母恋

2005.3.5にすい臓がんにより天国へ旅立った母の手記や看病の記録、その後の生活などを書いてます。

3月7日(日)

2005-03-07 23:01:00 | 母の居る生活
いよいよ、母とお別れ。

棺には京都旅行の時に来て行った服と10円玉を入れた。

服はほとんどが私のもの。
パーカーは、私のおさがり。
ベストとブラウスは、旅行前に母が着ていくモノを何にしようか悩んでいた時に、私が自分の服を勧め、母が「じゃ、借りるね。」と、言っていたモノ。
それに、黒のジーパンと、いつもしていた赤いバンダナ。
忘れてはいけない、買ったばかりのメガネと、入れ歯。

花を渡され、棺に花を入れる。
「お母さん、がんばったね。ご苦労さん。」
母のおでこに私のおでこを合わせた。今度は嫌な顔されない。
最後に白い蘭の花を入れる。
これで本当に最後。
「おかあさん、大好きだよ。」
とうとう、棺は閉められた。もう、お母さんの顔は見られない。

火葬場に母の棺が運ばれていく。涙が止まらなかった。

骨になった母。
その骨は、あんなに細くて小柄な母のものとは思えないほど、太くて真っ白だった。
本当に母はすい臓だけが悪かったんだな。
それを思うと悔しくて悔しくてたまらなかった。
頭蓋骨もしっかり残っている。
こんなにきれいに残っているのは珍しいですよと言われた。

母の骨を拾い、骨壷に入れると溢れるほどだった。
ついさっきまで寝ているように横たわっていた母は、この四角い箱の中に納まってしまった。

お母さん、よく頑張ったね。今まで本当にありがとう。
元気な時に冗談で言っていたけど、驚かないから出てきていいよ。

3月5日(土)パート2

2005-03-06 23:01:00 | 母の居る生活
その後、母は体を綺麗にしてもらい、白地に紺の花柄の寝巻きを着せられた。
その姿を見て、私は3才の頃に見た母を思い出した。
当時入院していた時に、母はこんな感じの寝巻きをきていた。
また、涙か出た。

6日は友引という事で、母は1日安置される事になった。
私は、母が毎日のように、「家に帰りたい。」と、言っていたのを思い出し、父に、「家に寝かせてあげられない?」と、尋ねた。
父は「家は5階でエレベーターもないしなぁ。でも頼んでみよう。」
葬儀担当の方には申し訳なかったけれど、無事母は家に帰って来る事ができた。
「お母さん、お帰り。やっと帰ってこれたね。」
うめ吉も母の顔をペロペロ。しばらく肩に前足をのせてその場所でじっとしていた。

その日のうちに、死亡届を出しに区役所に向かった。
そこにつくまで、泣きっぱなし。
書類に記入する間も泣きっぱなし。
帰りは母とよく歩いていた道をとおって帰った。
その間も泣きっぱなし。
どこに行っても、どこを歩いても、母の事を思い出す。

その日は、母の足元を枕にして寝た。とても、気持ちよかった。

3月6日、お通夜の為、会場に母を運ぶ。
5階から母を担架に載せておろしていると、うめ吉がその後を追う。
私が何度呼んでも、言う事をきかない。
外に出てやっと捕まえ、抱くと、母の載せられた担架を見て、悲しそうな声で鳴いていた。
「うめちゃん、お母さんとお別れだよ。」

身内だけという母の遺言で、極々身内のお通夜になった。
父が最後に挨拶。
泣きながらこんな事を言っていた。
「○○(母の名前)は私にとってベストパートナーでした。」

後で泊まる事になっていた親戚と父がいない時に話していると、「あの言葉は本当にそうだね。あれ聞いて泣けてきたよ。」と、皆が言っていた。
若い時の父と母の事は私はもちろん知らない。
でも、2人は本当に運命に導かれて一緒になったんだと、皆の話を聞いていて思った。

3月5日(土)

