宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

意見のあわない方は、御容赦。

5つの喜びを体験して下さい。

2006-04-25 18:07:22 | 私の言いたい事
●5つの体験

1)知らない事を知る事。
何からでも、誰からでも、こだわらないで吸収する事

2)疑問を感じる事。
ただ疑うというより、「なぜ、(そうではなく)こうではいけない?」と、肯定的破壊へ

3)無いものから創り出す事。
現実に問い返す力がパワーを生み、それを活かして形ある自分だけの知恵にする

4)思いやりで、もてなす事。
自分が要求する事は、相手も同じく思うもの。ただ品よく行動あるのみ

5)広く・深く、伝える喜び。
いい事は、一人でも多くの人へ伝えたい、伝え方を考える事も又、楽しい


ひと休み

2006-04-25 09:49:32 | 私の言いたい事
●利休とホリエモン
利)大陸から入ったお茶を媒介にして侘びの文化の頂点に立つ。
ホ)アメリカから来たパソコンで I T 革命のトップに入る。

利)桃山文化に逆らい禅の教えと結びつく。
ホ)日本的経済感覚に逆らいマネーの価値観に捕われる。

利)道具も目利きにより高く販売して、敵を創る。
ホ)不当により株価を釣り上げ、資産をふやし、敵を創る。

利)政治家と結びつき利用され、身を滅ぼす。
ホ)自民党におだてられ、見捨てられただ今、塀の中。

時代を動かす人は何処か似た所が有るのかも。

侘びの文化

2006-04-25 09:48:10 | 私の言いたい事
●侘びの文化が出来た訳
珠光から始まり利休で完成した「侘びの文化」、ただのお茶の世界ではなく世の中の動きを変え、その後の生活にも多くの影響を与えて来た「侘びの文化」の起こりは、そもそも珠光の時まで文化と名のつく物は、政治、宗教家らの支配者文化であった。珠光の時代の侘びはまだ一部のはぐれ者が「もやもや感」の中での事だったが、利休までの間には日本の大きな波の変化があった。それは安土桃山文化の発達と、天下統一を計る戦国時代の底に流れる「下克上」の思想ではないだろうか。
その気持ちが武士ではなく堺の海外との貿易などにより、莫大な財を成した経済界の間から「此れは千載一遇のチャンス、ここで我々も・・・」と、時代の波をいち早く肌で感じる商人魂に火がついた。財力もあり、時の勢力者も一目置く者達が何で、今さら貧乏臭い「侘びなるもの」に行ったのか。
金はあってもしょせんは商人。何処かに持っていた反抗心が、桃山文化の持っている完全な物から砕けたもの、真から草、繊細から素朴、優美から寂びる、人工的から自然、快楽から脱俗等今までの文化の反対の思想が禅の教えに合致し、「有」から「無」、有る物を捨てる、無駄な物を省くカッコヨサを極めた文化になって行ったのではないだろうか。しかし、庶民はまたしても「オイテケボリ」。
侘びの茶道その後は、利休の心配していた通りに純粋さは薄れて行くし、
小さな藩の大名でも支配者階級、「侘び」だけの茶道にはなれなかったのだろう。

