耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

「女のハレモノ」を治してやった老名医の話~『今昔物語』から

2009-04-30 09:47:01 | Weblog
 いつの時代も男ちゅう生き物は“助平”根性が失せぬものらしく、『今昔物語』巻第二十四の八に「女、医師(くすし)の家に行きて瘡(かさ)を治して逃げたる語(こと)」という滑稽な話がある。陰部に出来物ができて、老医師に治してもらいに来た美女のことだが、こういう書き出しではじまる。

 <今昔(いまはむかし)、典薬頭(てんやくのかみ)にて□□(欠字)と云止事無(いうやんごとな)き医師(くすし)有けり。世に並(ならび)無き者也ければ、人皆此人を用(もちい)たりけり。>(池上洵一編『今昔物語』/岩波文庫)

 さて、このあとは少々長いが『田辺聖子の今昔物語』(角川文庫)から名訳を引かせてもらおう。

 
 <下萌えの草に、春の淡雪がつれなく降るが、積もるとも無く消えてゆく早春の夜。
 軒の戸に絶え絶えかかる雪の玉水のように、涙をこぼしつつ語るのは、この家のあるじの老医師(くすし)、典薬頭(典薬寮の長官)である。前にかしこまるのは、弟子の医師どもであった。

 ――何を泣くかというか。
 これほど悲しいやら、くやしいやら残念やら、腹の煮える思いをしたことはないぞよ。女が逃げ居(お)ったのじゃわ。
 恥をいわねば理が聞えぬとやら、そもそものおこりは、七、八日前のこと。
 わが家に一輌の女車がやってきた。
 車の下簾(したすだれ)から、えも言えぬ美しい色目の衣裳が花やかにこぼれて、何とも色めかしい車じゃ。はて、どこの上臈(じょうろう)がおわしたかと、
「いずれのお車でございます」
 と問うても供の者は、答(いら)えもせぬわい。ただ、車をば門の内へ引きに引いて、こちらの思惑もかまわず、車の軛(くびき)を、わが家の蔀(しとみ)にうちかけるという強引さ。雑色(ぞうしき)どもは門のもとにうずくまって、とかくの挨拶もなし。
 わしは不審でもあり、腹も立ち、車のもとへ寄って、
「どなたじゃな。何のご用事で、わせられたか」と問えば、、車のうちから、女の声で、何者とも名乗らず、ただ、
「よろしきところに部屋を設けて、わたしをおろして下さいませぬか」
 というではないか。
 その声の女っぽい色気というたら……。また何とも愛くるしい物の言いぶり、わしはたちまち心そそられた。わしは身は老いても心は老いぬほうでの、色っぽいおなご大好き人間じゃ。おなごは愛らしく、色っぽく無(な)うてはいかん。
 わしはいそいそとして、屋敷の隅の、人離れた部屋をにわかに掃き浄(きよ)め、屏風を立て、うすべりを敷きなどして、車のそばへいき、用意ができたというた。
「――ではしばらくお退(の)き下さいませ。姿を人に見られますのは……」
 としおらしく女はいう。わしが車から離れると、女はしずしずと扇で顔をさし隠して下りてきた。
 供の女がつづいて下りるかと思うと誰も居(お)らなんだ。ただ、女が下りると、十五、六ほどの女童(めのわらべ)が車のそばへ寄って来た。これは徒歩(かち)で供をしてきたのであろう。車の中から蒔絵の櫛の筥(はこ)を取って来た。すると待っていた雑色(ぞうしき)らがすぐ寄って来て車に牛をつなぎ、あっという間に、飛ぶように門から出て、いずくへともなく去っていった。
 さあ、わしは好奇心でいっぱいじゃ。部屋におさまった女に簾(すだれ)をへだてて早速、聞いた。
「あなたさまはいったいどなたですか。してまた、ご用のおもむきを仰せあれ」」
「どうぞお近くへお寄り下さいませ。恥ずかしがったりいたしませぬ」
 わしは女のいうままに簾のうちへ入って、まじまじと女を見た。年のころ三十ばかり、これが何とも美(い)い女なのじゃ。髪のかかり、おもだち、まことに美しゅうて非の打ち所もない。髪は長々と裾にあまり、よい香りをたきしめた衣(きぬ)を着重ねている。わしは思わず歯もない皺(しわ)みた顔を笑み崩し、女のそばへ膝をすすめたが、女はいやがるさまも警戒するさまもみせぬ。まるで長年、馴れ親しんだ古妻のように、わしに親しみをみせるではないか。
 わしは一瞬、どこやらおかしいとは思うたが、女のやさしいそぶりに有頂天になってしもうた。
 それに、みなも知るように、わしは年来連れ添うた嫗(ばあ)さんに、三、四年前先立たれて、女気も無(な)う、過ごしておったところじゃ。この女、もしかするとわしの妻になってもよいという心づもりかと思えば、嬉しゅうてならぬ。それにつけても、
「どこのどなたで、お名はなんと」
 と問えば、女は、さめざめと泣き出し、
