『ZARD Forever Best ~25th Anniversary~』MEDLEY
実は辰巳ジャンプは解散の危機におちいったことがあります。そのピンチから立ち直れたきっかけが変なことですが、ZARD・坂井泉水さんが亡くなったことにあります。下記の記事は、これまでに何度もコピーしてくりかえし掲載してきた私の原点の思いです。今年はZARD25周年の記念年ですし、来年2017年も没後10周年記念になります。辰巳ジャンプは今年1年間でたっぷり力をたくわえて、2017年に再び最高の1年にする決意を固めています。
***** 2007年6月27日の日記より *****
「坂井泉水さんを偲ぶ会」に行ってきた。彼女とは同世代だ。
すごい参列者の数だった。
きっと自分など浮いてしまうだろうと思っていたが、同世代の人もたくさんいて、あらためて坂井泉水さんに励まされてきた人の多いことを実感した。
思い切って行って、本当に良かった。
1時間ほど並んだが、まったく苦にならなかった。
大画面で流れてくるコンサートの様子を見ながら、数々の思い出がこみあげ、涙が出そうになった。
「負けないで」「揺れる思い」…
全ての曲に思い出がある。
献花をした瞬間、もう坂井泉水はいないんだということが胸に迫り、思わず「ありがとう」の言葉が口から出た。
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実はこのころ、私は教員生活最大のピンチに至っていた。
それまで積み上げてきた数々の実績が、いとも簡単に崩れていくことを体験していた。
もしかしたら自分はもうダメなのではないかとも感じていた。
自分の命と同じだと思っている「辰巳ジャンプ」のチームも、解散寸前に追い込まれていた。
そんな時に、坂井泉水さんは、この世からいなくなってしまった。
音楽葬に集った4万人の方々が作り出す、何ともいえない温かな空気が青山斎場にはあった。
みんな泉水さんの創った曲に励まされて生きてきたんだと直感的に感じた。
だれもが「ありがとう、泉水さん。」という感謝の気持ちで参加していることを感じた。
そんなことを人に感じさせられる人生ってすごいじゃないかと思った。
人生は生死ではなくて、何をしてきたのかが大事なのだと実感した。
これが本物の教育なのだと感じた。
私はこの日を節目に、自分の教育実践を変えた。
誰かに評価されることを期待するのではなくて、坂井泉水さんのように自分が納得できる実践をしていこうと決めた。
2007年6月27日以来、すべてが変わった。
それまで恐れていたことも小さなことに感じられ、大きなことにチャレンジする力が甦った。