【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【満月の夜の憂愁】

2007年03月04日 | アジア回帰
 妖しいオレンジ色の満月が、チェンマイの夜空に輝いている。

 今夜は、仏陀の悟りにまつわる重要な仏日で、タイ国中のお寺で普段とは異なる祈りの儀式が繰り広げられているという。

 携帯電話をかけながらアパートの近所のお寺まで歩いていくと、境内に入ったところでベンが出た。

 「ハロー、キヨシ。ごめんなさい、まだランパーンにいるの」
 「ランパーン?」
 「父とノンと一緒に山に木を見に行って、いまちょうど帰ってご飯を食べ始めたところ」

 やれやれ。またか・・・
 昨夜の電話では、午後6時にチェンマイに戻ってインターネットの使えるアパートを一緒に下見に行くという話だったのが・・・。
 
 物事が決して時間通りに進まない“タイ時間”にはすっかり慣れっこだが、それにしても、こう度び重なると精神的なイライラが募る。

 「約束を破る前に、どうして電話を入れないんだ?」
 「午後5時までの割引キャンペーン時間を過ぎると、電話代がとても高くなるから・・・」

 口から出任せの言い訳にも、うんざりだ。
 昨夜は、午後10時過ぎにいわゆる“ワンキリ”をして、私にコールバックさせている。そして、友人から得たアパート情報を嬉々として語ったというのに。

 「キヨシ!すごく素敵なアパートが見つかったわ。インターネットはもちろん、テレビも冷蔵庫も、小さなキッチンもみんな揃っているの。新築で、ファラン(白人)や日本人も住んでるらしい。これで、家賃は3200バーツ(1万円強)。屋根の色は私の大好きなブルーだって。いいなあ、私も住みたいなあ。見たい?オーケー。明日は夕方6時に帰るからね」

 それが、一転、実家建替えのための材木探しとなると、頭の中はすべてそれだけで占められてしまう。

 ・・・約束を破りたかったのではなく、約束を破らざるを得ない状況になったのだから、それはもう“マイペンライ(仕方ない)”なの。だから、あなたも“マイペンライ、マイペンライ(気にしない、気にしない)”・・・

 だが、あいにく私は「時間にすこぶるうるさい」日本人である。
 このところのタイ暮らしで、かなり時間的規律は緩やかになっているが、日本の規律社会の中で半世紀以上生き抜いてきた性癖から、そう易々と抜け出ることなどできはしない。

 それに、亡き妻からは“瞬間爆発湯沸かし器”と呼ばれたほどの短気ものだ。

 特に、昨夜の電話が電話だっただけに、体温は急激に沸騰している。

 「あのな、ベン。今のアパートは、あさって5日までに今月分の家賃を払わなきゃいけないんだ。新しいアパートが決まるまで支払いを延ばすようにと言ったのは、キミなんだぞ」
 「今日は3日よ。明日帰るから、マイペンライ(大丈夫)」
 「でも、明日部屋を見て、そのあと引越しして・・・」

 “第一、部屋が気にいるかどうかもわからないじゃないか!”

 そう怒鳴りそうになったので、思わず電話を切ってしまった。

 私はすでに、参拝客のいる境内に足を踏み入れていた。
 それに、タイ人は大声で怒鳴られることに慣れていない。
 
 とりわけ、公衆の面前で面罵されることを最大の屈辱と感じるらしい。
 日本企業式の「良かれと思っての叱責」が、辞職や私怨につながることはよく指摘されることだ。

 感情をあらわにする人間は軽蔑され、何事にも眉ひとつ動かさず冷静に対処する(私に言わせれば“腹黒い”)人物が尊敬を集めるという。

 どだい、物事を発想する起点が違うのである。

 日本人のわれわれは、まず“物事には順序がある”と考える。
 だから、約束をたがえるときには事前に連絡をしなければならないのである。

 アパートを探すときには、まず下見を(それも数軒、数十軒)して、吟味の上に結論を下すという手順を踏む。

 だが、ベンの頭の中ではすでにアパートを借りるのは規定事実(なぜなら、友だちがとても素敵だというし、自分もすっかり気に入ってるのだからキヨシも気に入るに決まっている)になっている。

