耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

加藤周一「追悼講演会」大盛会~一緒に歌おう!“我が窮状”

2009-06-15 09:03:45 | Weblog
 後で知ったことだが、6月2日、東京・日比谷公会堂で全国から2千人以上が集まって、『九条の会』発起人だった加藤周一さんの「追悼講演会」を開催したという。大手新聞は書かないが、『北海道新聞』6月7日コラム「卓上四季」がその模様を伝えている。

 <壇上の遺影がほほ笑みかけていた。平和憲法を守ろうと各地で活動する「九条の会」。呼びかけ人の一人で、運動をけん引したが昨年12月に89歳で亡くなった評論家の加藤周一さんだ▼東京・日比谷公会堂で2日開かれた追悼講演会。北海道から沖縄まで2千人以上が集まり熱気にあふれた。作家の井上ひさしさんは加藤さんの思いを「戦争で死んだ友達を裏切らない」と語った▼「(死んだ)彼が決していわなかったであろうことをいったり、彼が黙っていなかったろうことを沈黙したりということは、したくない」。加藤さんは「私にとっての20世紀」でそう記した▼国家に強いられた友人の理不尽な死。戦争への怒りが「九条の会」結成につながった。晩年はユーモアを交え「老人と学生の同盟」を力説した。人生には2度自由の山がある。就職前の学生時代と定年退職以後▼「2つの自由な精神」の協同・協力が日本社会を変える力だ―と。それは、なし崩し的に進む憲法9条の空洞化への警鐘だったろう。米国一辺倒の外交と自衛隊の相次ぐ海外派遣。政府の政策に対する社会の批判力の衰え。若い世代に奮起を促した加藤さんにどう応えるか▼会場では大勢の人たちが運営費をカンパした。千円札と百円硬貨の入った封筒にはこう書かれていたそうだ。「小銭は子どもたちの小遣いからです」。志は世代を超えて引き継がれていく。>


 ここに出てくる加藤周一さんの著者『私にとっての20世紀』(岩波現代文庫)第4章「言葉・ナショナリズム」には、「日本人は“国”と言う言葉を使いたがる」と傾聴すべき指摘をされている。「日本には国という言葉と国家と言う言葉を、はっきり区別する習慣がないのです」といい、日本国憲法を例に次のように指摘する。

 <「われら日本の人民は」という箇所は、英語だと「We the Japanese people」となる。ところが日本語だと、「われら日本国民は」と“国”が入っている。その場合の国という字は「We the Japanese people」には入っていないのです。“Country”も“State”も入っていない。なぜだろうということです。「国民」はpeople とは違うと思うのです。people という言葉は人々です。…
 
 だから、人権の問題が出てきても、日本はそういう考えをもっていないのです。人権というのは日本国民の権利ではありません。あらゆる人間の権利が人権ですから、それは people から引き出すことはできても国民からは引き出せない。>

 加藤さんによって、「日本国憲法」はこのように読み解かれている。志をもって生きることを教えた加藤さんに学び、平和・人権の依り代である「憲法」を“人民”のもとして活かさねばならない。

 
 「憲法第九条」に思いを寄せつつ、歌手・沢田研二の『我が窮状』を一緒に歌いましょう! まず、歌詞の紹介…。


  作詞:沢田研二  作曲:大野克夫

 『我が窮状』

 麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
 忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
 英霊の涙に変えて 授かった宝だ
 この窮状を 救うために 声なき声を集え
 我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

 麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
 老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
 諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
 この窮状 救いたいよ 声を集め歌おう
 我が窮状 守れないなら 真の平和はありえない

 この窮状 救えるのは静かに通る言葉
 我が窮状 守りきりたい 許しあい信じよう


 『我が窮状』:http://www.youtube.com/watch?v=l2GdRkSvbFQ

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