「牛が見つからない!」
夕刻になって、甥っ子のジョーが血相を変えて戻ってきた。
庭のマッカー厶の木陰で近所の衆と焼酎を酌み交わしていた私は、思わず腰を浮かした。
話を聞くと、牛の姿が見えなくなってからすでに3日が経つという。
ジョーは責任を感じて私たちにそのことを告げることができず、たったひとりで心当たりの場所を探し続けていたのだという。
近所の牛飼いを雇って、さっそく捜索隊を編成しようと言うと、彼は「自分の責任だから、自分ひとりで見つけてみせる」と言い張ってきかない。
彼の面子を重んじて、ここは彼の意思を尊重することにした。
*
ところが、翌日も翌々日も夕方になると彼は疲れ切った顔で戻ってくるだけだ。
ついには、わが家にも顔を出さなくなり、家にこもっては壁を殴りつけたりするようになった。
これはまずいと思い、彼の家の台所の囲炉裏端で膝を交えて説得にかかった。
「ジョー、キミの気持ちはよく分かるけど、これはキミひとりの責任なんかじゃないんだ。牛のことも大事だけど、みんなキミのことを心配し始めている。ここは気持ちを切り替えて、みんなの協力を求めたらどうだろうか?」
彼は炎を見つめながらじっと考え込んでいたが、さすがに疲れ切ったのだろう、力なくうなづいた。
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翌日、ベテランの牛飼いひとりとジョーの母親、弟の3人が捜索に加わり、これまでとは違う方向を探してみたのであるが、牛たちの行方は杳として知れない。
牛の寝場所を提供してくれている一族の長老のアドバイスを受けて、嫁のラーは仏陀に祈りを捧げた。
「どうか、困っている私たちをお助けください。もしもお力を借りて牛を見つけることができたら、一頭の仔豚を供物として捧げます。約束を違えたら、どうか私の命をお取りください」
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ラーは、仏陀と共に隣家のプーノイ(霊媒師・霊医)の力も借りることにした。
以前も書いたように、ある理由から私は彼の霊力をまったく信じていない。
そこで、私はラーの提案を無視したのであるが、ひとりで隣家におもむいたラーは戻ってくるなり、「プーノイが牛たちの居場所を言い当てたよ」と言いながら、普段牛を放牧している方向とはまったく逆方向の山の彼方を指差した。
まさかと思ったが、明日はプーノイもジョーに同行してそちら方面の捜索に加わってくれるという。
その申し出を無碍にするわけにも行かず、私はしぶしぶうなづいたのであるけれども、予想どおり、翌日の捜索も空振りに終わった。
これで、すでに7日が過ぎたことになる。
「ソンクラン(伝統正月)の前には、みんながお金を欲しがるようになる。これはきっと誰かが盗んで、すでに売り払ったに違いない」
ラーはそう言いつつ涙を流したが、なぜか私はそのうちに牛たちが自分たちで元の寝場所に戻ってくるような気がして仕方がなかった。
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翌日、グッティオ(麺)屋の開店準備をしていると、先の長老がわが家にやってきて「牛が見つかったぞ」と静かに告げた。
さっそく、彼の大好物である焼酎を差し出したのであるが、なぜかまったく口をつけようとしない。
そして、普段とは異なった厳しい表情で冷たい水を一気に飲み干した。
ラーの通訳によると、彼は焼酎を断って私たちの牛のために数日間、祈祷と瞑想を続けてくれたのだという。
「そうするうちに、牛を連れて戻ってくる義姉(ジョーの母親)の姿が脳裏に浮かんだんじゃ」
ということで、牛たちの帰還を確信した。
すると、しばらくして、その通りに牛たちが自分たちで寝場所に戻ってきたのだという。
戻ってきた方向は、プーノイが予測したのとはまったくの逆方向、つまりはジョーが連日探し回っていた元の放牧場所方面の山の奥であった。
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それが、昨日(4月8日)のことである。
牛たちは、実に8日間も山の奥を彷徨っていたことになる。
今日(9日)、私は朝5時半に起き出し、ジョーと共に牛たちの姿を確認しに出かけた。
2頭の赤ちゃん牛を含む9頭の姿を見たときはさすがにホッとしたが、予想に反して彼らにはいささかもやつれた様子がなく、何らの異変も見られない。
仔牛の一頭に、血吸い虫が取りついていたくらいである。
ひときわ体の大きな雌牛をリーダーにして、彼らは山奥を彷徨いながらもしっかりと草を食み続けていたらしい。
あばらの浮いた長老の牛たちに較べると、その姿は堂々としたものだ。
「さすがは、わが愛牛なり」
私は、日ごろのジョーの面倒見の良さに改めて感謝すると共に、わが牛たちのたくましさに満足しつつ、速足で山道を下った。
ジョーの顔にも、久しぶりの笑みが浮かんでいる。
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