母恋

2005.3.5にすい臓がんにより天国へ旅立った母の手記や看病の記録、その後の生活などを書いてます。

2月27日(日)

2005-02-27 23:01:00 | 母の居る生活
今日は久々にPCを開いた。
なかなか更新しない日記やHPに、毎日の様に訪問、掲示板へのカキコミ、日記に対してのコメント等々があり、本当にありがたい。
暫く更新をしていなかったので、心配をかけてしまったのでは…と、焦ってしまった。

今の母の状態は、一時期よりは安定している。
食事もほんの僅かだけれど、またとれるようになった。
ただ、酸素の摂取量が以前より低くなってきているので、今は酸素マスクをしている。
すぐに外してしまうので、心配だ。
あと、熱もある様で、もしや風邪やインフルエンザでは?と、これもまた心配。
私の会社でも流行っているので、気を付けなければ…。
私が風邪を引いてしまっては、抵抗力が弱くなっている母への感染につながるので、いつもの年より緊張。
今の時期、母の事+自己管理が大切。


2月17日(木)

2005-02-17 23:01:00 | 母の居る生活
一時は70代まで下がった血圧も、114まで上がって、ひとまずホッとしている。
次の問題は痰。
咳払いする力がないようで、なかなか口まで上がってこない。
吸引の管を鼻から入れたり、口から入れたり…。
とても辛そうで見るに忍びないけれど、腕を押さえていなければ、看護婦さんの手を払いのける勢いなので、いたしかたない。
お母さん、ごめんね。我慢してね。
私なりの対策を練って実行してみた。
まず、洗面台に栓をして熱いお湯を溜める。
そして、今日買ってきたばかりのエッセンシャルオイルをお湯に数滴たらす。
殺菌作用があり、咳や痰が出る時に役立つという、ティートリーというのを使ってみた。
更にありったけのタオルをそのお湯で湿らせて、暖房の上、ベッドの手すりなどにかけてみた。
残りのお湯も捨てずに暫く放置。
あっと言う間に部屋の湿度が5%上がった。
少しでも痰が出やすくなればいいんだけど…。
お母さんの為ならエーンヤコーラです。

2月16日(水)

2005-02-16 22:07:57 | 母の居る生活
昨日まで正常だった血圧が、朝方からいつもより低くなってしまった。
昨日までは上が110位だったのに、今は80代。
酸素の量も昨日までは90代だったのに、80代を行ったり来たり。
凄く心配だから、今夜は眠れそうにありません。

今日の会話(その1)
母「イモ、イモ」
私「芋?」
母(頷く)
私「芋食べたいの?」母(頷く)
私「ジャガイモ?」
母「…。」
私「焼き芋?」
母(頷いて)「早く。買ってきて。」
私「えっ、今まだ8時だし、後でね。」
母「今、食べたいの。早く。」
私「分かった、分かった。」
母(安心して寝る)

今日の会話(その2)
私(ベッドの頭の位置を下げていると)
母「まだ…まだ。」
私「えっ?」(夢の中だと思い気にせず下げると)
母「よ~し。」
私「分かってたんだね。」

たまにだけど、通じる事があります。
そんな時は、凄く嬉しくて頬摺りしてしまいます。

2月15日(火)

2005-02-15 23:51:29 | 母の居る生活
何故か、以前から気になっていた本を、『早く買わなければ!』と、思い立ち、会社の帰りに買ってしまいました。
その本とは『観音経』(現代書館)です。
前に瀬戸内寂聴さんの法話集のCDを聴いている事を私のHPのどこかで書いたと思いますが、その中で観音様のお話がありまして、それがえらく気に入ってしまって、その時以来、困った時には「南無観世音、観音様お助け下さい…。」と、いうのが口癖の様になってしまいました。
私の場合は主に母の事になってしまうのですが、不思議と母の状態が良くなったり、思いがけない出会いがあったりします。
観音様はあらゆるモノに変化するそうで、母の事を心配してくれて、自分の事の様に涙を流したり、喜んだりしてくれる人、お祈りしてくれる人、この前の喫茶店のマスター…等々。
もしかしたら、皆、観音様の変化したお姿なのかもしれません。
こんな事を書いたら「大丈夫?」と、思われるかもしれませんが、何だか最近そんな風に思うのです。
で、本の事に戻りますが、文は弁護士の故遠藤誠さんが書いてまして、まずは順序正しくまえがきから読んでいたところ、最後に、『一九八九年二月十五日お釈迦さまのご命日に』と、書いてありました。
何たる偶然!!
これも観音様の仕業かも…と、思ってしまう今日も、母は頑張ってます。
今日の会話
私「また、旅行行くよ。次は金沢に連れてってあげるからね。」
(暫くして)母「3人…一緒…」
私「そうだね。うめも連れて皆で行くか。そうしよう。それがいい。」
母「…。」
私の勝手な解釈で戸惑っちゃったかなぁ。(・_・;)


