ウイワットとの出会いがなければ、私はチェンマイをとっくに去っていたかもしれない。
ラーと激しく衝突するたびに、彼とその家族は私を家に招き、手作りの料理でもてなしてくれた。
中国からの旅から戻ってきたときも、彼らはわざわざ空港まで出迎えにきてくれたものだ。
先日の胃カメラ検査のときにも、嫁のラーに代わって親身になって付添い役を務めてくれた。
とりわけ、3歳になる娘のあどけない笑顔とおしゃまなふるまいは、ざらついた私の心に“サバーイ、サバーイ(心地よい)”な潤いをもたらしてくれるのである。
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以前にも書いたように、彼はソンテオ(赤色の乗り合いタクシー)の運転手である。
ラーやその友人エレンとホイテンタオ(リゾート湖)に出かけたとき、たまたま彼のクルマを拾ったのが縁で、その後も家族同然のつきあいが続いている。
出会ったころ、私は彼に商売用の英語を教え、彼は釣りに連れていってくれたり、お向かいに住む知識人夫妻(夫は農業の専門家で日本やアメリカを訪ねたこともあり、妻は仏教に関する著作をしている)や心優しい友人たちを紹介してくれた。
プラオというチェンマイの北東にある彼の実家に招かれ、弟の案内でピラニア釣りに興じたこともある。
「兄弟」と「家族」という日本語を真っ先に覚え、酒が入ると「俺はオトート、あんたはアニキ。カゾク、カゾク」と連呼しては、心底うれしそうに笑うのである。
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一般的に、タイでは年上や経済的にゆとりのある者が食事などの代金を支払う慣習であると聞かされてきた。
だが、私よりも20歳若い彼は決してそのような慣習に甘えず、食事のときにも「割り勘」を主張する。
ソンテオの料金もなかなか受け取ろうとせず、「これはガソリン代だから」といって無理矢理胸のポケットにねじこむこと、しばしばだ。
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金銭にきれいなのは、彼がそれなりの苦労を重ねてきたからに違いない。
以前は、貸金業を営む友人の仕事を手伝ったり、ジーンズの店を出したりして、かなり羽振りもよかったらしい。
チェンマイ郊外に家を買い、クルマも2台所有していた。
ところが、店の経営に失敗し、家と家族以外のすべてを失ってしまう。
そこで、単身バンコクに働きに出て、起死回生を狙う。
「でも、お金だけを稼ぐ生活に疲れちゃってね。1年間も離れて暮らしたせいか、妻との間もギスギスしちゃって・・・。それで、またチェンマイに戻ってきたんだ。今の暮らしは楽じゃないけど、いつも妻や子供たちと一緒にいられる。特に娘は、俺の一番の宝物。アニキ、人生は金じゃないよね。家族と楽しく暮らすのが、一番の幸せだよ」
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彼の夢は、「日本に行って桜の花を見ること」だという。
できれば、日本で働きたいというのであるが、その話は私がオムコイで暮らし始めたために宙に浮いてしまった。
「アニキ、マイペンライ(問題ないよ)。ラーはデクソン(利かん坊)だけど、アニキが大好きだし、心はとてもいい。だから、俺はアニキにずっとタイにいてほしいんだ。チェンマイで豚を売りたきゃ、俺がトラックを運転して運びにくるから何も心配しないで大丈夫だよ」
彼は、私が経済的に潤うように、あれこれと商売のネタも考えてくれる。
ただ、人が良すぎること、細部の詰めが甘いところなどがあって、いずれも笑い話で終わっているのだけれど・・・。
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村社会での生活は、時に息苦しい。
無性に、チェンマイが恋しくなることもある。
そこに「カゾク」がいることで、私の心はどんなにか救われていることだろう。
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