立場が変われば、悪も善、

2006-04-25 09:35:22 | 私の言いたい事
●人を殺す事は悪い事?
他人の物を盗んだり、傷つけたり殺す事は本当によくない事なのか?動物だって縄張りに侵入されたり、餌を横取りされれば戦って追い返す。此れだって「やる方」、「やられる方だって」それなりの理由はある。それほど遠くない時代、人喰い人種がいたが此れだって、自分の種族、家族、自分を守る為であり、別に悪い事をしているとは感じてはいないし、彼らには罪悪感はない。ただ其の考えになった基になる物(喰ってしまうと相手の魂は復讐が出来ないなどの考え)はあったはずだし、そこに心を引き込んだ者(権力を持ち、維持してゆく者)がいたのだろし、加えて其の考えが、育ちやすい環境があったのだろう。しかし此れは特別だし、普通地球上に人間が誕生してからそれほど時間がたたない間に盗むな、傷つけるな、侵すな、嘘をつくなという「素なる心」は自然に出来たのではないか? 動物や人間の間には、絶対平等はない。力のある者、優しい者、頭の良い者、狡猾い者、今の時代も何も変わらない。しかし、人間と成りつつある時代は、人の数も少ないし、厳しい環境の中生き残って来た者ばかりだから差は少なかっただろう。
初めは、個人・家族の単位での本能丸出しの生活だったが、危害を加えるより加えられた方が悲しみの気持が強かった事を学習して行った。やがて仲間ができ、更に集団へと発展して行くと共に、差別化は大きくなり、人間本来の「在りし物」は無くならない。
「素なる心」が出来るのも、道具が出来るのも出来方は同じではないだろうか。ナイフは、小さく物をきる為、フォークは手で摘んで食べるのが汚い為、地面が汚れているから靴が出来、情報整理を速くする為にパソコンが出来た。不便は発明の母というが、「○○○なので、」「○○○だから、」と道具は発展して来たのだろう。盗むな、傷つけるな、侵すな、嘘をつくなという「素なる心」も同じく必要により出来てきたのでは無いだろうか。
強い者が弱い者を治める(自分だけの所有感)のに都合がよく便利だし、弱い物は、自分の身の保証(おんぶにだっこ)ができ安心を手に入れる事ができた。でもそこに、人間だけが持つもっと、もっとの「欲」という物が表れますます悪のスケールが大きくなってきて「素なる心」の自然発生では間に合わなくなって来たのだろう。そこで考えられる手段としては、「絶対なる物」の力を借り「教え」が創られた。此れが宗教の始まりで法律の始まりだと思う。これについては後に語るがここではまだ、「素なる心」を語ろう。道具ができればみんな喜ぶ(そうで無い物も出来る事もある)、マイナスからプラスの世界。ない所へ創造の世界。しかし、人を殺すな、盗むなは、+から-の世界。有から無への世界。サントリーウイスキーのCMに何もたすな、何も引くなとあったが正にその事ではないか。道具はプラスとし、命はプラスその物、そのままで壊さないのがよい。プラスの言葉を「あるもの」とすれば、もっと分かりやすいのではないか。

身と意

2006-04-25 09:19:28 | 私の言いたい事
●心と目どっちが大事か、本心が見えない。
「茶室、草庵や露地といい、創る趣旨とは別に、形に捕われ、見る物、見える物に、特に目からのインプットに此れほど強力に意識し、作り上げなければならないのか。どんな小さな道具にいたるまで、心の茶を目指しているのならば、目に見える形の法にこだわらなくてもいいのではないだろうか。茶人の中には、私から見て、あまりにもやっている事が、茶道の精神の禅と、違うのではないかという部分が感じられる。そこが、どんな場所であってもどんな部屋であっても、心の持ちようですばらしい「場」になるのではないか。
野点の時の道具は其の風景にまけないような道具立てや、不意の客には、名物ものを使用し、真のお点前をするなど、利休本心の意味は解らないが、余りにも「目で見えるもの」に捕われ過ぎてはいないだろうか。客に対しても茶巾の話しがあるように不潔でなければそれでよいのではないか。家は、漏らぬ程でよい・・・と、いっていたではないか。でも???庶民より数段良い生活を送って立派な家にすんでいる者が良く言うよ。こんな所も疑問点ではある。付け加えれば必要以上に手間、暇、金をかた草庵、露地にしても心の修行であれば、町外れか、田舎に創っても良いはずなのに、高級宅地に草庵のように建てたのはどんな神経なのか解らない。
そこに来たくない客なら来なくてもいい。偉い人の付き合いもない私だったらいくらでも言えるが、利休も天下人との付合いの中ではソウモイカナイカ!落とし穴の話じゃないが相手の気持ちを思う優しい所もアル千利休、本当の心からの侘び茶をしたかっただろうな~。この時代、禅宗の僧たちは、どんな茶会を催していたのだろう。