「人の業(ごう)というのはあさましいもの、命の惜しさには、どんな恥もしのべるものでございますね。わたくし、どんなことをしても命さえ助かったならばと、思い切って参上したのでございます。こうなりましたからには、生かすも殺すもあなたさまのお心次第、この身はすっかり、あなたさまにお任せいたします」
 というではないか。
 なるほど、そんな子細があって、医師のわしを頼ってきたのか、と合点がいった。わしは自分でいうのも何じゃが、弟子のそちどももよう知る通り、当代では一といわれる名医じゃ。わしの噂を聞いて頼ってきたとあれば、これは力をつくして療治せずばなるまい。よくせきの重い病いであろうかと、わしは同情して、一体、どういう病状でおわすのかな、と問うと、女は答えず、恥ずかしげに袴の脇のあきから衣をひきあげてそっと見せる。
 雪のような白い腿(もも)が、少しばかり腫(は)れておった。
 その腫れようが、どうもただごとと思えなんだ。これはいかん、とわしは袴の腰の紐を解かせ、前を診(み)るに、毛の中に隠れて見えぬわ。さればわしは手でさぐってみると、そのあたりに腫瘍(できもの)がある。陰瘡(いんそう)とすれば大きい。わしはためらわず、左右の手をもって毛を掻き分け、つくづく見るに、これはたちのわるい「ようそ」であった。
「抛(ほう)っておかれては命にかかわる腫瘍じゃ。死病というてもよい」
「えっ。それで、なおりましょうか」
 と女は涙ぐみつつ心配そうに聞く。わしはふびんでならず、はげました。
「必らず、なおして進ぜましょうぞ。長年、医師をつとめてきた腕前にかけても、おなおしせいでか。できるかぎりの治療法を試みてみましょう」
 わしはその日から人も寄せず、みずからたすきがけで、夜となく昼となく、女の治療に専心したわ。
 七日ばかりすると、ようよう好転したでの、わしは嬉しゅうて、内心思うよう、(いましばらくこのままに女をとどめておこう。どこの誰と身許(みもと)を聞いてから帰せばよい)
 今は冷水をそそぐという治療法もやめて塗薬をつけるだけとなった。升麻湯、猪蹄湯(ちょていとう)、大黄湯(だいおうとう)、などを茶碗に入れ、鳥の羽を以て日に五、六度つけておいた。命はとりとめ、病状はおさまったと、わしも喜ばしかった。
 女はなおさらのようにみえた。
「こんな恥ずかしいところまでお目にかけて、いまはあなたさまを親とも頼む心地でございます。わたくしの帰りますときにも、どうかあなたさまのお車でお送り下さいませ。そのときに、ところも名も申しましょう。また、こののちもいつもあなたさまのもとへ参りとう存じます。ご迷惑ではございませんわね?こののちも、親しくおつき合いくださいませね」
 ――その愛嬌ある流し目、わしに寄りかかる色っぽいしぐさ、わしは思わず笑みまけて、
(ここ四、五日すれば、病いはすっかり癒えようて。さすればこの女と睦まじい語らいもしよう。今は女も、病いに気を取られて、それどころではないかもしれぬが……。この女、ほかに頼る者とてないようにいうから独り身かもしれぬ。もしまた人の妻であってもかまうものか、時々、忍び会えばよい。人妻と密かに会うというのも、楽しみなものじゃ)
 病い癒えた日にはしっぽりと……とわしは心中にんまりした。
 その夕方じゃ。いつものようにわしは夕食を手ずから持って女のもとへいった。女の姿も、女童(めのわらわ)の姿もないが、衣(きぬ)がそのまま脱ぎ散らしてあり、櫛の筥(はこ)がそこに開いたまま、ある。袴も脱いで長々と置かれてある。
 屏風のうしろで用足しでもしているのであろうと、わしは戻ってきた。
 日が暮れたので、わしは灯台を持って再び行ってみた。明りのもとで見れば、もとのまま、衣は脱ぎ散らしてあって人はいず。
「これ、どこへ行かれた……」
 叫べど呼べど、屏風のうしろにも部屋の隅にも人かげはなし。女が寝間着に着ていた、薄い綿入れだけ見えぬから、あれだけを着て逃げたのであろうか。
「ええい、さがせ、さがせ!」
 わしは門をとざして召使に松明(たいまつ)を持たせ、くまなく家うちをさがさせたが、なんで今まで居(お)ろう。あの女め、癒(なお)ったと知ると、いちはやく逃げおった。わしをだますため、衣を脱ぎちらし、櫛の筥もそのままにして、寝間着一つで逃げおった。しめし合せて、近くに車でも呼んでおいたに違いない、どこの誰とも知れず、ついに手がかりもないのじゃ。
 のがしたと思うと女の美しい色っぽい顔が目に浮かび、いっそう恋しさはつのる。こんなことなら、ええい、癒るまで待たずに、思い通りにしておくのであった。治療ばかりで指一本ささず、なんという間ぬけたことを、とわしは思うだに、悔しゅうてならぬ。
 何と?
 その女が賢いとほめるのか、ええい、わしの身にもなってくれやい。咽喉(のど)のかわいておる者の目の前に、甘露の水を見せられてまた取り上げられたようじゃ。口惜しゅうてならぬわいやい……。

