母恋

2005.3.5にすい臓がんにより天国へ旅立った母の手記や看病の記録、その後の生活などを書いてます。

お父さん、ごめんね。

2005-03-22 23:01:00 | 母の居ない生活
会社からの帰り道、どうしても泣いてしまう。

家に帰っても気持ちは引きずったまま。
明るく話す父の前でも泣いてしまった。
すると、父も泣いてしまった。

辛いのは私だけじゃないんだよね。
わかってるんだけど、ごめんね。

いつも「がんばろう。」って、励ましてくれるんだけど、今は、どうしてもがんばれない。
そんな気持ちになれない。
お父さんだってたくさん無理して、明るくしようとしてくれてるのに…。

本当にごめんなさい。

2005-03-21 23:00:01 | 母の居ない生活
朝方、夢を見た。
母が旅立ってから、初めての母の夢だ。

母は床に座り、ソファーにもたれ掛かり、とても優しい微笑みを浮かべていた。
私は母に、「触らせてぇー。」と、言い、おでこ、ほっぺ、鼻、耳たぶ、手…とにかく触れたくて、触れたくて…。
最後に母に抱きつくと、母はとても綺麗な顔で、永遠の眠りについた。
母は温かかった。

最近、母の遺影に向かって、「触りたいの。」と、よく言っていたので、こんな夢を見てしまった様だ。

母が病気になってから、出かける時は必ず握手をしていた。
あの母の手が懐かしい。
抱きついてきた、母の温かい体が懐かしい。

仕事復帰

2005-03-17 23:01:00 | 母の居ない生活
すごく気が重かったけど、会社に行った。

行く前まで、あんまり人と話したくないと思っていたので、もしかして嫌な奴になってしまうのでは…と、自分で心配だった。
でも、話してみると、案外あっさり話ができた。
隣の席のSさんは、「話したくなかったら、無理して話さなくてもいいですからね。」と気遣ってくれた。
「お母さんの好きなモノでも買ってあげて。」とか「元気出してね。」と言って、お香典をくれた方もいる。
ありがたいことです。
しかも、残業が4時間。…ありがたいことです。
久々の残業だったので、かなり疲れました。

会社からの帰り道、また、急に寂しくなった。

母が家に居た時は、駅に着くと、「何か買い物ある?」と電話をかけるのが常だった。
電話をかけても出ない時は、買い物してるんだなという事で、近くのスーパーに足をむけ、母を捜索。
見つけ次第、「あら、こんにちは~。」と、他人行儀に挨拶をしたりした。
入院中は、急いでうめ吉の散歩を済ませ、食事の支度を済ませて、母のもとへ。
そこにはいつも母が居た。
「おかえり~。」と、言ってくれた。

そんな事を思い出してしまい、もうダメだった。
泣きながら家に到着。
母の祭壇の前で大泣き。

暫く、この状態が続く模様です。

ご挨拶

2005-03-16 23:01:00 | 母の居ない生活
母が入院していた病院へ行った。
母が旅立った朝、慌しく病院を出たので、誰にも挨拶をしていなかったのだ。
ナースステーションの窓口に飾ってもらおうと、アレンジフラワーを持っていった。

久々に病院の中に入り、エレベーターで4階に上がる。また、涙が溢れてきた。
扉が開くと、目の前に、つい10日ほど前まで母が寝ていた病室が見えた。
まだ、そこに、母が居るような気がする。

父がナースステーションの窓口から会釈をする。
中から婦長さんが出てきた。
婦長さんの顔を見た途端、また、涙が出てきた。
そんな親子の腰に手をまわし、「がんばった、がんばった。待ってたよ。いつ来るかと思ってたよ。」
花をあげると、とても喜んでくれた。

「お世話になりました。明日から2人共仕事に出ることにしました。」父が言った。
「その方がいい。普通の生活に戻らなきゃ。」

母が入院中、私が泊まりで母の看病をし、朝、会社に行く時に、ナースステーションに声をかけてから出掛けていた。
「会社に行きますので、母の事よろしくお願いします。」
大抵、婦長さんが元気な声で「いってらっしゃ~い。」と、手を振ってくれた。
「風邪ひいてないかぁ~い。」
「私、バカだから大丈夫。」
この何て事のない挨拶で、どれだけ朝、元気になっただろうか…。本当にありがたかった。

婦長さんのお母様も、癌で他界されたと書いた事があるけれど、特に私の気持ちがよくわかるらしく、闘病中の母や私に、何かと声をかけ、気遣ってくれた。

主治医のY先生も呼んでいただいた。
お互いに深々と頭をさげ、「ありがとうございました。」「ご苦労様でした。」

「先生には、母の我侭をきいていただき、満足のいく治療ができなくて、すいませんでした。」

抗がん剤の治療を拒否していた母、あちこちに管を通されるのを嫌がっていた母、家で普通に生活したがった母…、そんな母の気持ちを汲みつつ、できる限りの治療をして下さった、Y先生。
悔しく、歯がゆい思いをしていたに違いない。
私よりも2つ年下の、小柄で可愛い先生。本当にありがとうございました。これからもたくさんの患者さんを助けてあげてください。