私の茶道史

2006-04-24 09:53:00 | 茶の湯
●私の感じた茶史
現代の茶道は、久松真一が言うようにここまで「禅なる物」でなければならないのか?
禅僧により日本にはいり、僧によって飲まれていたお茶が、時の権力者や、知識人へとでてゆく。そこで婆娑羅と出会い、闘茶や、綺羅びやかで、何もそこには思想的な物はない「茶の湯」となる。そういう世の中であればあるほど、ついて行けない者が表れてくるものだ。此れはいつの時代でも同じではないだろうか?そんな「もやもや」とした所に、茶の湯の経験を持つ「いいとこのお坊っちゃん」が、其の時の反逆者とまではいえないが、反抗精神の強い一休禅師との出合いにより、若さと知識欲でそこを寝城とする若い教養人と熱にうかされた者のように、けんけんがくがくと討論しあい、段々と茶道の形が出来上がって行ったのではないだろうか。
歴史の司書には表れない「もやもや」の人達に賛同され、協力され、引き立てられたのではないか?
革命児でもないし、人間形成を狙ったのでもない、ただ素直にお茶が好きだった男が、「場」と「時」の動きにより、其の時代の流行と反対の力が働く振り子現象のように、堕落した物が大きければ大きいほど、段々と振り幅が大きくなり侘びの精神が生まれて来たのではないか。     
時代も戦国時代に入り、禅の教えを基としていた茶道が、いくさ、戦に明け暮れ、常に「死」と対面しなければならない武士のより所として、武家社会に取り入れられた。其の精神とは別に茶道の道具に付加価値を付け、場を設け、上手く利用した男が信長ではないだろうか。
茶人は折よく、上手くスポンサー・パトロンを見つけ茶道発展の夢を見つつ、台子のフォーマル点前に励んでいった。信長の死後、秀吉が最高権力者となるが、所詮生まれは「山ざる」、何処かにコンプレックスを持っていただろう。其の時代の教養として求めるには、此れだけ幅の広い、奥の深い茶道をおいて他にはなかったのではないだろうか。時の権力者は、茶道の今で言うカリスマの利休を身近に置く事により、自分の足りない部分を補い、誇っていたのではないだろうか。また利休も自分の成しつつある侘び・寂の茶道を完成し、茶道の支配者になる為には、秀吉と持ちつ、持たれつ、ギブアンドテイクの世界で、やっていたのではないだろうか。
しかし、純粋培養に近いタカだか茶人と、秀吉、家康などは戦国時代を命をかけて生き残り、人も、物も見る目も違う。我々凡夫が「どうの、こうの」と訳知り顔で語るレベルではない権力者とでは、何処かに噛み合わない物があったのだろう。ワンマンな天下人と、其れに従服している諸大名とでは、まるで違う人種なのだという事に、気を付けなければならなかったが、禅宗を身に付けている茶人として、最高権力者の汚さ醜さが見えてはいたが、ささやかながら、手を変え戦っていたのではないだろうか。
朝顔の件にしても普通は、ここまでやるか? 美の追求というより、他の者の犠牲により、生き残っているのが「アンタナンダ!」と嫌みをぶつけて戦っている利休を感じる。他のエピソードもこの目で見たら底に流れている闘志が、見えるのではないか。
利休の最後も、戦い疲れ、矢が折れ、「やけっぱち」でなく最後まで戦い、「相打ち」の心意気が見えてくるのは私だけだろうか。---利休は勝った!---
利休最後の歌には、禅宗の教えは生きているのだろうか。自分と、権力者、二人のための「戦いの茶」は、此れで幕となる。
利休の後の茶人は、茶道の「道」のための、形だけの「禅」を残し、形式を重んじた、我が身可愛さの「ヨイショの茶」となる。その後も、いろいろと茶人は変わるが、元から外れたリサイズ、リバイス、リサイクルの「道」としか感じられない。
其れでは、今の時代の茶道とは「なんなのか?」「どんなんだ!」と思う。
それは、もはや「○○○の茶」と一言では言えないない、色んなバリエーションがあり、□□□中心のお茶になって行くのではないだろうか。其のコンセプトは、平和であったり、癒しであったり、拝見であったりの個性を活かした創造性豊かな個人の茶道になって行くと感じられる。久松師ほどの茶道の落ち目を感じたくないのが本音だろう。
何でも飲み込み、咀嚼し、吐き出す。これが日本の地の「気」なのだ。

