耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“仁者敵無し”とは?~矛盾の根源に思いを致す!

2009-02-23 10:27:53 | Weblog
 財務大臣の失態に関してはさまざまな論評がなされているようだが、常識的な疑問は、記者団を含むあれだけ大勢の取り巻きがありながら、なぜ、あんな心身状態の者を会見場に出したかである。本人の失態が責められるべきは当然だが、なかでも随行記者団のジャーナリスト精神喪失や極まったりと言うしかない。たびたび指摘してきたことだが、わが国政治の目も当てられない“テイタラク”が、ジャーナリスト「不在」に起因することは衆目の一致するところだろう。

 さて、小泉純一郎が麻生太郎をこき下ろしたらしいが、これまた「目糞鼻糞を笑う」たぐいで、もともとどっちも一国の宰相という器ではない。マスコミは相変わらず興味本位の記事を書いているようだが、「延命装置」をつけて生きているような麻生太郎に何ができるというのだろう。国家国民の行く末を本当に憂うるなら、民主党も「院内」で「ああでもない、こうでもない」と空騒ぎしていないで、「院外」に出て国会を包囲するくらいの国民動員を呼びかけ解散をもぎとったらどうか。年金、医療、雇用、郵政等々、累積する虐政に国民の生理的我慢水域はとっくに越えているのだ。


 魏の恵王の問いに答え、孟子は「仁者敵無し(大事なことは仁だ)」といい、斉の宣王が「どんな徳があれば、王者になれるのか」と尋ねると、孟子は「ただ仁政を行って人民の生活を安定すれば、王者となれます」と答えた。五常(仁・義・礼・智・信)の筆頭に置かれる「仁」こそ政治の要諦と言っている。儒教ではこれを“最高徳目”においているわけだ。では「仁」とは何か。孔子は顔淵の「仁を問う」に答えている。

 <己に克ち礼に復(かへ)るを仁と為す。一日も己に克ち礼に復(かへ)れば天下人を帰(ゆる)す。仁を為すこと己に由る、人に由らんや。> 
 
【現代語訳】
 仁は心の全徳で天の与えた正しい道であり、天の与えた正しい道が形に表れて中正を得たものが礼である。しかし、仁は私欲のために壊(やぶ)られるものである。故に己の私欲に打ち勝って礼に反(かえ)るのが仁を行う方法である。仁は天下の人の心に同じく具(そな)わっているものであるから、誠に能(よ)く一日の間でも己の私欲に打ち勝って礼に反(かえ)れば、天下の人が皆我が仁を与(ゆる)す程、仁を行う効果ははなはだ速やかでありかつ至って大きいものがある。このように仁を行うのは己自身の修業によることで他人に関係のある事ではない。(宇野哲人『論語新釈』/講談社学術文庫)

 ひっ詰めて言えば、「仁とは天の与えた正しい道」で、「医は仁術」などの言葉として使われている。志の低い政治家ばかり目立つわが国で、いくら孟子の「仁者は敵無し」を説いても“牛に経文”に等しいのだろうか。


 麻生太郎は「100年に一度の経済危機」と念仏みたいに唱えているが、積年の“政(まつりごと)”が内蔵してきた「矛盾」がさらなる「矛盾」を生み、現象を複雑怪奇にしていることに気付くべきだろう。一体、その矛盾の正体とは何か。それを知る手がかりに一文を挙げよう。稀有な作家“森敦”の『天に送る手紙』(小学館ライブラリー)から。


 <「対岸の風景」

 なにごとをするにも、わたしたちはまず道を造り、道にしたがって行わなければならぬ。この故に、道はわたしたちがよって以て交通するものから、更に意味を拡大して天道などという。柔道などという。剣道などという。花道などという。茶道などという。かくて道徳も、柔道も、剣道も、花道も、茶道もわたしたちがあるべき世界を形成し得るのである。
 わたしはかつて熊野の山中で、ダムを造る仕事にたずさわっていた。ダムを造るにはなにをおいても、ダムに至る道を造らねばならぬ。道を造ろうとして、わたしは道に二つの条件をみたさねばならぬことを知った。一つはわたしがいまある地点から、わたしの行こうとする点を出来るだけ短い距離にしようとする冀(ねが)いである。二つはわたしのいまある点から、わたしの行こうとする点へ出来るだけ労せずして至ろうとする冀いである。
 この二つの冀いは明らかに矛盾する。なぜなら、出来るだけ短い距離にしようとすれば、わたしがいまある点と、わたしが行こうとする点を直線で結ばねばならぬ。できるだけ労せずして至ろうとすれば、わたしがいまある点と、わたしの行こうとする点を等高線に沿って曲線で結ばねばならぬ。道によって世界が形成される以上、世界もまた根源的な矛盾を孕(はら)むものでなければならない。
 わたしは毎夏月山新道を車で走る。月山新道はもと六十里越街道と呼ばれたところだが、六十里越街道を六十里越街道たらしめた当時を思い起こさせる集落は、もはや目にはいらない。しかし、こんな対岸の風景を目にとめられたことはないだろうか。川に沿ってやや高く集落がある。その上に集落を結ぶ旧道がある。更にその上に新道がある。すなわち、月山新道の下に六十里越街道があり、更にその下に六十里越街道を六十里越街道たらしめた集落があって視界から消えたのである。隧道と橋梁の発達が道を次第に天に近づけ、道はそれみずからの矛盾から解き放とうとしているかに見えるが、矛盾から解き放とうとすることが、更に天へと拡大する大きな矛盾を孕んで行くのではあるまいか。>


 “道”を造るにあたってひそむこの“直線”と“曲線”の根源的「矛盾」の存在。水が上(かみ)から下(しも)へ流れるように本来、「正しい道」は敷かれているはずだ。だが、現実の浮世は“直線”と“曲線”の存在と無縁ではありえない。この「矛盾」のなかに「正しい道」をどう敷くのか。それが政治の要諦ではないのか。よく「いまの政治には哲学がない」などというが、「正しい道」が内包する根源的「矛盾」に思いが至らないということだろう。つらつら思うにつけ、わが国現状のなんと浅ましくも情けないテイタラクであることやら。


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