「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

DTMの効能(ウソウソ)

2009-07-17 23:50:39 | 音楽(全般)
先日、家内とクルマに乗っていますと突然、家内が黒人霊歌のCDをカバンから出して「聴きたい」と言い出しました。歌はバーバラ・ヘンドリックスで、ピアノ伴奏をドミトリー・アレクセイエフが担当しているアルバムでした。家内は「ゴスペルだ」と言い張りますが、そもそもがクラシック畑の演奏家によるものですし、ゴスペルほど熱いパフォーマンスでも無いし、非常にストレートな透明感のある歌声ですので、これは黒人霊歌ですね。ゴスペルがひねくれて濁った歌声という意味では無いので念のため。

それはともかく聴きながら楽譜を出してきたので何事かと思うと、実はこの中の一曲を演奏しなくてはいけないらしいのです。

家内が勤務している音大の教授がクラシック以外の歌曲をいろいろ研究して、それを演奏会形式のゼミで発表する中で黒人霊歌が出てくるそうです。それで慌ててネタCDを手に入れて聴き始めた。というわけです。
ところが楽譜を見るとメロと歌詞の他はコードしか書いてありません。しかもドミトリー・アレクセイエフもジャズ・テイスト満載の伴奏で、コーラスごとに全然違うことを弾いており、バーバラ・ヘンドリックスは思いっきりスィングしてフェイクして唄っています。家内も必死に聴きながら音をとっているようなのですが、そのうちに「こんなん弾けないわ!」とキレ始めました。

仕方無いので後で少し面倒を見ることでその場は収めたのですが、帰って来て改めてヘンドリックスの演奏を聴くと、明らかにブルースになっていて正直ネタがわかると興味が失せてしまい、「まぁ、いっか・・・」と家内が何も言い出さないのをいいことに放置していました。

で、完全に忘れていたところ、昨日の22時過ぎに家内が「土曜日に本番だからすぐに用意して欲しい」と、勤務先でもまず耳にしない厳しい納期を指定して来ました(えぇ!)。

で、しぶしぶリハーモナイズをしながら、コード・ネームを楽譜に書いていますと、家内が一言。
「私はコードはわからない。」

・・・あぁ、そうだったね・・・って、そんなやつがこんな仕事引き受けるなよ!

結局、大譜表に和音だけで無く、ベースや経過音(アドリブみたいなもんですね)もきっちり記譜することになりました。
しかしDTMで楽器を使わずに曲を創るクセがあったおかげで一切ピアノを使わずに済んだため、40分くらいで完了しました。
こんな便利なDTM。あなたも今日から始めませんか?

しかしコード読め無い人間にコード譜を渡して、何とかなると思ってるその音大の教授。ちゃんと研究してるのか少し怪しい・・・。ウィキペディアかなんかから表面上の歴史をちょろちょろっと調べておしまい
じゃないよな?!

邦楽の旋法について・・・日本人は何故か中近東の音楽やスパニッシュ音楽が好き(7)

2009-03-27 00:02:06 | 音楽(全般)

前回は西洋の教会旋法の一つである「フリジア旋法」「平調子」に関連性があるのでは?と言う推測をいたしました。それは単なる音のつながりだけで無く聴覚的に日本人に馴染むと感じることも述べさせていただきました。
音の並びだけ見れば「平調子」はこの非ヨーロッパ的で不安定な旋法から音を選択したものと言えますが、その選択の仕方は調性上の解決の可能性を内包した第三音ははずしてしまい、ヨーロッパ音楽やジャズでは不安定と考え避けてきた「フラットした第二音」をあえて鳴らすと言う特徴があります。

教会旋法の世界でのフリジア旋法の評価は先に述べたとおり「天と地の間に浮かびながら停止する」と言うものでした。
フリジア旋法がそう評価されそう感じられているのであれば、平調子はそれを更に超え「天と地の間で永遠に安定することを放棄した旋法」と評していいのではないでしょうか?