2005-03-05 23:01:00 | 母の居る生活
朝、看護婦さんの母の呼ぶ声で目が覚める。
「お母さん、息してません。お父さん呼んでください。」
慌てて父に電話をかける。
「お父さん、お母さんが息してないみたい。」
それから、看護婦さんが心臓マッサージをはじめる。
当直医がなかなかこない。
10分後(5分位かもしれないけれど、以上に長く感じた。)医師がやってくる。
5分位だろうか、心臓マッサージをして、瞳孔もひらいている状態だったので、私に「臨終を告げていいですか?」と、聞いてきた。
「…。」私は無言。そんなの嫌だ。
医師「5時43分、ご臨終です。」
手早く器具を片付け退室。
私は諦め切れず、1人母の心臓マッサージ。
そのうち父もやってきた。「お母さん、おかあさん。」
その間も私は「お母さん、ここに戻ってきて、お願いだから、お母さん戻ってきて。」と、叫びながら、心臓マッサージ。
父に「もう、お母さん、静かにねかせてあげよう。」と、言われ、6時50分、泣き喚きながら手を止める。
自分の失態に母に謝る。
「ご免ね、お母さん、気付いてあげられなくて。○○(inazo_の本名)って呼んだのに、私、気付かないでバカみたいにねてたんでしょ。ご免ね、ご免ね。」
母はまだ温かく、眠っているようだった。

私が眠りにつく前に、色んな会話をした。

私:「この頃、お父さんってよく呼ぶけど、私の名前呼んでくれないね。」
母:「そぉーお?」
(2、3分後)
母:(私の顔をじっと見て)「○○ちゃん、○○さん。」
私:「久しぶりに呼んでくれたね。嬉しい。ありがとう。」
(母のおでこに私のおでこを合わせてスリスリ。)
(母、嫌がる)
私:「ごめん、ごめん。触られるのいやか。」

私:「フルーツの缶詰があるけど、食べる?」
母:「頂戴。」
私:「ラフランスと黄桃があるけどどっちがいい?」
母:「…。」
私:「ラフランス?黄桃?」
母:(黄桃でうなずく。)
私:「分かった。ちょっと待っててね。」(黄桃の缶詰をもってくる)「はい。」
母:「美味しそうにたべる。」
私:「おいしい?」
母:「おいしい。」(美味しそうにパクパクと食べる)
私:「いらなくなったら、いらないって言ってね。」
母:(うなずく。半分ほど食したところで)「もういい。」
私:「ごちそうさま。」
母:「はい。」

私:「お母さん、病気が治って元気になったら、また旅行行こうね。」
母:(うなずく)
私:「今度は桜見に行くよぉ。」
母:(うなずく)

母:「あ~ああ~…♪」
私:「何の歌歌ってるの?」
母:「わかんない。」
私:「私が歌ってあげるか?」
母:「歌ってぇ。」
私:「何の歌がいい?」
母:「わかんない。」
私:「わかんなきゃ歌えないじゃん。」

私:「明日も仕事だから、そろそろ寝るかなぁ。」
母:「はい。」
私:「おやすみー。」
母:「はい、おやすみー。」(間をおいて)「来てー、来てー。」
私:「いやーだよ。おやすみー。」
母:「おやすみー。」
そんな事を繰り返しながら、母は1人で何やら話していたが、そのまま私は寝に入ってしまった。

結局これが最後の会話となってしまいました。
私って、なんて冷たい人間なんだろう。なんてバカな人間なんだろう。
素直に行ってあげればよかったのに、どんな時でも油断できない状態だったのに、
つい油断してしまって…。
悔やんでも悔やみきれない。



3月4日(金)

2005-03-04 23:01:00 | 母の居る生活
叔母が付き添っている時、

「お兄様、お兄様。」(叔母の亡夫)

と、言った様だ。

母の兄は8年前程に、白血病で亡くなった。
後に母に聞いたのだけれど、自分の母親や父親を亡くした時よりも1番悲しかったと、言っていた。

21時
血圧120-50、酸素95%。良好。
体の向きを変える。
「痛い、痛い、…。」
本当に痛そうで可哀想。

3月1日(火)