 老典薬頭は足ずりし、べそをかいて涙をこぼす。人々は笑いをこらえるのに死ぬ思いをしているようである。>

 本文は以下のごとくくくられている。

 <思ふに、極(いみじ)く賢かりける女かな。遂に誰とも不被知ら止(しられでやみ)にけりとなむ語り伝へたるとや。>(前出書)


 わが国最古の医術書『医心方』の訳者である槇佐知子著『今昔物語と医術と呪術』(築地書館)にはこの話が載っていない。したがって、「女のデキモノ」が何であったか、また老医師が処方した薬の詳細も伺い知ることがかなわない。本文では病名が欠字になっているが、解説に「“癰(よう)”・“癤(せつ)”の類か」とある。(田辺聖子本では「ようそ」となっているが、多分、「癰疽」のことだろう。)ネットで検索した『鍼灸重宝記』の「外科門」“瘡瘍(かさはれもの)”を閲覧すれば、“癰”は「大きくて高く盛り上がっておこるもの」、“癤”は「頭のある小瘡」とある。そして「これらの病では多くの場合、魚肉、厚味を食し、座ってばかりで身体を使わず、色慾を過ごしたことにより、水がへり、火が盛んになったためにおこる。熱毒が内側を攻め、気血が煎熬(せんごう)して出来上がったもの」という。

 また、岩波の『今昔物語集』では老医師がどんな処方をしたか具体的な記述はないが、田辺聖子本は治療の後半に使用した薬として“升麻湯”“猪蹄湯”“大黄湯”を使ったと明記している。その根拠は知る由もないが、想像するに、執筆の過程で田辺聖子が医者のご主人に「お知恵拝借」して創作したのかも知れない。ついでにこれらの薬がどんなものか『漢方診療ハンドブック』(医歯薬出版)で調べると、“升麻”の薬効は「清熱解毒・発表透疹・昇挙陽気」、“猪蹄(猪苓か?)”は「利水滲湿」、“大黄”は「瀉下・攻積導滞・瀉火涼血・袪瘀通経」とある。これをみると先にあげた『鍼灸重宝記』で指摘される「水がへり、火が盛んになった」症を癒やす処方だったと納得がいく。


 いずれにしても千年の昔の話が、まことに生々しく蘇える。逃げた女の気持ちが痛いほどよくわかる話である。もっとも、地団太踏んで口惜しがる老医師に同情しないものでもないのだが……。

 『鍼灸重宝記』:http://big--mama.jp/CH/


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