古代日本の歴史を謎解き

パソコンが故障して、パスワードが分からず
旧ブログから引っ越しです。

縄文時代=>弥生時代=>古墳時代

2018-12-16 12:02:00 | 歴史
久しぶりです。
さて、古代の生活を想像する上で、理解しておきたい事
権力の格差です。
・縄文時代
竪穴式の家に一家が生活して
複数の家族が同じ地域で生活
お互いに協力して狩猟などを行っていました。
多分、女性陣が山で山菜や木の実などを採取
男性陣が獣や梅や川魚などを狩猟していたのでしょう。
料理や食料の保存に縄文式土器が使われていました。
生活のための土器として以外に火焔型土器や土偶の様な神事にも使われていたようです。
食料を小さ料理できなかったのでしょうか、比較的大きな土器で厚手です。
共同生活の特徴でしょうか、リーダーとなる人はいても生活は平等で
労働にかける時間も少なく、雨など気象が悪い日は、ひたすら建物の中で休んでいたでしょう。

・弥生時代
大陸から農耕や織物など新しい技術が伝わります。
鉄製の農耕や狩猟の道具の他に、争いの武器としても鉄製品が使われます。
環濠集落が各地に出来て集落が大きく大勢になります。
この時代に仕が専門的になり格差が始まります。
農耕で備蓄が可能な穀物が沢山生産できます。
穀物を保存するための倉が出来ます。
倉に保存された穀物を管理する、守る武人が必要になります。
物々交換ですので、管理する人も必要になります。
多分、大陸から移住した人々がその地位についたでしょう。
農耕は採取と比較すると労働力が必要です。
管理するための仕事、争いも増えますので
縄文時代より労働の時間増加したはずです。
弥生式土器も質素で利便性重視、大量生産向きになります。
卑弥呼の様な祈祷師も世襲制で存在しています。
縄文時代からあった勾玉などをつかった祈祷に加えて
大陸思想が加わり青銅製の鏡も祈祷に使われたようです。
さすがに縄文時代の祈祷が否定されることなく大陸思想と融合したイメージでしょう。
お墓(遺体の埋葬)も始まります。
集合墳ですが、王家の墓は特別な場所に作られたようです。
この王家は元々は縄文人だったかもしれませんが、小さな村々が一つにまとまる中
徐々に渡来弥生人が王となったのではないでしょうか。
もちろん結婚は、近い血族の間で繰り返されたでしょう。
環濠集落の外で農耕や狩猟を行う人が格差の中では、身分が低い人たちで
他にも争いで敗れた国の一族が奴隷として働かされたり、他の国への物々交換の材料にされと思います。
職業は全て世襲制で
・王家
・祈祷師
・倉などの管理、農耕、織物の指導者
・国を守るための武人
などが出来ています。
国をまとめたり、武人に命令した権力が徐々に祈祷師に移ったのでしょうか
祈祷師卑弥呼が女王として紹介されるようになります。
倭国大乱の後ですから、争いごとに不安があり
農耕なども気象に大きく影響されますので、王家共に祈祷師に大きな期待を寄せたのです。

・古墳時代
祈祷師の権力が失われて
権力が王家に集中します。
王家に使えた祈祷師の時代で
大きな古墳が、権力と祈祷のシンボルになったでしょう。
大陸との交易が途切れる時代ですので、日本海、瀬戸内海を使った
国内での交易が盛んに行われたようです。
朝鮮半島に対しては、支配か、友好関係か二分していたはずです。
そして、奈良の奈良盆地で始まる飛鳥時代
朝鮮半島から移住してきた渡来人をうまく活用し
漢字の伝来
仏教伝来
と大きな発展をしたのが 大和朝廷です。
大和朝廷が目指した国づくりは
・氏姓制度
・身分制度の確立
・交通路の確立
・一つの王家による国家統一
・都の建築
大陸に習い新しい国づくりを始めるわけです。
その道のりは険しく
都を平城京、長岡京、平安京と幾度も遷都を繰り返していきます。

約2000年ほど前に数百年をかけて日本列島が一つにまとまったわけです。
権力と武力、財力が天皇家に集中していき
身分の格差が広がり世襲制度となります。
自分の死後を子孫に委ねる気持ちは今も昔も変わらないのでしょう。