母恋

2005.3.5にすい臓がんにより天国へ旅立った母の手記や看病の記録、その後の生活などを書いてます。

3月5日(土)

2005-03-05 23:01:00 | 母の居る生活
朝、看護婦さんの母の呼ぶ声で目が覚める。
「お母さん、息してません。お父さん呼んでください。」
慌てて父に電話をかける。
「お父さん、お母さんが息してないみたい。」
それから、看護婦さんが心臓マッサージをはじめる。
当直医がなかなかこない。
10分後(5分位かもしれないけれど、以上に長く感じた。)医師がやってくる。
5分位だろうか、心臓マッサージをして、瞳孔もひらいている状態だったので、私に「臨終を告げていいですか?」と、聞いてきた。
「…。」私は無言。そんなの嫌だ。
医師「5時43分、ご臨終です。」
手早く器具を片付け退室。
私は諦め切れず、1人母の心臓マッサージ。
そのうち父もやってきた。「お母さん、おかあさん。」
その間も私は「お母さん、ここに戻ってきて、お願いだから、お母さん戻ってきて。」と、叫びながら、心臓マッサージ。
父に「もう、お母さん、静かにねかせてあげよう。」と、言われ、6時50分、泣き喚きながら手を止める。
自分の失態に母に謝る。
「ご免ね、お母さん、気付いてあげられなくて。○○(inazo_の本名)って呼んだのに、私、気付かないでバカみたいにねてたんでしょ。ご免ね、ご免ね。」
母はまだ温かく、眠っているようだった。

私が眠りにつく前に、色んな会話をした。

私:「この頃、お父さんってよく呼ぶけど、私の名前呼んでくれないね。」
母:「そぉーお?」
(2、3分後)
母:(私の顔をじっと見て)「○○ちゃん、○○さん。」
私:「久しぶりに呼んでくれたね。嬉しい。ありがとう。」
(母のおでこに私のおでこを合わせてスリスリ。)
(母、嫌がる)
私:「ごめん、ごめん。触られるのいやか。」

私:「フルーツの缶詰があるけど、食べる?」
母:「頂戴。」
私:「ラフランスと黄桃があるけどどっちがいい?」
母:「…。」
私:「ラフランス?黄桃?」
母:(黄桃でうなずく。)
私:「分かった。ちょっと待っててね。」(黄桃の缶詰をもってくる)「はい。」
母:「美味しそうにたべる。」
私:「おいしい?」
母:「おいしい。」(美味しそうにパクパクと食べる)
私:「いらなくなったら、いらないって言ってね。」
母:(うなずく。半分ほど食したところで)「もういい。」
私:「ごちそうさま。」
母:「はい。」

私:「お母さん、病気が治って元気になったら、また旅行行こうね。」
母:(うなずく)
私:「今度は桜見に行くよぉ。」
母:(うなずく)

母:「あ~ああ~…♪」
私:「何の歌歌ってるの?」
母:「わかんない。」
私:「私が歌ってあげるか?」
母:「歌ってぇ。」
私:「何の歌がいい?」
母:「わかんない。」
私:「わかんなきゃ歌えないじゃん。」

私:「明日も仕事だから、そろそろ寝るかなぁ。」
母:「はい。」
私:「おやすみー。」
母:「はい、おやすみー。」(間をおいて)「来てー、来てー。」
私:「いやーだよ。おやすみー。」
母:「おやすみー。」
そんな事を繰り返しながら、母は1人で何やら話していたが、そのまま私は寝に入ってしまった。

結局これが最後の会話となってしまいました。
私って、なんて冷たい人間なんだろう。なんてバカな人間なんだろう。
素直に行ってあげればよかったのに、どんな時でも油断できない状態だったのに、
つい油断してしまって…。
悔やんでも悔やみきれない。