母恋

2005.3.5にすい臓がんにより天国へ旅立った母の手記や看病の記録、その後の生活などを書いてます。

3月5日(土)パート2

2005-03-06 23:01:00 | 母の居る生活
その後、母は体を綺麗にしてもらい、白地に紺の花柄の寝巻きを着せられた。
その姿を見て、私は3才の頃に見た母を思い出した。
当時入院していた時に、母はこんな感じの寝巻きをきていた。
また、涙か出た。

6日は友引という事で、母は1日安置される事になった。
私は、母が毎日のように、「家に帰りたい。」と、言っていたのを思い出し、父に、「家に寝かせてあげられない?」と、尋ねた。
父は「家は5階でエレベーターもないしなぁ。でも頼んでみよう。」
葬儀担当の方には申し訳なかったけれど、無事母は家に帰って来る事ができた。
「お母さん、お帰り。やっと帰ってこれたね。」
うめ吉も母の顔をペロペロ。しばらく肩に前足をのせてその場所でじっとしていた。

その日のうちに、死亡届を出しに区役所に向かった。
そこにつくまで、泣きっぱなし。
書類に記入する間も泣きっぱなし。
帰りは母とよく歩いていた道をとおって帰った。
その間も泣きっぱなし。
どこに行っても、どこを歩いても、母の事を思い出す。

その日は、母の足元を枕にして寝た。とても、気持ちよかった。

3月6日、お通夜の為、会場に母を運ぶ。
5階から母を担架に載せておろしていると、うめ吉がその後を追う。
私が何度呼んでも、言う事をきかない。
外に出てやっと捕まえ、抱くと、母の載せられた担架を見て、悲しそうな声で鳴いていた。
「うめちゃん、お母さんとお別れだよ。」

身内だけという母の遺言で、極々身内のお通夜になった。
父が最後に挨拶。
泣きながらこんな事を言っていた。
「○○(母の名前)は私にとってベストパートナーでした。」

後で泊まる事になっていた親戚と父がいない時に話していると、「あの言葉は本当にそうだね。あれ聞いて泣けてきたよ。」と、皆が言っていた。
若い時の父と母の事は私はもちろん知らない。
でも、2人は本当に運命に導かれて一緒になったんだと、皆の話を聞いていて思った。

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3 コメント

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Unknown (ちかちー)
2005-04-06 01:29:26
うめ吉がお母さまに寄り添う姿が目に浮かんでくるようです。。。

犬だってこういうことが分かりますものね。。。

家で飼ってる犬だったら尚更、家族の一員のようなものですし。。。



お母さまもお家に帰ってきて嬉しかったことと思います。

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Unknown (ほたる)
2006-02-13 23:30:39
月日も時間も遅くにごめんなさい。

でも、書かずにはいられなくてこうして書いてます。



私の父もinazoさんのお父様と同じような言動をとりました。

母の遺体が部屋に安置された時、真っ先に父はその枕元に駆け寄りました。

そして、「僕は仕事ばかりで何もかまってやれなかった。子供たちのこと立派に育ててくれてありがとう。苦労をかけた。最高の女房だった」と。

その場に居合わせたみんなが泣いてしまいました。

その晩、私は母と同じ部屋に寝ました。

翌朝、父が、「母さんと寝たか」と私に聞きました。泣き腫らした顔で「うん」と言ったら、「母さんよろこんでるぞ」と言ってくれました。

苦しく、思い出したくない思い出です。



夜も更けました。

ご迷惑でしょうが、時々お邪魔させて下さいね。

おやすみなさい。



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コメントありがとうございます (inazo_)
2006-02-19 22:59:28
>ちかちーさん

私、レスしてなかったんですね。

今頃気付きました。…m(__)m



>ほたるさん

居なくなってから気付くことってたくさんありますよね。

父にとっても私にとっても、母に対しては、あれをしてあげればよかった、こうしてあげればよかったと、後悔してばかりです。

もっともっと大事にしてあげなければいけなかった、本当に大切の人だったってつくづく思いました。



ほたるさんのお母様もきっと素晴らしい方だったんですね。



どうぞいつでもここにきて、色々な気持ち、書き込んでって下さいね。

いつでも大歓迎です。
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