耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

破綻に瀕する“GM”は「ネズミ講」にはまっていた?

2009-02-03 12:06:15 | Weblog
 前回記事(「浜矩子著『グローバル恐慌』~中南米になぜ目を向けないか?)を書いた夜たまたま、『NHKスペシャル』で「サンパウロ 富豪は空を飛ぶ」と題するブラジルの最新経済情報が放送された。ここではアメリカ発の世界金融危機が「場違い」な形で現れていることがわかる。参考までにNHKのサイトから紹介記事を掲載しておく。いずれにしろ、これから中南米の動きには目を離せない。

 <BRICs(注:ブラジル・ロシア・インド・中国)の一角を担い、新興国パワーの象徴でもあるブラジル。世界的な金融危機の荒波は、ブラジルをも襲っている。その試練をブラジルは、圧倒的な農業力と豊富な資源で乗り切ろうとしている。
 経済の中心地であるサンパウロには、「空飛ぶ富豪」と呼ばれる人たちがいる。日常の移動手段はヘリコプター。自宅からビル屋上のヘリポートに上がり、オフィスや商談へとまるでタクシーのように乗り回す。誘拐や強盗の危機や劣悪な交通渋滞を避けるためである。サンパウロの空を飛ぶヘリコプターは4百を超える。個人所有の数は、ニューヨークを抜いて世界一、ヘリポートの数も4百以上でこれも世界一を誇る。
 そうした「空飛ぶ富豪」たちの中で、最近増えているのが、バイオ燃料エタノールで財を成した人たちである。広大な農地から収穫されたサトウキビを原料としたエタノールには、ブラジルの自動車の増加とともに、売り上げを伸ばしている。さらにポスト石油文明を模索する。アジア、アフリカなどからの投資も急増している。
 空飛ぶエタノール富豪のビジネスを追いながら、金融危機後の世界でリーダーを目指すブラジルの挑戦を描く。>(再放送:2月4日午前0時45分~1時34分)


 引き続き昨夜の『NHKスペシャル』は「アメリカ発 世界自動車危機」と題する興味深い報道だった。まず、同サイトの紹介記事を見ていただこう。

 <20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウンともいうべき崩壊の危機に直面している。2008年、金融危機の炎がまたたく間に自動車産業に延焼、旺盛だった自動車の需要は一気にしぼんだ。GMをはじめとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなどアメリカでの販売で利益を上げてきた日本のメーカーも深刻な打撃を受けている。
 なぜこんなことになったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは、長年のビジネスモデルを延命させるために作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、ウォール街が推し進めた証券化ビジネスと手を結んだ車販売のシステムが広がった。それが今回の金融危機で一気に瓦解したのである。
 時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開し始めている。大物投資家などが参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など環境対応車の時代への模索が加速している。自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動きから明らかにしていく。>(再放送:2月5日午前0時45分~1時34分)

 アメリカ自動車産業の危機もまた、新自由主義(市場原理主義)者たちが主導する「金融資本主義」がその背景にあったことがわかる。アメリカ経済は「金融商品」という一種の「ネズミ講」の胴元によって取り仕切られていたわけだ。

 「架空の消費」とはどういうことか。GMは金融子会社のGMCAを使って、収入や支払い能力も確かめず住所・氏名など簡単な書類審査でローンを組ませ、500万円以上もする高級車を売りつけてきた。杜撰なローンのリスクを回避する方法として「発明」されたのが債権の「証券化」である。わずかな優良債権と多量の不良債権をゴチャマゼにして高配当で世界中に売りまくったわけだ。当事者だったディーラーの一人は「自分で自分をだましてきた」と告白している。いま、“レポマン”という「取立て屋」が、ローン支払い不能となった消費者宅から有無を言わさず車を奪い取って行く。

 熊本に“天下一家の会”という「ネズミ講」をはじめた内村健一という男がいた。最盛期の会員数は180万人ともいわれたが、記憶を辿れば1967,8年ころ、造船所の職場でも会員勧誘に熱心に動いた人間がいたのを想い出す。のちに内村は会員からの訴えで逮捕されたが、「詐欺罪」には問われず「脱税」の罪で収監された。現実に世界を震撼させている「金融商品」は、“無限連鎖”を追求した点で「ネズミ講」によく似ている。「金融商品」を発明した人物も、この「ネズミ講」同様、恐らく「詐欺罪」に問われることはないだろう。それにしても、“カネ”をめぐる「だましの手口」の巧みさには「ホレボレ」するばかりである。


 つけ加えておきたいことは、「世界恐慌」といわれるこの時期が、時代の大きな転換期であることである。国際社会の秩序がどのように再構築されるのか、かつて「石炭から石油へ」と文明史が塗り替えられたような科学技術の新たな進展がどうなるか、世紀の分岐点がここに始まるような気がしてならない。