私はそう感じますね・・・。

日本の平調子には安定への可能性を拠り所とするより、ただひたすら「天へと浮かぶこと」「神に近づくこと」を願った古代人の潔い心が込められているのです。

と言う事で「平調子」「雲井調子」を使った自作のフュージョンです。琴が弾くテーマとアドリブは邦楽旋法のみ使用しています。欧米人と違いことさらエキゾチックにせずむしろ邦楽旋法でいかに都会的に創るかに重点を置いているのが特徴です。

「朱雀草子」

*なおこの考察は完全な私見であることをご了承の上でお読みくださるようお願い申し上げます。


邦楽の旋法について・・・日本人は何故か中近東の音楽やスパニッシュ音楽が好き(6)

2009-03-24 00:16:08 | 音楽(全般)

前回は邦楽の旋法である「平調子」を西洋音楽の視点で考えると「フリジア旋法」になること。そしてフリジア旋法は実は非常に扱いの難しい独特な旋法であることを説明しました。
実際、前回にお話したジャズにおいてフリジアを使用したスタンダード・ナンバー(「ナルディス」とか「ラ・フィエスタ」)は、民族音楽調ではありますが完全な民族音楽には足を踏み入れてはいません。フリジアである以上は「フラットした第二音→AvoidNote(特性音)」をはずすわけにはいかにのですが、かと言ってそのまま使用すると先述のとおり「天と地の間に浮かびながら停止する旋法」、言い換えれば不安定な調性感が前面に出てしまうためか、第三音(dから始まるフリジアならf)をシャープさせて使用しているケースが多く聴かれます。こうすればこの「シャープした第三音」を導音として使用しいつでも調性上の解決が可能であります。
それにしてもこの「シャープした第三音」から感じることはジャズも所詮ヨーロッパ音楽の延長線上であるなぁ。ということです。調性的な解決の可能性を残した上でフリジアを使い上辺だけの民族音楽を聴かせているだけにしか思えません。しかもこの場合の「シャープした第三音」を持つフリジアは早い話が「ハーモニック・マイナー・パーフェクト5thベロウ」と呼ばれるスケールです。「和声的短音階」。まさにヨーロッパ音楽そのものです。

ちなみに「ナルディス」とか「ラ・フィエスタ」などの民族音楽調の曲はヨーロッパ人は単に「エキゾチック」と感じるのでしょうか?私の個人的意見かもしれませんが我々はフリジアを聴くと「エキゾチック」よりも懐かしさと言いますか馴染みやすさを感じるように思います。やはりフリジアと「平調子」には純然たる関連性があるのでしょうか?

次回はこの考察も最後となります。フリジアと「平調子」の関連性は?そしてそこからイメージされた邦楽旋法の美意識とは?


邦楽の旋法について・・・日本人は何故か中近東の音楽やスパニッシュ音楽が好き(5)

2009-03-22 00:07:18 | 音楽(全般)

前回、邦楽の旋法である「平調子」を西洋音楽の音階にあてはめたところ、変ロ長調(ト短調)でdから始まる音階の第三音=f、と第七音=cが無いもの。と言うことまで説明しました。
ここで西洋の音楽との比較を容易にするためにも、唐突ですが変ロ長調(ト短調)でdから始まる音階を無理やり教会旋法にあてはめます。するとこの音階はdから始まるフリジア旋法となります。
この考察の第一回冒頭でも述べさせていただいておりますが、各種の教会旋法あるいはジャズの「アヴェイラブル・ノート・スケール」に関する、一応の知識をお持ちである前提で書かせていただいてる旨をご了承ください。

