【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【移動のとき】

2007年07月27日 | アジア回帰
 帰国を視野に入れて、移動を開始することにした。

 まずは今日、12時半のバスで北部のパーイに向かう。

 パーイについては何も知らないが、誰もがいいところだと口をそろえる。

 ミャンマーとの国境にも近く、少し移動すれば国境越えでラオスに入ることもできる。

 その後はベトナムに飛ぶこともできるし、バンコクに戻って日本行きの便を確保することも可能だ。

    *

 今朝の電話で、ベンは月曜日に再び北京に戻ると告げた。

 ベンの治療費を捻出するために、ランパーンの土地家屋一切を売り払った家族は離散し、祖父母と父母は北京の叔母の夫の実家に身を寄せ、弟夫婦はバンコクで働き始めたという。

 ベン自身の体調は、10日間近く何も食べられなかったころに比べるとずいぶんと回復したものの、腫瘍はかなり大きくなっており、北京の医師たちも手術を検討しているところらしい。

 ベンは身のまわりのことを、ほとんど叔母と従姉妹に委ねており、バンコクで私と単独で会うことは今のところ不可能に近い。

「キヨシが日本に帰ったら、北京から電話を入れるから」

「わかった、じゃあ北京で会おう」

「オーケー。カモン!(笑)。具合がよくなったら、日本にも行くんだ。この間テレビで見たけど、桜の花がとてもきれいだったよ。そのときはキヨシの家に泊めてね」

「もちろんだ。しっかり食べて、しっかり薬を飲んで、早くよくなるんだぞ」

「うん、わかった。わたし、MKに行きたいな」

「タイスキか?よし、じゃあすぐにチェンマイにおいで。カールフルに行こう」

「オーケー。じゃあ、クルマを運転してゲストハウスに迎えに行くから」

 そんな冗談を交わし合いながら、この1ヶ月あまりの間にふたりの間に起こった非情なる転変に胸が詰まりそうになる。

「あまり長く話すと疲れるから、これくらいにしようか」

「うん、わたしも朝ごはんを食べることにする。パーイに着いたころに、また電話するね。あ、それからラーとのことはどうなった?」

「ああ、きのうさよならを言ったよ」

「え、どうして?」

「俺は嘘がきらいなんだ。ラーはいいときにはとてもいいけど、酒が入るととても悪くなる。電話でベンにひどいことを言ったことは、絶対許せないんだ」

「わたしは怒っていないよ」

「わかっている。でも、俺は怒っているんだ。ラーとのことは、もうおしまい。何も心配しなくていいんだよ」

「わかった。ありがとう」

「じゃあな」

 ベンとの間に電話を交わす平和な時間が戻ってきたことを、喜びたい。
 
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