 万が一気に入らなかったら、それはそれで“マイペンライ(仕方ない)”のである。

 だが、すでに現在のアパートに入居するときから「インターネットが必要だ」と言い続けている身からすると、それはとても許しがたい。

 正気にいえば、私も“マイミーバンハー(問題ないよ)”と鷹揚に微笑みたいのである。

 しかし、ここ1ヶ月半に及ぶ“実家の建替え”をめぐる軋轢は、私から安眠を奪い、へとへとに疲れさせていた。

 そして、その軋轢は先週半ばにベンと一緒にランパーンの実家を訪ねた折に、頂点に達したのだった。

 なんと、バンコクに住む叔父や私からの借金を当てにして進められていた建替え計画は、すでに「計画」の段階を超えて「実行段階」に入っていたのである。

 端的に言えば、実家はすでに取り壊されていたのだった。

 高床式の柱の基礎部分だけを残して、見覚えのある実家は完璧な更地になっている。そして、周辺には柱用の巨大な材が数本転がり、借金によってまかなわれるはずの残りの材の到着を待ち構えている・・・。

 私は、唖然として口もきけなかった。

 ベンから、「叔父からの借金が不首尾に終わった」と聞かされたとき、この計画は一時頓挫だなと考えた。

 先立つものがなければ仕様がないのだから、これまでに買いためた材木や部材は高床式の床部分にストックして雨季を乗り切り、次の乾季までにできるだけの金を作るしかない。

 まあ、爺ちゃん、婆ちゃんには気の毒だが、今年の建替えは我慢してもらわなければならないだろう・・・。

 ところが、どうだ。

 すでに実家の姿は消え、祖父母は敷地内の叔父夫婦の家に、父母は真向かいの弟夫婦のボロ家の床下に、それぞれ仮住まいをし、ベンも実家に戻るたびに弟の家の板張りに犬を毛布代わりに眠っているというのである。

 いやはや、これは、なんとも言い難い。

 ベンはしきりに「何度も言ったはずだ」というのだが、ベンの口から「取り壊した」という単語を一度もきいたことはない。

 「家がない」という英語は聞いた気もするが、それはあくまで「新しい家がまだない」ということだと解釈していた。

 借金のめどもつかないうちから、まさか、あなた、家を取り壊すとは、誰が(少なくともどんな日本人が)想像するだろうか?

 それにベンは、バンコクでもとんでもないことをしでかしてくれていた。
 滞在中に爺ちゃんの目の具合が悪くなったために、診察代と薬代を捻出しようと私が贈ったクリスマスプレゼントの金の指輪(私に金の指輪を贈る趣味などないが、それがタイの習慣だというので半ば強奪?されたのだった。もっとも大した額ではないが・・・)を売ってしまったのである。
 
 実家の帰りに指輪の消失に気づいた私が問いただすと、ベンは「ごめんなさい。でも、爺ちゃんの病気のことをあなたに話すと心配すると思って黙っていたの」
と言い訳したが、そんなことはベンの指を見ればすぐに分かってしまう。

 タイ人が金のアクセサリー(ことにネックレス)を珍重するのは、「いざ」というときのために換金できるからだ、ということは聞き知っていたが、まさかこの私自身の贈ったプレゼントが爺ちゃんの薬代に消えるとは予想だにできなかった。

 まあ、それはそれでまた、タイの文化を知る上でかなり面白い体験ともなったのだが、渦中の当事者としてはさすがに応える。

 というわけで、今夜の“爆発”は、こうしたさまざまな複線があったことをご理解いただきたい。

 そうでもなければ、私は“マイペンライ”とにっこり微笑んだはずなのである。

 それにしても、やはりタイは面白い。

 そして、鋭く人間が試されてしまう。

 気の強いベンは、さすがに今夜は電話はしてこないだろう。

 寝不足の私にも、かつての鷹揚さはない。

 今夜はやりきれぬ憂愁を抱いて、トゥク・トゥク(三輪タクシー)の運転手たちがたむろする“屋台居酒屋”に沈没することとしよう。

 いずれ、結論は出さざるを得ないとして。

 いくらタイ語を学んでも、私はタイ人にはなりきれないのだから。
 
 
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