素人の目を大事にしよう

2006-04-24 09:47:48 | 私の言いたい事
●「大いなる素人の目」で見よう。
宗教であれ、科学であれ、医学であれ、その道のプロはその道の絶対的なもので、深く深く探究すればそれで良いのではないだろうか。(一方的になり狭い視野で見る恐れもある)。その創造されたものを庶民に還元するだけで、其れを一般の我々におこがましく押し付けないでもらいたい。必要であれば、我々は、其れを取に行くだけ。我々凡夫はただその世界を自分の事として、またその道のプロでないのでいろんな経験から見た「目のコラボレーッション」で楽しんでいるのだから。
どの世界でも真人はそんな小さな事には、目くじらを立てないものだと思う。その道を創造した方は、最初は、理解されない人々に中傷され、苦労したのではないだろうか?
其れを継承する人は、長い間に色々な祖以外の人の塵がつき「素」なる物が見えなくなりつつあるのを、真剣に受け取らなければならないと思う。またその道の「祖」のいう事であっても年令により、変わる事もあるという事も心しなければならない。朝と夕では時間が経過しているので考えが変わっていても不思議ではない。私は常に「大いなる素人の目」で、ものを見るようにしている。最近は、デジタル世界で、オーディオ・カメラなどでその世界が大きく変化してきたが、心の部分も影響されて来るのではないか。


心の茶室

2006-04-23 22:52:39 | 茶の湯
●茶室について
禅宗から見た茶道の茶室は、まさに道場である。今は、禅の心で茶をやろうと思う人も少ないし、利休の時代のように、戦場へ送る茶会を開く為の場でもない。まして、世渡りの為の手段の場でもない。
決壊により、俗世との隔たりとして、母なる体内とする。腹水の中に泳ぐ胎児のように、大きな何ものかに守られ、安心した静かなる心で、おごった装飾もない道具に囲まれ、松風の音も母の鼓動のように聞こえ、生きている実感を我が肢体に感じる。父と母から命をもらった様に、片手に真人の心、もう片方の手に道具を持ち、今、まさに新しく生まれ変わる。茶花が一輪で自然の恵みを表しているように、露地がなくても何かで変わりがつとめられれば、母の体内へ辿り着く事ができるだろう。客は生まれる胎児の後見人であり、茶を差し上げる事は、感謝の気持ちで点前をしなければならない。


●心の茶室 2
極端ではあるが、そこに茶室や道具がなくても「独り茶」であればお茶をいただいた事と同じ様に、心の落ち着きを感じる事が出来るのではないか。禅宗でいわれてる自我、我欲を捨て、捨て、捨ての自覚を持てば、心でお茶が点られるのではないだろうか。
惑わされるな!人はみんな自分自身の中に法を説き、他人に其れを押し付けて正当化する事を意識せずにする生き物なのだ。半径3メートルの世界より、いろいろと経験し、知識を増やし其の半径を∞にして、其れも正しい世界へと目を向けて正しき物をみきわめる「心の目」を育てよう。
物=道具=芸術品の流れがあるように、心にも芸術品が出来るのではないか。俗世に於いての茶道でも、今は其れは其れでかまわない。無駄となことは、この世にはないのだから。そこに真のお茶の心をひと茶尺ほど入れれば、現代の茶道も変わってくるだろう。