フリジア旋法はとても使いにくい旋法だと思います。響きとしてはアラビア的ともスペイン的ともとれる非常に民族音楽調のものを持っており、実際、この旋法はジャズの世界では「ナルディス」とか「ラ・フィエスタ」と言った民族音楽調のスタンダード・ナンバーで使われています。「グレゴリオ聖歌」に関する書籍では「天と地の間に浮かびながら停止する旋法」 「甘美、神聖、恍惚、永遠の旋法」(水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」音楽の友社より) だそうです。ふーん・・・。
いずれにしても極めてヨーロッパ的では無い不安定な旋法と理解していただければいいと思います。
フリジアの不安定さ、使いにくさの理由はあくまで個人的な意見ですが、一般のマイナー系スケール(自然短音階とかエオリア旋法とかドリア旋法)と異なり旋法の第二音がフラットであることだと考えています(dから始まるフリジアならes)。ジャズの理論におけるアドリブの基本(バップの範疇ですが)である「アヴェイラブル・ノート・スケール」の考え方でもフリジアのこの第二音は「AvoidNote(特性音)」とされており、あまり長い音符で留まると調性感が不明確になったり旋律的で無くなったりすると教えています。逆に言えばフリジアをフリジアたらしめているのがこの「フラットした第二音」であるわけです。

邦楽の旋法である「平調子」を西洋音楽の視点で考えると「フリジア旋法」に近い旋法となることまで説明させていただきました。
次回でももう少しフリジア旋法について考えることを書かせていただきます。


邦楽の旋法について・・・日本人は何故か中近東の音楽やスパニッシュ音楽が好き(4)

2009-03-20 00:05:27 | 音楽(全般)

前回ご説明したとおりポリフォニックな音楽を追求する中で耳当たりを重視した結果、転調を伴う音楽へと展開したことが12音律を「調性」という考え方の中で使用するに至った西洋の音楽ですが、もちろん日本や中国の音楽にも合奏は当然あります。あるのですが複雑に転調するような構造が無く、奔流のように楽器どおしが絡みあって継続する旋律を持続するためにも、日本や中国の音楽は音数を制限して「旋法のもつカラー」を破壊しないようにしたのでしょう。

さてえらく遠回りしましたが、何が言いたいかと申しますと洋の東西を問わずオクターブは12に区分され、その中から音を選択して並べたものが音階(旋法)であるわけですが、その選択が何を目的として選択されたか?が重要なわけです。
「平調子」です。

壱越(d)で始まる「平調子」はそれだけだと西洋的な調性感は感じられません。まぁ先に述べたとおりハーモニー重視では無く旋律重視であるため「調性」と言う考えが無いと言い切っていいわけですが、実際のところどうなんでしょう?
dで始まれば西洋で言うニ長調とかニ短調の雰囲気はあるのでしょうか?「平調子」をピアノなどで弾いていただくとわかりますがdから弾き始めてdで終えても西洋音楽で言う「終止」感はありません。何度も弾くと楽典などを少し勉強されて調性が理解できておられる方には、むしろ「属和音(ドミナント)」に近い不安定さを感じられると思います。
そこで五線譜に壱越(d)で始まる「平調子」を1オクターブ分だけ記載しましょう。eとhにフラットが付きesとbになっています。西洋の調の考えで言うとesとbが含まれる調は変ロ長調(ト短調)です。
試しに変ロ長調(ト短調)でdから始まる音階を先ほどの五線譜に併記しております。「平調子」と比較すると第三音=f、と第七音=cが無いことになります。

とりあえず邦楽の旋法が出てきたところですが次回こそ邦楽旋法について西洋の音楽との違いを考察していきたいと思います。


邦楽の旋法について・・・日本人は何故か中近東の音楽やスパニッシュ音楽が好き(3)

2009-03-04 00:24:14 | 音楽(全般)

前回ご説明したとおり12音律は洋の東西問わずですが、その中から音を選択して音階(旋法)にした場合の音の数が西洋は8つ(例 ハ長調の長音階 cdefgahc)、これに対して中国や邦楽は5つ。つまりペンタトニックです(例 ハ長調のペンタトニックcdega 演歌やロックなどのメロディやアドリブ・ソロはこの音だけで作られることも多いですね)。
何故、中国などの音階(旋法)が5音なのかは東洋の五行説に基づくと言う説などを聞いたことがありますが、そういった宗教観と言うか古代思想も関係するのでしょうが、やはり東洋の音楽には西洋音楽で言うポリフォニーの考えが希薄だからでしょう。

