【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【はるかな日本】

2008年06月11日 | アジア回帰
「介護施設で暮らす母親が脳梗塞の疑いで病院に運ばれた」というメールが福岡の姉から届いた。

 意識はあるものの、現在検査中ということで、ただやきもきするばかりである。

 これが日本なら、すぐにでも駆けつけられるのであるが、タイ北部、しかもチェンマイから200キロ以上も離れたオムコイともなると、エアチケットの手配等含めて数日がかりの移動になる。

 普段は、日本との距離感をそれほど感じないのであるけれども、こうした危急時になると、やはり日本ははるかに遠い。

         *

 私の母がアルツハイマー病に冒されてから、すでにどのくらいの時間が過ぎ去ったのだろう。

 すでに私の記憶も曖昧になっているが、最初の兆候に気づいてからとなるともう15年近くになるのではあるまいか。

 当時はまだアルツハイマーに対する認識は浅く、「惚け」という残酷な呼称が平然とまかりとっていた。

 アルツハイマーに特化した「物忘れ診断」を行う病院も全国に数箇所しかなく、私はわずかな情報をかき集めた結果、静岡県浜松市にある某病院に“観光旅行”の名目で母を同行し、そこでアルツハイマーを宣告された。

 それからは、福岡に住まう姉と協力しながらグループハウスへの入所や介護施設への入所などを模索しつつ、日々変転する事態に翻弄されてきたのであるけれど、妻の癌発病と同時に母親への関わりは放棄せざるを得なくなり、その重い負担は一気に姉の細い肩にのしかかることになった。

 その姉が、いま、病院の控室でひとり検査結果を待っていることを思うと、どうにもいたたまれない。

         *

 九州の佐賀では、86歳になる叔母(亡父の妹)もひとり暮らしをしている。

 数年前から軽い物忘れが出てきたのであるが、3月の帰国時に訪れたときにその症状がかなり進んでいることに気づいた。

 そして、姉からの報告によれば、ここ数週間の間にそれは「ひとり暮らしの限界」を超えるものになってしまったという。

 先月、私は56歳になったのであるけれども、姉は来年11月に60歳になる。

 まごうことなき“高齢者”の域に足を踏み入れつつある私たちが、いま、母親や叔母の過酷な“老いの現実”を突きつけられてたじろいでいる。

 そして、私自身は日本からはるかに遠いオムコイの地で、母親や叔母の理解をはるかに超えた山岳民族の村に暮らしている。

 いまの私にできることは、ただ“待つこと”と“祈る”ことだけだ。

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