2005-03-01 23:01:00 | 母の居る生活
今日から3月。母の誕生月だ。
昨日、何をしても眉間に皺を寄せ、機嫌が悪かったので、「何して欲しい?私は何をしてあげればいい?」と、半分泣きそうになりながら尋ねると、「あのね、イボ痔をねぇ…。」と…。
『えっ?』と、思っていると、自分でも変に思ったのか、「イボ痔だと…何言ってるんだ。」と、言いながら、笑いだした。
私もつられて笑ってしまった。
「あ~おかしい、おかしい。」と、言いながら、笑っている母の顔を見て、初めは一緒に笑っていたけれど、久しぶりのその笑顔に会えた嬉しさから、なんだか泣けてきて、笑いながら泣くという、訳の分からない状態になってしまった。
私「お母さん、今凄くいい顔してるよ。」
母「そぉ?」
また暫くして
母「誕生日…誕生日…花…。」
私「誕生日のプレゼント、花でいいの?」
母「お花…花。」
私「なんの花がいい?」
母「…。カーネーション。」
なんか、母の日と間違ってる様な…。
私「わかった!了解しました。…で、お母さん、いくつになるの?」
母「66。」
私「…お母さん、どうしてサバよむ? 67でしょ。」
母「違うよ~。66だよ~。」
私「違うよ。67だよ。」
母「ちがうって66なんだって。」
また、眉間に皺が寄ってきたので
私「そうか、そういう事にしとくか。」

何でもない会話だけど、何だか幸せな気持ちになれた。

2月27日(日)

2005-02-27 23:01:00 | 母の居る生活
今日は久々にPCを開いた。
なかなか更新しない日記やHPに、毎日の様に訪問、掲示板へのカキコミ、日記に対してのコメント等々があり、本当にありがたい。
暫く更新をしていなかったので、心配をかけてしまったのでは…と、焦ってしまった。

今の母の状態は、一時期よりは安定している。
食事もほんの僅かだけれど、またとれるようになった。
ただ、酸素の摂取量が以前より低くなってきているので、今は酸素マスクをしている。
すぐに外してしまうので、心配だ。
あと、熱もある様で、もしや風邪やインフルエンザでは?と、これもまた心配。
私の会社でも流行っているので、気を付けなければ…。
私が風邪を引いてしまっては、抵抗力が弱くなっている母への感染につながるので、いつもの年より緊張。
今の時期、母の事+自己管理が大切。


2月17日(木)

2005-02-17 23:01:00 | 母の居る生活
一時は70代まで下がった血圧も、114まで上がって、ひとまずホッとしている。
次の問題は痰。
咳払いする力がないようで、なかなか口まで上がってこない。
吸引の管を鼻から入れたり、口から入れたり…。
とても辛そうで見るに忍びないけれど、腕を押さえていなければ、看護婦さんの手を払いのける勢いなので、いたしかたない。
お母さん、ごめんね。我慢してね。
私なりの対策を練って実行してみた。
まず、洗面台に栓をして熱いお湯を溜める。
そして、今日買ってきたばかりのエッセンシャルオイルをお湯に数滴たらす。
殺菌作用があり、咳や痰が出る時に役立つという、ティートリーというのを使ってみた。
更にありったけのタオルをそのお湯で湿らせて、暖房の上、ベッドの手すりなどにかけてみた。
残りのお湯も捨てずに暫く放置。
あっと言う間に部屋の湿度が5%上がった。
少しでも痰が出やすくなればいいんだけど…。
お母さんの為ならエーンヤコーラです。

2月16日(水)

2005-02-16 22:07:57 | 母の居る生活
昨日まで正常だった血圧が、朝方からいつもより低くなってしまった。
昨日までは上が110位だったのに、今は80代。
酸素の量も昨日までは90代だったのに、80代を行ったり来たり。
凄く心配だから、今夜は眠れそうにありません。