あまり長居しても忙しい先生や看護婦さんに申し訳ないので失礼する事にした。
涙を流しながらさよならする私に、婦長さんがハグしてくれた。
「元気をあげるから、がんばって。寂しくなったら会いに来るんだよ。」
「ありがとうございます。」

明日から仕事。
ちょっと気が重いけど、行かねばなるまい。

募る思い

2005-03-15 23:01:00 | 母の居ない生活
母が居なくなって、10日が経った。
時間が経てば、少しずつでも心が癒えるかなと思っていたけど、まるで逆だ。
母への思いは、どんどん募っていく。

呼んでも来てくれるわけはない。
わかってはいるが、「お母さん。」と、何度も呼んでしまう。

そして、どうして母が膵臓癌なんかに…。
と、存在の見えない何者かに、疑問を問い掛け、最後には責め立ててしまう。

タバコを吸うわけでもなし、酒を飲むわけでもなし、子供の頃から一生懸命に生き、結婚してからは家族の為に生き、自分のしたい事も我慢して一生懸命に働いていた母が、何故あんな痛くて苦しい病気になって死ななければならなかったのか。
腹が立って仕方がない。

ひとり

2005-03-12 23:01:00 | 母の居ない生活
昨日、初七日を終え、色々な人達と母の事を話したので、少し心が癒えたかなと思い、
会社の人へのお返し等を買いに、1人で買い物に行った。

初めのうちは、何にしようか等と悩んだりしていて、買い物の事だけに集中していたので大丈夫だったのだけれど、1時間、2時間と時間が過ぎていくうち、いつもいる母が横にいない事に気付き、周りの仲良し母娘が仲良く服を選んだり、名前を呼び合ったりしているのが目に付きだし、急に悲しくなり、涙が止まらなくなってしまった。

帰りは地下鉄で帰ろうと思っていたけれど、すぐに携帯で父に連絡し、迎えにきてもらうことにした。

いつまでこんな感じなのだろう。
父といたり、親戚と母の事を話している時は、笑いながら話せるのに…。

長い時間母と過ごしすぎたのかな。

3月7日(日)

2005-03-07 23:01:00 | 母の居る生活
いよいよ、母とお別れ。

棺には京都旅行の時に来て行った服と10円玉を入れた。

服はほとんどが私のもの。
パーカーは、私のおさがり。
ベストとブラウスは、旅行前に母が着ていくモノを何にしようか悩んでいた時に、私が自分の服を勧め、母が「じゃ、借りるね。」と、言っていたモノ。
それに、黒のジーパンと、いつもしていた赤いバンダナ。
忘れてはいけない、買ったばかりのメガネと、入れ歯。

花を渡され、棺に花を入れる。
「お母さん、がんばったね。ご苦労さん。」
母のおでこに私のおでこを合わせた。今度は嫌な顔されない。
最後に白い蘭の花を入れる。
これで本当に最後。
「おかあさん、大好きだよ。」
とうとう、棺は閉められた。もう、お母さんの顔は見られない。

火葬場に母の棺が運ばれていく。涙が止まらなかった。

骨になった母。
その骨は、あんなに細くて小柄な母のものとは思えないほど、太くて真っ白だった。
本当に母はすい臓だけが悪かったんだな。
それを思うと悔しくて悔しくてたまらなかった。
頭蓋骨もしっかり残っている。
こんなにきれいに残っているのは珍しいですよと言われた。

母の骨を拾い、骨壷に入れると溢れるほどだった。
ついさっきまで寝ているように横たわっていた母は、この四角い箱の中に納まってしまった。

お母さん、よく頑張ったね。今まで本当にありがとう。
元気な時に冗談で言っていたけど、驚かないから出てきていいよ。

3月5日(土)パート2

2005-03-06 23:01:00 | 母の居る生活
その後、母は体を綺麗にしてもらい、白地に紺の花柄の寝巻きを着せられた。
その姿を見て、私は3才の頃に見た母を思い出した。
当時入院していた時に、母はこんな感じの寝巻きをきていた。
また、涙か出た。

6日は友引という事で、母は1日安置される事になった。
私は、母が毎日のように、「家に帰りたい。」と、言っていたのを思い出し、父に、「家に寝かせてあげられない?」と、尋ねた。
父は「家は5階でエレベーターもないしなぁ。でも頼んでみよう。」
葬儀担当の方には申し訳なかったけれど、無事母は家に帰って来る事ができた。
「お母さん、お帰り。やっと帰ってこれたね。」
うめ吉も母の顔をペロペロ。しばらく肩に前足をのせてその場所でじっとしていた。

その日のうちに、死亡届を出しに区役所に向かった。
そこにつくまで、泣きっぱなし。
書類に記入する間も泣きっぱなし。
帰りは母とよく歩いていた道をとおって帰った。
その間も泣きっぱなし。
どこに行っても、どこを歩いても、母の事を思い出す。