何のためのお茶なのか

2006-04-23 22:49:29 | 私の言いたい事
●誰に、どんなお茶を差し上げたいか。
心がどうの、道具がこうのと言ったとしても、所詮は、中産階級の一小市民で、特に緊張感のある生活を送っているわけでなく、それなりにハッピーな時間を過ごし、先祖からの受けついだ物もなく、ましてや名物ものを持っている分けはなく、茶室なんてはもってのほか。
私の今の生活は、恵まれている。少々体には難はあるが、自分の好きな事をやる時間と、蓄財はないが日々食べる為のお金があり、家族もまあまあだ。
自分のお茶の心を覗いてみたら、どんなお茶なんだろう?
誰の為に・・・勝ち組・負け組など勝負の世界で、不景気で、忙しなく、殺伐としている現代。その中で日々生活を余儀無く送らなければならない知人に、
どんなお茶・・・少しでもくつろげる時を味わって頂こうと思っている。
同派の茶会と、他流の中での茶会と、大勢の知らない人の大寄せの茶会と、自分だけの仲間を呼んでの茶会と、茶会の内容は異なるが、ただ楽しい時間に「ひたるお茶」を目指している。ルールに乗っ取り、ピーンと緊張のいとのはった茶会もいいが、楽しんで、みんな笑顔で帰る茶会もいいもんだ。その後、一人で飲むお茶の味は別もんだ。
仲間でも、会社の仲間、居合いの仲間、お茶の仲間が一つになると新鮮味がでて、自分の立場というモノを意識する面白さが出る。また、お茶を媒介に
新しい仲間として行く過程とその結果が、お互い満足していて面白い。まさに、コラボレーションの世界だ。


●私のお茶会
知らない者どうしが色々と話し合うのは楽しいもの。私の茶会には職種の違う人をあえて組ませ、お互いが自分の違う世界を見るチャンスで、知らなかった世界を知る面白さを楽しんでいます。今の若者の「合コン」ですかね。

禅宗の中に、無欲、無我、など、無、無、無で、此れじゃ発展というモノが
無くなるんじゃないかと思いますがそこは、よくしたモノ。
村田珠光の「心の文」に、「心」とは我慢、我執も含めた様々な欲望や意識がすべてです。そうした心を、必要な時には使い、不要な時には、捨てられるように、自由自在に使いこなせる人間でありたい、というのが珠光の結論でした。・・・(裏千家珠光を読むより)

なんか、今の時代「無」そのものがなんだか僧侶も研究者も本当に解っていたのだろうか?解らんから、自分に言い聞かせるがごとく無、無、無と多無しているのではないのか。
「無」という言葉そのものを、美化し過ぎてはいないだろうか。

私の茶の目的は、おいしくお茶を飲むことです。おいしいではありません。
流派とはあまりにもかけ離れた田舎点前です。私は、こんな感じで楽しんでいます。
貴方は誰に一番お茶を差し上げたいですか?。・・また「なぜ」?



創られしもの

2006-04-22 16:08:02 | 私の言いたい事
●「つくられしもの」とは、
お点前(当流派は、お点法と表す)の作法の違いの動作や、道具の好みなどは、流祖個人のモノであり、また極端にいえば、侘び・寂・きれい寂びなども、個人によって変化する。人によったり、その作られる時の環境でなったり、時代により変化するものは、「つくられしもの」であり、元の素ではない。本の基に立ち返って、もう一度垢を取って出直すのも新しいジャンプとなるのではないか。話は飛ぶが、お釈迦様、キリスト様、チョット違うが、利休さん自分自身で書き残した物がなく、後にお弟子さんによる伝書・・、此れも「つくられしもの」となるのか。

屁理屈大好き

2006-04-22 16:02:48 | 私の言いたい事
●「屁理屈」について
文字で表すとなんと汚い言葉なんだろう。禅宗の教えの中に「無門関」という公案があるがこれなどは理屈、屁理屈の極みではないか?
裏を読み、更にひねって読み返す。今自分は何を感じているのか解らなくなる。もっと普通に語ってくれた方が分りやすいのではないかと思うくらいだ。他のとらえ方をされる可能性がある言葉だけの難しさを、例え話に置き換えて伝える事により、情景が浮かび、言葉だけよりも深くか?早くか?簡単にか?理解されやすいからなのか。しかし、今の私では理解する事が出来ないもっと深い意味が隠されているのだろうな~とは、思う。時間がたったらまた読み返そう。