西洋でもバロック時代よりももっと昔は旋法を中心理論とした旋律重視のモノフォニックな曲が主流で、曲の中で使用している旋法のカラーを不明確にする音使いを厳格にコントロールしています。いくつか音を選択しているわけですから考え方は東洋の音楽に近づくと思います。宗教的な音楽の本来の目的が教会でのお祈りを歌にすることであり、そのような要件の中で歌詞が聴き取りにくい複雑なポリフォニーは禁止されたことも理由ではあります。

しかし結果として西洋の音楽はポリフォニーを推し進めて複数声部による複雑なハーモニーを持つ音楽が主流となり、転調を伴う音楽へと展開したことが12音律を「調性」という考え方の中で使用するに至ったのだと思います。

次回は西洋の「調性」を駆使したポリフォニックな音楽に対する東洋の音楽を説明いたします。


邦楽の旋法について・・・日本人は何故か中近東の音楽やスパニッシュ音楽が好き(2)

2009-03-02 00:02:17 | 音楽(全般)

前回は邦楽の旋法で比較的なじみのある「平調子」について簡単に説明しました。

今回から音名については独語圏で使用される音名を小文字で使用していきます。例えば「d」と書いた場合は「レ」音を。「des」と書いた場合は「レ♭」音を。「dis」と書いた場合は「レ♯」音を示しておりますす。ややこしくてすいません。

ところでよく西洋の音楽は1オクターブを12個に分割して旋律を作るが、日本や中国などは5つに分割している。いわゆるペンタトニックを使用していることが特徴のように言われます。しかし日本も中国も1オクターブを12に分割することは西洋と何ら変わりません。西洋はピタゴラス音律の考え方、つまり箏などの弦を三分割して5度を得て、更に3分割して・・・。わかりにくいので具体的に音で説明するとcの高さで鳴る弦を3等分するとgの音になります。これを更に3等分してd、更に更に3等分してa・・・。と12回繰り返すと大体元のcと同じ音になるため、これを基本として12音律が西洋音楽では使用されているのです。厳密に言うと最初に使用したcと最後12回の繰り返しで得られる1オクターブ上のcには微妙に周波数のズレが生じるため、このズレを調整するためにいろいろな試行錯誤がなされて現代は平均率が主流になっているのですが。
こなあたりは音律の話になってしまい今回の考察からややはずれるので、12平均率以外の純正律などの話にはこれ以上は触れません。

日本も方法は違いますが12に分割した音があり西洋の12音律に対して12律と読んでいます。つまりオクターブを12個に分割すること自体は特に西洋と東洋の違いの根元では無いことをご理解いただきたいと思います。

次回はこの12音からの音の選択の違いについて考察いたします。


邦楽の旋法について・・・日本人は何故か中近東の音楽やスパニッシュ音楽が好き(1)

2009-02-28 00:06:03 | 音楽(全般)

邦楽の旋法について。

とは言っても箏の演奏で使用される旋法「平調子」についてですが。

*文中に各種の教会旋法あるいはジャズの「アヴェイラブル・ノート・スケール」が考察の引用で出てきますが、これらに関する一応の知識をお持ちである前提で書かせていただいております。ご了承ください。

まず箏で使用される旋法の基本を書かせていただきます。
最も基本となる旋法は「平調子」ですが始まる音(核音)の違いで一般的には「壱越(西洋音楽のレ音=Dに近い)」から始まる高調子と「双調(西洋音楽のソ音=Gに近い)」から始まる低調子が多用されます。
今回は煩雑ですので壱越から始まる「平調子」を中心に考察します。箏の音名で表現すると
壱越、双調、黄鐘、鸞鏡、壱越、断金、双調、黄鐘、鸞鏡、壱越、断金、双調、黄鐘
西洋音楽の音名を使うと下のようになります。
レソラシ♭レミ♭ソラシ♭レミ♭ソラ