2月14日(月)

2005-02-14 22:12:33 | 母の居る生活
散々、調子がいいと言っていたこの前の日記が嘘の様な、今は不安な状況です。
一昨日は婦長さんに、「会わせたい人がいるなら、連絡した方がいい。」と、言われました。
例の飲料を飲み始めて2、3日後、お腹の調子が悪くなりました。
「お腹が痛い。」と、訴えると、早速痛み止めの点滴、さらに朝には今までとは違う新しい点滴が…。
ここで凄い疑問だったのですが、膵臓癌になったら、普通にお腹が痛くなる事はないのでしょうか?
飲み慣れていないものを飲みました。
いつもより食事が増えました。
調子にのってパンを食べてしまいました。
フルーツもたくさん食べました。
そんな事は有り得ないのでしょうか…。
普通の腹痛の薬じゃ駄目なんでしょうか…。
それ以来、母とはほとんど会話が出来なくなってしまいました。
目の雰囲気がすっかり変わってしまいました。
薬を変えた前の晩、言ってはいけない事を口にしてしまいました。
母は寝ていたと思っていたのですが、次の日父にその事で話をしたらしいのです。
凄く気にしていたみたい…。
それ以来、いつもその事を謝っているのですが、反応がいまいちありません。
後悔してもしきれません。
食事もとれなくなりました。
意識のないまま口にものを入れても喉を詰まらせたり、気管に入って肺に水がたまり、肺炎になる恐れがあるという事でそういう事は止められています。
なので、水もフコイダンも飲めなくなってしまいました。
トイレも無くなり母の嫌いな管をいれています。
せっかくいい傾向にむかっていたのに…。
それでも諦められないので、話しかけたり、音楽を聴かせたり…。
お母さんごめんね。

2月5日(金)

2005-02-05 00:57:09 | 母の居る生活
2、3週間前から病院の近くの喫茶店で作っている活性水素水という水を飲んでいる。
それが効いているのか分からないが、その水を飲み始めた次の日位から食欲が出てきて、歩くリハビリが出来る程動ける様になったのは事実だ。
初めの2、3回は試しにという事で、2㍑のペットボトル2本分を無料でわけてくれるという。
何回か試して良かったら、1本200円で売ってくれるというので暫く続けてみるつもりだ。
あまりに父が熱心なので不思議がられたらしく、マスターに母の事を話すと、フコイダンを薦められた様だ。
この水を飲んでフコイダンを飲むと吸収率が良くなるらしい。
フコイダンは以前から興味があったのだが、高価なのでなかなか踏ん切りがつかなかった。でも、父も乗り気だし、後悔はしたくないので、この際、騙されたつもりで思い切って購入した。
そして、昨日からこの飲み物を飲んでいる。
飲んだ直後、早速便が出て、食欲が更に出てきた。
今日の夕食に至っては入院して以来初めての完食。p(^-^)q
リハビリの先生も「歩くのが速い。」と言う程、100㍍をスタスタとまではいかないが、スッタッスッタッ位で歩いていたらしい。
母曰く、「100㍍だけだよ。」
この様子を見て、父が主治医の先生と話し合い、暫く血液のデータをとり、様子をみてモルヒネの量などを検討してみようという事になった。
先生や看護師さんも興味が沸いたらしく、フコイダンの説明書を借りていった。
今のところ良いとも悪いともいえないが、奇跡が起きてくれる事を祈るばかりだ。
凡に、喫茶店のマスターは父の兄の同級生で、中学の先輩であることが判明した。
お互いに『どっかで見た事があるような…。』と思っていたらしい。(笑)