その日は、母の足元を枕にして寝た。とても、気持ちよかった。

3月6日、お通夜の為、会場に母を運ぶ。
5階から母を担架に載せておろしていると、うめ吉がその後を追う。
私が何度呼んでも、言う事をきかない。
外に出てやっと捕まえ、抱くと、母の載せられた担架を見て、悲しそうな声で鳴いていた。
「うめちゃん、お母さんとお別れだよ。」

身内だけという母の遺言で、極々身内のお通夜になった。
父が最後に挨拶。
泣きながらこんな事を言っていた。
「○○(母の名前)は私にとってベストパートナーでした。」

後で泊まる事になっていた親戚と父がいない時に話していると、「あの言葉は本当にそうだね。あれ聞いて泣けてきたよ。」と、皆が言っていた。
若い時の父と母の事は私はもちろん知らない。
でも、2人は本当に運命に導かれて一緒になったんだと、皆の話を聞いていて思った。

3月5日(土)

2005-03-05 23:01:00 | 母の居る生活
朝、看護婦さんの母の呼ぶ声で目が覚める。
「お母さん、息してません。お父さん呼んでください。」
慌てて父に電話をかける。
「お父さん、お母さんが息してないみたい。」
それから、看護婦さんが心臓マッサージをはじめる。
当直医がなかなかこない。
10分後(5分位かもしれないけれど、以上に長く感じた。)医師がやってくる。
5分位だろうか、心臓マッサージをして、瞳孔もひらいている状態だったので、私に「臨終を告げていいですか?」と、聞いてきた。
「…。」私は無言。そんなの嫌だ。
医師「5時43分、ご臨終です。」
手早く器具を片付け退室。
私は諦め切れず、1人母の心臓マッサージ。
そのうち父もやってきた。「お母さん、おかあさん。」
その間も私は「お母さん、ここに戻ってきて、お願いだから、お母さん戻ってきて。」と、叫びながら、心臓マッサージ。
父に「もう、お母さん、静かにねかせてあげよう。」と、言われ、6時50分、泣き喚きながら手を止める。
自分の失態に母に謝る。
「ご免ね、お母さん、気付いてあげられなくて。○○(inazo_の本名)って呼んだのに、私、気付かないでバカみたいにねてたんでしょ。ご免ね、ご免ね。」
母はまだ温かく、眠っているようだった。

私が眠りにつく前に、色んな会話をした。

私:「この頃、お父さんってよく呼ぶけど、私の名前呼んでくれないね。」
母:「そぉーお?」
(2、3分後)
母:(私の顔をじっと見て)「○○ちゃん、○○さん。」
私:「久しぶりに呼んでくれたね。嬉しい。ありがとう。」
(母のおでこに私のおでこを合わせてスリスリ。)
(母、嫌がる)
私:「ごめん、ごめん。触られるのいやか。」

私:「フルーツの缶詰があるけど、食べる?」
母:「頂戴。」
私:「ラフランスと黄桃があるけどどっちがいい?」
母:「…。」
私:「ラフランス?黄桃?」
母:(黄桃でうなずく。)
私:「分かった。ちょっと待っててね。」(黄桃の缶詰をもってくる)「はい。」
母:「美味しそうにたべる。」
私:「おいしい?」
母:「おいしい。」(美味しそうにパクパクと食べる)
私:「いらなくなったら、いらないって言ってね。」
母:(うなずく。半分ほど食したところで)「もういい。」
私:「ごちそうさま。」
母:「はい。」

私:「お母さん、病気が治って元気になったら、また旅行行こうね。」
母:(うなずく)
私:「今度は桜見に行くよぉ。」
母:(うなずく)

母:「あ~ああ~…♪」
私:「何の歌歌ってるの?」
母:「わかんない。」
私:「私が歌ってあげるか?」
母:「歌ってぇ。」
私:「何の歌がいい?」
母:「わかんない。」
私:「わかんなきゃ歌えないじゃん。」

私:「明日も仕事だから、そろそろ寝るかなぁ。」
母:「はい。」
私:「おやすみー。」
母:「はい、おやすみー。」(間をおいて)「来てー、来てー。」
私:「いやーだよ。おやすみー。」
母:「おやすみー。」
そんな事を繰り返しながら、母は1人で何やら話していたが、そのまま私は寝に入ってしまった。

結局これが最後の会話となってしまいました。
私って、なんて冷たい人間なんだろう。なんてバカな人間なんだろう。
素直に行ってあげればよかったのに、どんな時でも油断できない状態だったのに、
つい油断してしまって…。
悔やんでも悔やみきれない。



3月4日(金)

2005-03-04 23:01:00 | 母の居る生活
叔母が付き添っている時、

「お兄様、お兄様。」(叔母の亡夫)

と、言った様だ。

母の兄は8年前程に、白血病で亡くなった。
後に母に聞いたのだけれど、自分の母親や父親を亡くした時よりも1番悲しかったと、言っていた。

21時
血圧120-50、酸素95%。良好。
体の向きを変える。
「痛い、痛い、…。」
本当に痛そうで可哀想。