耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

「エルサレム賞」を受賞する“村上春樹”へ非難殺到!

2009-02-09 08:57:44 | Weblog
 著書『パレスチナ』(岩波新書)などで知られるフォト・ジャーナリストの広河隆一さんは、先月、イスラエルの侵略虐殺現場のガザに入り、自身のホームページ(『DAYSから視る日々』:http://daysjapanblog.seesaa.net/archives/20090205-1.html)で現状を逐次報告、去る6日帰国されたらしいが、7日の記事(「村上春樹氏にエルサレム賞受賞について」)をみて驚かされた。フランツ・カフカ賞を受け、ノーベル文学賞に最も近い日本の作家といわれる村上春樹が、国家を偽証するイスラエルから「エルサレム賞」を受賞するというのだ。ネットでは村上春樹への厳しい非難の声が上がっている。「偽証国家」イスラエルを知るためにもぜひ、以下のリンクをご覧ください。

 『P-navi info』:http://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.htm

 『村上春樹への公開書簡』:http://palestine-forum.org/doc/2009/0129.html


 なお、『P-navi info』さんの記事にリンクされていた「イスラエルの戦争犯罪を告発するユダヤ教徒カウフマン卿の演説」を収録しておいた。同じユダヤ人でも、こうした良識ある人々が健在であることにホッとさせられる。


 <ナチスの亡霊にとり付かれたようなイスラエル、目にあまるパレスチナ人虐殺の惨状の数々。ホロコーストで家族を失ったユダヤ系英国人、ジェラルド・バーナード・カウフマン卿は、2009年1月15日、英国議会下院でガザの悲劇をナチスによる大量虐殺に喩える演説を行った。(翻訳:宮前ゆかり/TUP)

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「ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺する兵士たちよ、ナチスに殺された我が祖母の死を隠れ蓑にするな」
  
 私は正統派ユダヤ教徒として、そして、シオニストとして育てられましたが、我が家の台所の棚には、ユダヤ民族基金のためのブリキの箱があって、そこに私たちは小銭を入れてはパレスチナにユダヤ人の存在感を築いている開拓者たちを支援していました。

 私が初めてイスラエルを訪問したのは1961年で、そのあと行った回数は数え切れません。イスラエルには家族がいましたし、今でもイスラエルに友達がいます。その一人は1956年、1967年、そして1973年の戦争に従軍し、そのうち二回では、負傷もしました。私が今身につけているタイピンは、その友人に与えられた従軍勲章から作ったもので、彼から贈り物としてもらいました。

 私は初代首相ダヴィド・ベン・グリオン以来、イスラエルの首相のほとんどと知り合いです。ゴルダ・メイアは私の友人でしたし、将軍として1948年の独立戦争のときにネゲブでイスラエル勝利を収めた副首相イガル・アロンも友人でした。

 私の両親はポーランドから避難民として英国に来ました。両親の親族のほとんどがその後ホロコーストでナチスに殺されました。祖母は、ナチスがスタシュフの町に侵攻したとき、病床にありました。ドイツ軍兵士がベッドに伏せていた祖母を撃ち殺しました。

 祖母の死を、ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士の隠れ蓑にしないでください。現在のイスラエル政府は、パレスチナの人びとに対する殺戮行為を正当化するために、ホロコーストにおけるユダヤ人虐殺に対し異教徒たちが抱き続けている罪の意識を冷酷かつ冷笑的に悪用しています。それは、ユダヤ人の命は貴重であるが、パレスチナ人の命は価値がないとする視点を暗黙に示唆しています。

 2,3日前のスカイ・ニュース(訳注1)で、イスラエル軍のスポークスパーソンの女性、レイボビッチ曹長が、イスラエル人がその時点で800人ものパレスチナ人を殺していることについて質問を受けていました。ちなみに今の合計数は1000人です。同曹長は即座に「そのうち500人は戦闘員です」と答えました。

 それはナチスの兵士の答えそのものでした。ワルシャワ・ゲットーで命をかけて戦っていたユダヤ人たちは、戦闘員だということで無視されたことでしょう。

 イスラエル外相ツィピー・リブニは、ハマースはテロリスト組織なので、政府は彼らとの交渉はしないと主張しています。リブニ外相の父、エイタン・リブニは、テロリスト組織であるイルグン・ツバイ・レウミの最高運営執行官で、エルサレムのキング・ディビット・ホテルの爆破を計画した人物です。その事件では4人のユダヤ人を含む91人が殺され犠牲となりました。

 イスラエルはユダヤ人のテロリズムから生まれました。ユダヤ人のテロリストたちは二人の英国人軍曹を縛り首にし、その死体に地雷爆弾を仕掛けました。イルグンはテロリスト組織であるシュテルン・ギャングと一緒に、1948年にデイル・ヤーシーンの村で254人のパレスチナ人の大虐殺(訳注2)を行いました。今日、現在のイスラエル政府は、好ましい状況ならばファタハのパレスチナ大統領アッパースとの交渉に応じるつもりがあることを示唆しています。それは手遅れというものです。彼らはファタハの前の指導者で私の友人でもあったヤーセル・アラファトと交渉することもできたはずです。それなのに、イスラエル政府はラーマッラーの掩蔽壕にアラファトを軟禁しました。私はその掩蔽壕まで彼を訪ねたものでした。

 アラファトの死後、ファタハの権威が失墜したため、ハマースが2006年のパレスチナの選挙で勝利を収めました。ハマースは非常に面倒な組織ですが、民主的に選出され、パレスチナで力を持つ唯一の勢力です。ハマースをボイコットすることは、私たちの政府によるボイコットも含めて、間違いとして咎めるべきです。その間違いを端緒にして、恐ろしい結果の数々が引き起こされています。

 私はかつてイスラエルの偉大な外相であったアバ・エバンと多くの政策で平和のために共闘したものでした。そのエバンが言っていました。「平和を築くためには、敵と話し合うものだ」

 ガザでどれだけ多くのパレスチナ人をイスラエルが殺したとしても、この実存的問題を軍事的手段で解決することはできません。いつ、どのような形で戦闘が終わろうとも、ガザでは150万人のパレスチナ人がいて、くわえて西岸地域には250万人のパレスチナ人がいます。パレスチナ人は、イスラエル人からゴミのように扱われています。何百ヶ所にものぼる通行止めがあり、身の毛のよだつほど恐ろしいユダヤ人不法入植者から嫌がらせを受けています。そのうち、今から遠くない将来、パレスチナ人の人口がイスラエル人人口を上回るときが来るでしょう。

 イスラエル政府に対し、同政府の行動および政策は許されないということを私たちの政府が明言し、イスラエルに完全な武器使用禁止令を命じるときがきました。平和を実現するときです。しかしそれは征服による解決ではなく、真の平和でなければなりません。イスラエルの本当の目的は征服による解決ですが、その達成は不可能です。彼らは単なる戦争犯罪者であるばかりではありません。愚か者です。>

(訳注1):イギリスの民放ニュース
(訳注2):デイル・ヤーシーン村の虐殺犠牲者は長らく254人とされてきたが、近年の研究により、首謀者が、パレスチナ人の恐怖を煽るためにその成果を誇張したということが判明している。実際の犠牲者数は100~120名。
 ▼ジェラルド・バーナード・カウフマンは労働党員で英国議会議員。