁を旋回させて航路を確保しました。日本国内の鉄道用としては非常に珍しい旋回橋で国内最古の鉄道可動橋で
す。その後、船舶も大型化され運河を航行する船もなくなったことから、昭和初期に回転装置を取り外して固定化されました。
その後、三菱重工への専用線や鐘紡前駅・新川駅などが廃止され、兵庫駅から和田岬駅までの運行になっています。
和田岬線と沿線の歴史
新川荷扱い所については
小説キャナルタウン 5 和田岬線 新川支線 新川(貨物)駅 (兵庫臨港線)(2017.1.19)があります。
兵庫駅
和田岬線のホームは兵庫駅の南側に中2階のような形でくっついています。珍しく4両編成の快速用車両が止まっています
が、テロ対策の訓練がありました。昼間の運転がありませんのでこんなことも出来ます。突き当りは、スイッチバックのための機
関車付替用のポイントです。方向転換のため機関車は一旦切り離して最後尾に向かいます。今は川崎重工の甲種車両輸送のみです
が、貨物輸送華やかかりし時はずいぶん面倒だったと思います。
短い線ですが陸橋が1か所、踏切が7か所あります。UR賃貸キャナルタウンウエスト7号棟が見えます。
国道2号線から南はほぼまっすぐです。
和田旋回橋
小説キャナルタウン 36 兵庫運河の可動橋 兵庫運河五橋̟十新川橋(2019.3.8)に和田旋回橋があります。
後ろの背の高い橋は住吉橋です。昭和46年の建設当時は新川貨物駅の一部がこの付近まで伸びていましたので線路をまたいで
高くなりました。
和田岬線の専用車両です。検査の時は代車で新型が走ります。平成13年7月7日に地下鉄海岸線が開通しますが、計画の3分
の1程度の乗客しかありません。このため神戸市は和田岬線の通勤客を取り込もうと、和田岬線の廃止を画策しています。その理
由の一つとして待ちだされるのが、兵庫運河のクルーズ船計画です。キャナルタウンの西の兵庫運河支線と神戸港間にクルーズ船
を運航する計画ですが、和田旋回橋の橋桁の低さが支障となるそうです。もしそのような需要があるのなら旋回橋の復活をしては
どうでしょうか。三菱重工の夏休み中に工事が出来ると思います。
和田旋回橋と兵庫運河
和田旋回橋は、兵庫運河を利用する船舶の航行のため、計画され、1900(明治33)年頃に竣工しました。鉄道の旋回橋と
しては、我が国最初の橋であり、日本で最も古いものです。 ※鉄道可動橋ですが、現在は固定されています。
兵庫運河にかかる橋には変わった橋が多く観光名所となったと言われ、和田旋回橋は、唯一その当時の面影を残すものです。
戦後、貯木水面として運河を利用するため、船で旋回橋を通る船の光景が多くみられました。
プレートの記事とは異なりますが、通過する船の減少に伴い昭和12年に開閉を中止、昭和38年回転装置を撤去した。手でハ
ンドルを回し歯車で旋回させました。兵庫運河の西の入り口にある高松橋が機帆船の減少と橋の交通量の増加により、昭和12年
に開閉を中止していますのでこれにより背の高い船が入ってくることがなくなりました。
兵庫運河の東の入り口新川橋は「引っ張り橋」と言われ木製の「一葉式跳開橋」でしたが大正14年3月7日市電の開通により
固定式のコンクリート橋に変わっています。大正8年の兵庫運河市営化後に作られたと思われる御崎橋・材木橋・住吉橋も木製の
太鼓橋状の固定橋であると思われますので、運河の通行の主流はハシケと筏になっていたと思われますが、他の橋よりは橋桁が
低いので開閉があったのでしょう。
和田岬駅
小説キャナルタウン 8 新兵庫運河物語3 JR和田岬駅(2017.4.14)があります。
和田岬駅のあゆみ
和田岬駅は、ホームの片側のみが線路に接した単式(片側)ホームで、他にポイントも側線もない1面1線といわれる単線区間
の駅として運行されています。
また、朝晩の通勤のための路線という珍しい業態の路線で、昼時間には全く列車の運行がなく、改札がないことから、通勤時に
多数利用されるホームの中ほどに接する出入口が設けられています。
1895(明治28)年に和田崎町駅から和田岬駅に改称し、1945(昭和20)年に現在地に移設され、山陽本線支線(和
田岬線)としての終着駅となっています。
かっては木造平屋建ての駅舎がありましたが、2009(平成21)年に、駅舎と付属建物の撤去工事が実施され、和田岬駅の
駅舎としても役目を終えました。
時刻表・ご案内
昼間運行のない時刻表です。休日は朝・夕の1往復のみです。昔は三菱重工で社員の家族向けの催し物がある日には昼間に臨時
列車があったそうです。
ご案内
和田岬線をご利用のお客様は、そのまま電車にご乗車いただき、
切符は兵庫駅の自動販売機でお買い求め下さい。
ICカードをご利用のお客様は兵庫駅の自動改札機をタッチしてください。
写真 左 建物に挟まれて分かりにくいですが、ホームからUR賃貸キャナルタウンウエスト7号棟が見えます。
写真 右 和田岬駅ほど地元の皆様に愛されている駅も少ないと思います。無人駅でホームが解放されていますので近道になった
りホームに腰かけてお弁当なんてこともあります。
保線工事
電車の数は少ないですが一日の平均利用者は一万人と少なくありません。保線工事も万全です。
昼間は電車が走りませんので、昼間に工事をすることが出来ます。
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