邦楽の旋法で比較的なじみのある「平調子」について簡単に説明しました。この音の構成をまずは頭に入れていただきたいと思います。
次回は少し寄り道をして東洋と西洋の音律に対する考え方に少し触れたいと思います。


ピアノ発表会にて・・・

2009-01-13 00:08:00 | 音楽(全般)

私の家内はピアニストなので当然と言いますか何人か生徒さんを持って指導もさせていただいています。
2年に1回のペースで数人の指導者さん(まぁ学生時代のご友人たちだけど)たちと発表会も催しています。

ここ数回は我が家の息子たちも発表会に出演していました。とは言っても相当ヘボなので私が連弾用に曲を編曲して私と息子で連弾でステージに立っていました。
「どんな曲を演っているのか?」という疑問に(誰の?)お答えして以下に過去の連弾で演奏してきました曲を掲載します。

・ペールギュント組曲より「山の魔王の宮殿にて」
・映画ハリーポッターより「ヘドウィグのテーマ」
・歌劇ガイーヌより「剣の舞」
・バレエ組曲ロミオとジュリエットより「騎士の踊り」

で今回は本当であれば「禿山の一夜」を連弾で演奏するはずで編曲も終わっていたのが息子が最近はすっかり練習不足。と言うより練習皆無なので出演を拒否。家内はかなり落ち込みましたが(そりゃ他の指導者さんの娘たちはバリバリと弾く姿をステージで披露するんで・・・)結局、今回の息子の出演は無しとなりました。

話は変わるのですが実は前回の発表会で私は独奏でも出演しました。スペインの近代作曲家ファリャのバレエ組曲恋は魔術師の一曲「火祭りの踊り」を弾いたのです。

今回も本当は演奏する曲は一応決めていたのですが息子が出ないのに親だけ出るのもアレなんで私の独奏も当然やめにしました。
もしステージに立っていたらレクォーナの「ギタネリアス」と自作の「ナポリの市場」という曲を弾くつもりでした。
ちなみにこの自作曲、midiで演奏したものならE-Windで公開してます(宣伝)。変な曲ですがよかったら聴いてみてね。

「ナポリの市場」

で発表会のほうは無事何事も無く私はカメラマンに徹することで終了しました。

ところで特記事項がありまして・・・。

発表会の会場で何と2人の方から「今回は出演しないんですか?楽しみにしてたのに」的なことを言われちゃいました。

お一人は妙齢のご婦人(家内の生徒さんのお母様ですけど)。この世代の方のおっしゃることは恐らくは半分、いや95%くらいはリップサービスですねぇ・・・。
もうお一人は別の指導者さんの生徒さん。高校生のお嬢様ですよ(^^!。ま直接言われたわけじゃなく指導者さんからの伝言ですが。

なんにしても次回は出ようかな。と顔もほころぶevnc_chckです。

いや決してそんな女子高生にお願いされちゃったなぁ(ウヒヒ)。なんてイヤラしいとか破廉恥とかそんな気持ちでは無く、純粋にこの場を自己の音楽的研鑽の発表の場として重要と考えている。と言うかそういった機会でも無ければ自分の音楽を昇華させていく過程にモティベーションが欠如すると言うか、とにかく変なことを考えてあわよくばいい思いをしたいとかそんなんじゃないことを理解してもらいたいです。お願いします。


「ITACHI」というバンドをご存知?

