いまさらバカバカしい話を蒸し返すわけではないが、前国土交通大臣だった中山成彬は“日教組”を目の敵にしていた。「日本の教育のガンは日教組だと思っている。ぶっ壊すために火の玉になる」と言うのだから、自前の教育観には“性根”がすわっている。ところが今回、ノーベル賞を受賞する益川俊英さんが研究に没頭していた京都大学理学部助手のころ(1972年ころ)、教職員組合の書記長を務め研究と組合の仕事の両方をこなす忙しい日々を送った。京大教職員組合は中山成彬が大嫌いな“日教組”の構成組織だったというから皮肉である。
さらに、『毎日JP』(10月8日)は「反戦語る気骨の平和主義者……益川さん」と題する記事を掲載している。
<ノーベル物理学賞を受賞した益川俊英・京都産業大教授(68)。穏やかでちゃめっ気のある益川さんだが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。
作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の一人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。
原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生れた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。
05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で半日デモが相次ぎ、JR福知山事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。
1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その一人が尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に廻ることだ」と強調する。
受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者にはなれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。>
さらに、「お騒がせ男」中山成彬が目を剥くような記事がブログ界に飛び交っている。日本共産党参議院議員『井上哲士ONLINE』の次の記事である。井上哲士議員は京都大学法学部卒。
<…途中の新幹線で携帯が鳴り、ビッグニュースが届きました。京大名誉教授の益川俊英先生らがノーベル物理学賞受賞です!
未発見の「クォーク」の存在を理論的に予測した「小林・益川理論」が認められたもので、小林先生やお二人の先輩となる南部先生との共同受賞となりました。何年も前からノーベル賞候補に挙げられていたので、待ちに待った受賞です。
私の学生時代、学生自治会がとりくむセミナーの講師なども気軽に応じて下さっていたことを思い出します。世界的注目を集めていた益川先生が、素粒子研究には、弁証法的唯物論の物の見方が貫かれていることをいっかんして語ってこられたことは、科学的社会主義を学ぶ上で、とても励みになりました。
たとえば、1984年7月14日付けの「赤旗」では、みずからの研究をふりかえって次のように語っておられます。
「素粒子が、さまざまな性質、特徴、法則性をもっているのは、その背後にそれらの担い手の物質が必ず存在するに違いないと考え(ています)」、そこには「『電子といえどもくみつくせない』という物質の無限の階層性と認識の相対性を指摘したエンゲルスやレーニンと同様の唯物弁証法(弁証法的唯物論のこと―引用者)の物の見方がつらぬかれています」、「唯物弁証法と自然科学の研究方法との関係は非常に奥深いもので、今後はさらに追及する必要があると思います」
早速、祝電を打ちました。益川先生、おめでとうございます。>
「新自由主義」とやらいう「市場原理」万能の“バクチ”国家アメリカが破綻寸前に追い込まれ、「資本主義」が風前の灯であるにもかかわらず、「お金」の力で世の中どうにでもなると考える政治家・資本経営者が健在だから、彼らは益川先生が「弁証法的唯物論」(マルクス・エンゲルスの考え方)を持ち上げるのだから仰天するに違いない。
ベストセラー『国家の罠』の著者・佐藤優さん(起訴休職外務事務官)は『週刊金曜日』10月17日号の「特集 世界恐慌」で「ファシズムに対する防波堤を」と題し以下のように論じている。
<そもそも新自由主義者は、市場が万能であると信じているので、恐慌という発想がない。こういうときは、商品や貨幣による経済を自明のものとしないマルクス経済学の視座が有効だ。マルクス経済学というと、社会主義革命をどう根拠づけるかというイデオロギー過剰な経済学説を想像するが、『資本論』をひもとけばわかるように、マルクスの主張は、社会主義を嫌う資本家や保守政治家であっても、論理を追っていけば、誰でも納得する構成になっている。>
派遣労働でピンハネに余念のない資本家・経営者の皆さん、そして格差社会を深刻化させてきた自民・公明の政治家の皆さん、さっそく岩波文庫版の『資本論』を買って読んでみよう。
さらに、『毎日JP』(10月8日)は「反戦語る気骨の平和主義者……益川さん」と題する記事を掲載している。
<ノーベル物理学賞を受賞した益川俊英・京都産業大教授(68)。穏やかでちゃめっ気のある益川さんだが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。
作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の一人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。
原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生れた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。
05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で半日デモが相次ぎ、JR福知山事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。
1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その一人が尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に廻ることだ」と強調する。
受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者にはなれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。>
さらに、「お騒がせ男」中山成彬が目を剥くような記事がブログ界に飛び交っている。日本共産党参議院議員『井上哲士ONLINE』の次の記事である。井上哲士議員は京都大学法学部卒。
<…途中の新幹線で携帯が鳴り、ビッグニュースが届きました。京大名誉教授の益川俊英先生らがノーベル物理学賞受賞です!
未発見の「クォーク」の存在を理論的に予測した「小林・益川理論」が認められたもので、小林先生やお二人の先輩となる南部先生との共同受賞となりました。何年も前からノーベル賞候補に挙げられていたので、待ちに待った受賞です。
私の学生時代、学生自治会がとりくむセミナーの講師なども気軽に応じて下さっていたことを思い出します。世界的注目を集めていた益川先生が、素粒子研究には、弁証法的唯物論の物の見方が貫かれていることをいっかんして語ってこられたことは、科学的社会主義を学ぶ上で、とても励みになりました。
たとえば、1984年7月14日付けの「赤旗」では、みずからの研究をふりかえって次のように語っておられます。
「素粒子が、さまざまな性質、特徴、法則性をもっているのは、その背後にそれらの担い手の物質が必ず存在するに違いないと考え(ています)」、そこには「『電子といえどもくみつくせない』という物質の無限の階層性と認識の相対性を指摘したエンゲルスやレーニンと同様の唯物弁証法(弁証法的唯物論のこと―引用者)の物の見方がつらぬかれています」、「唯物弁証法と自然科学の研究方法との関係は非常に奥深いもので、今後はさらに追及する必要があると思います」
早速、祝電を打ちました。益川先生、おめでとうございます。>
「新自由主義」とやらいう「市場原理」万能の“バクチ”国家アメリカが破綻寸前に追い込まれ、「資本主義」が風前の灯であるにもかかわらず、「お金」の力で世の中どうにでもなると考える政治家・資本経営者が健在だから、彼らは益川先生が「弁証法的唯物論」(マルクス・エンゲルスの考え方)を持ち上げるのだから仰天するに違いない。
ベストセラー『国家の罠』の著者・佐藤優さん(起訴休職外務事務官)は『週刊金曜日』10月17日号の「特集 世界恐慌」で「ファシズムに対する防波堤を」と題し以下のように論じている。
<そもそも新自由主義者は、市場が万能であると信じているので、恐慌という発想がない。こういうときは、商品や貨幣による経済を自明のものとしないマルクス経済学の視座が有効だ。マルクス経済学というと、社会主義革命をどう根拠づけるかというイデオロギー過剰な経済学説を想像するが、『資本論』をひもとけばわかるように、マルクスの主張は、社会主義を嫌う資本家や保守政治家であっても、論理を追っていけば、誰でも納得する構成になっている。>
派遣労働でピンハネに余念のない資本家・経営者の皆さん、そして格差社会を深刻化させてきた自民・公明の政治家の皆さん、さっそく岩波文庫版の『資本論』を買って読んでみよう。