今日の会話(その1)
母「イモ、イモ」
私「芋?」
母(頷く)
私「芋食べたいの?」母(頷く)
私「ジャガイモ?」
母「…。」
私「焼き芋?」
母(頷いて)「早く。買ってきて。」
私「えっ、今まだ8時だし、後でね。」
母「今、食べたいの。早く。」
私「分かった、分かった。」
母(安心して寝る)

今日の会話(その2)
私(ベッドの頭の位置を下げていると)
母「まだ…まだ。」
私「えっ?」(夢の中だと思い気にせず下げると)
母「よ~し。」
私「分かってたんだね。」

たまにだけど、通じる事があります。
そんな時は、凄く嬉しくて頬摺りしてしまいます。

2月15日(火)

2005-02-15 23:51:29 | 母の居る生活
何故か、以前から気になっていた本を、『早く買わなければ!』と、思い立ち、会社の帰りに買ってしまいました。
その本とは『観音経』(現代書館)です。
前に瀬戸内寂聴さんの法話集のCDを聴いている事を私のHPのどこかで書いたと思いますが、その中で観音様のお話がありまして、それがえらく気に入ってしまって、その時以来、困った時には「南無観世音、観音様お助け下さい…。」と、いうのが口癖の様になってしまいました。
私の場合は主に母の事になってしまうのですが、不思議と母の状態が良くなったり、思いがけない出会いがあったりします。
観音様はあらゆるモノに変化するそうで、母の事を心配してくれて、自分の事の様に涙を流したり、喜んだりしてくれる人、お祈りしてくれる人、この前の喫茶店のマスター…等々。
もしかしたら、皆、観音様の変化したお姿なのかもしれません。
こんな事を書いたら「大丈夫?」と、思われるかもしれませんが、何だか最近そんな風に思うのです。
で、本の事に戻りますが、文は弁護士の故遠藤誠さんが書いてまして、まずは順序正しくまえがきから読んでいたところ、最後に、『一九八九年二月十五日お釈迦さまのご命日に』と、書いてありました。
何たる偶然!!
これも観音様の仕業かも…と、思ってしまう今日も、母は頑張ってます。
今日の会話
私「また、旅行行くよ。次は金沢に連れてってあげるからね。」
(暫くして)母「3人…一緒…」
私「そうだね。うめも連れて皆で行くか。そうしよう。それがいい。」
母「…。」
私の勝手な解釈で戸惑っちゃったかなぁ。(・_・;)


2月14日(月)

2005-02-14 22:12:33 | 母の居る生活
散々、調子がいいと言っていたこの前の日記が嘘の様な、今は不安な状況です。
一昨日は婦長さんに、「会わせたい人がいるなら、連絡した方がいい。」と、言われました。
例の飲料を飲み始めて2、3日後、お腹の調子が悪くなりました。
「お腹が痛い。」と、訴えると、早速痛み止めの点滴、さらに朝には今までとは違う新しい点滴が…。
ここで凄い疑問だったのですが、膵臓癌になったら、普通にお腹が痛くなる事はないのでしょうか?
飲み慣れていないものを飲みました。
いつもより食事が増えました。
調子にのってパンを食べてしまいました。
フルーツもたくさん食べました。
そんな事は有り得ないのでしょうか…。
普通の腹痛の薬じゃ駄目なんでしょうか…。
それ以来、母とはほとんど会話が出来なくなってしまいました。
目の雰囲気がすっかり変わってしまいました。
薬を変えた前の晩、言ってはいけない事を口にしてしまいました。
母は寝ていたと思っていたのですが、次の日父にその事で話をしたらしいのです。
凄く気にしていたみたい…。
それ以来、いつもその事を謝っているのですが、反応がいまいちありません。
後悔してもしきれません。
食事もとれなくなりました。
意識のないまま口にものを入れても喉を詰まらせたり、気管に入って肺に水がたまり、肺炎になる恐れがあるという事でそういう事は止められています。
なので、水もフコイダンも飲めなくなってしまいました。
トイレも無くなり母の嫌いな管をいれています。
せっかくいい傾向にむかっていたのに…。
それでも諦められないので、話しかけたり、音楽を聴かせたり…。
お母さんごめんね。