2008-10-15 00:15:17 | 音楽(全般)
今日、ラジオを聴いていたら「それではTHE TOPSで・・・」とDJが言うのが聞こえてきて、思わず「お!」とつぶやいてしまいました。

みなさん「ITACHI」っていうバンドをご存知ですか?じゃあ「TOPS」は?
「ITACHI」は1980年代に京都で人気のあったファンク系のバンドです。私はひょんなことから彼らのライブを聴いたことがあるのですが、そのときは「ブラコン(懐かすぃ~)やってます」と言っていましたが。
「ITACHI」の編成は男声ボーカル一人に4リズムス(ギター、ベース、キーボード、ドラムス)に3ホーンズ(トランペット2本、トロンボーン1本)でした。京都の地元ではかなりの人気でライブハウスは満員、地元の大学の学園祭にゲストで呼ばれたりもしていました。「こりゃいつプロになってもおかしくないな」って感じでした。
そして1986年に彼らは「TOPS」とバンド名を変更してデビューしました。1970年代にEW&Fを意識した「スペクトラム」でヒットを飛ばした新田一郎がプロデューサーで、女性コーラス2名を加えて10名という大編成でした。ちなみにTVで彼らが出演しパフォーマンスをした際にバンド名の「TOPS」には「東京・大阪パーでんねんスペシャル」とルビがふってあり、「まぁ東京の人間の関西のイメージはさんまぐらいのレベルだわなぁ」としみじみ思いました。
彼らのデビューはそこそこの成功だったのだと思います。デビュー・アルバム「「ヤ」なものは「ヤ」」は、ことさらに関西を強調しつつ「でも東京でガンバリたいです」と言ったやや自虐的なネタが満載で、彼ら自体もちょくちょくテレビで姿を見たりしましたし、写真雑誌で過激なステージパフォーマンス(ホーンの先から火花をだしたりしてたらしい)が紹介されていたりといった具合でした。
その後、特に彼らのことを気にすることも無くなっておりましたが、1年くらいたったある日TVで突然「TOPSの皆さんです」と司会の紹介する中、なんとあのTOPSが女性ボーカルを先頭に登場しまし・・・「え?女性ボーカル?」。
そうです。京都でローカル・バンドで活躍していた時代のメイン・ボーカルの「三井雅弘」さんはコーラスになって奥に引っ込んでしまって、デビュー時はコーラスだった「山際祥子」さんがメインになっていたのです。演奏が始まると三井さんは後ろでひょこひょこと踊って時々コーラスをするだけ。デュエットですら無い・・・。実際、山際さんの歌はさすがにうまかったんですがお世辞にも花のある方では無くって・・・。なんかどうなるのか人事ながら心配でした。
その心配が的中したと言いますか、それから多分2年くらいしたとき「嘉門辰夫」さんのライブがTVでやってたのですが、そこにあの「三井雅弘」さんがゲストで出演していました。特に歌を披露するでも無く嘉門さんと漫才かなんかやってるようなトークをして引っ込んで行きました。な、なんだなんだ!どうなったんだろう?
答えはやはりTVで知りました。「THE TOPSの皆さんです」と定冠詞がついたバンド名を司会が紹介する中、ボーカルはあの「山際祥子」さん。そしてホーンセクション以外は総替えとなったTOPSが「THE TOPS」として登場しました。ドラムはキンパツのにいちゃんでした。生意気そうでしたが前のドラマーよりはるかにうまく、もう空中を疾駆するようなドライブ感で思わず体が揺れてしまいました。ベースはブイブイとチョッパーをきかせこれもえらくうまかった記憶があります。もうこれは「前身はITACHIです。」とは言えない状況になっていました。
結局彼らは1991年に解散したようです。どんなドラマがあったかは知る由もありませんが少なくとも「ITACHI」時代からのベース担当であった、「和佐田達彦」さんはその後「爆風スランプ」に加入しましたし、多くは今もミュージシャンとして活躍されているのではないかと思います。

ちなみに「ITACHI」時代にギター担当だった「宅間顕」さんは京都の楽器屋さんで働いておられました。当時ただのくそガキだった私は「ITACHI」を存じ上げず、本人に向かって「どんなバンドなんすか?有名なんすか?」とか生意気なことをほざいてしまったことがあります。ごめんなさい。だって本当に知らなかったんだもん・・・。