2月2日(水)

2005-02-02 23:01:00 | 母の居る生活
朝5時頃、トイレに行こうとして、転倒。
その場で我慢できずに…。
「1人で立たないで。」と言っても、どうしても1人でしようとする。
昨日反省したばかりなのに、また怒り口調になってしまった。

母「○○ちゃんは?」
私「ここにいるしょ。」
母「いないしょ。」
私「じゃ、私、誰?」
母「○○ちゃん。」
私「じゃ、いるしょ。」
母「いないしょ。」
私「ここにいるって。」
母「いないしょ。見えないしょ。○○ちゃんは?○○ちゃ~ん。」(私に抱きつく)

こんな会話、ちょっと悲しいけれど、仕方ない。全てはモルヒネのせいなのだ。
この会話、初めてじゃない。土日に外泊許可がおりて、家に帰ってきた時も一度あった。
せめてもの救いは、私を忘れたわけではないという事。
脳と体がバラバラで、見えないのだ。思考と感覚と現実、何から何までごちゃ混ぜの世界に入ってしまうようだ。

朝は忙しい。会社を休みたいところだけれど、これからの為にも、病院代を稼がねば…。
そうは休んでいられないのだ。
母が「今日は何時に来るの?」と、何度も私に聞く。
後ろ髪をひかれる思いで、病室を後にする。

今日は、父が泊まり。
会社帰りに病室に寄ると、父が眠そうな顔で座っていた。
私が病室に入ると、母は笑顔で「お帰り。」と、言ってくれた。
その顔の可愛いこと。

手を前に出すので、私も手を握ると、「せっせっせーの…♪」歌い始めた。懐かしい。
ベットから起き上がる時、立ち上がる時、母を抱くと、懐かしさが込み上げて、涙が出てしまう。
母は前よりも随分痩せてしまったし、私もすっかり成長して体が大きくなったというのに、その時ばかりは母がとても温かく大きく感じられる。
小さい頃に頼りにしていた、強くて逞しい母がそこにはいる。

「家に帰りたい。」
土日に家に帰ってから、よく言うようになった。

私「でも、5階の階段は辛いね。どっか1階で空いてるとこないかな?」
母「買うか?」
私「買えるわけないじゃん。」
母「一軒家。」
私「何処がいい?」
母「わかんない。…田舎。」
私「黒板五郎みたいな生活?」
母「ちーがーうー。」(顔をしかめる)

冗談で言ってみたのに…

私が帰ろうとすると、私の名前を呼んだり、「帰るの?」と、泣きそうな顔をしたりしてとても帰り辛かった。
父が、早く行けと合図を送る。今晩、大変だろうなぁ。
「じゃまたね。風邪ひかないでね。」と、言いながらやっとのことで帰ってきた。

母は今、不安でたまらないのだろう。

2月1日(火)

2005-02-01 23:46:57 | 母の居る生活
日記がメールで送れる様になったので、暫くは不便ですがこちらから更新する事にします。
朝、仕事に行く直前に、私の手を貸さなければならない様な事をするので、つい怒り口調になってしまった。
そんな私に「いってらっしゃい。」と手を振る母。すまない気持ちと情けない思いがこみ上げてきた。
たまらずその手を握って「行ってくるからね。」と言って病室を後にした。あ~自己嫌悪(-"-;)
私が会社に行っている間、叔母(母の兄嫁)が来てくれた。
お腹を痛がったり、モルヒネのせいか理解困難な事を言ったりで大変だった様だ。
しかし、そんな事は気にしない様に、明るく楽しげに母とのやり取りを話してくれる叔母に心が救われる。
昨日辺りから、母が何度もトイレに行きたがる。さっき行ったと思ったらまた…。勿論そんなに次から次へと出る筈もなく、私が思うに『きちんとトイレをしなければ…』という強迫観念からの行動だと思う。
朦朧とする意識の中でもなお『人に迷惑をかけてはいけない』という思いが伝わってきて、涙が出そうになる。
お母さん、もっとだらしなくしていいんだよ。