●数奇者は理屈、駄洒落好きが多い。
小さな例えかも知れないが、薄茶器に上下両方に浅い面取りをしてをしている「ふぶき」という中次がある。「吹雪の為に咫尺を弁せず」といい、吹雪の為見分けがつかない、転じて、天地の判断がつかない。という意味を持つと同時に文字も「雪吹」とひっくり返っている。ここまでくると、「まいった!」と言わざるをえない。まだまだ、茶道の中には、見えない、わか~んない、モノが隠されているのではないだろうか?実に、ユーモアたっぷりではないか。日本人には、ユーモアがない、たらん、なんて良く聞くが、こんな高尚なもんは何処にもないだろうし、狂言、川柳だって実に日常に潤いを持たせるものがあったではないか。富国強兵の軍国主義が壊したのだろう。
屁理屈も一定の線をこえれば「能」の肥やしになる。
茶事・茶会のテーマーに茶掛けや道具の取り合わせで、その日の亭主の伝えたい事をそれとなく表し、客に理解される事を、心待ちにしている。其れなども言葉にすると「へりくつ」なものの表現があるのではないか。


茶人とは

2006-04-22 15:51:38 | 茶の湯
●茶人は「いいとこ取り文化」の人。
茶人は、あくまでも茶人なのだ。禅宗を元にして成り立ってはいるが禅師ではない。陰陽五行の易学の影響も大きいが、陰陽師ではない。お点前の中で、柄杓の扱いは弓道から来ていると聞くし、動きの中ではまさしく武道の形をも感じさせられる無だのない動き、目線の配り、呼吸など武道そのものではあるが、剣聖ではない。能や、和歌、道具にいたってもその道での生業を建てている者ではない。まして、解説者でもない。全てレベルの高い所で茶の湯に最も適した「自分の形に表す」事のできる、小心者が理解する所を超えた徹底的な心を持つ真人なのだ。
だから、いろんな分野での「創造性なる物」への貢献が出来ているのではないだろうか。


教えるとは

2006-04-22 13:38:01 | 私の言いたい事
●禅については。
「禅」単体で無く「禅と茶」とのつながりをじぶんの身にどう感じるかを体験したく思い、いろいろと探してはいるが、なんだか最近「茶禅一味」は、嘘っぽい、まがい物の考えではないか?、ばかやロー、かっこつけるな、茶やって悟れるか?と思う気持ちが大きくなってきている。
「てめーにはないからほしくてほざいたんか?」今現在の私には、まだ理解できません。
そのうち解るかも、ずーと解らんかも・・・たのしみです。
居合いもやっていますが「剣禅一味」についても同じく解らん。人を切るだけなのにね、今の時代にいわれるのだら解ります。剣は、「自分の我を切るもの」の考え方もあるのだから。
以上「道」のつくもンは精神が入り、日本文化を作る土台となってはいるが、そのうち、「広告道」なんて言い出すやつが出てきたりして。


●教えとは、
主に学校などで、、知る事、教える事とは、知識を得ること、伝える事ばかりではなく、身を持って動くことだと思う。
覚えるには、其れが本当に楽しくなければ覚える気もしない。面白ければ、黙っていても自分で進む。自分自身が考え、もひとつ深く考え、質問する事で更に良く深く身につく事なのではないか。
教える立場の人は、「知っているとこんな楽しさがあるのだよ!」と、その楽しさの種類をいろんなやり方で伝える事が「お し え る」という事なんだろう。


●宗教の教えとは。
今の宗教に興味を抱く人は、困った人、悩んでいる人、助けを求めている人などマイナーな時だけに、自分の逃げ道としての宗教で、自分から求めていく人ばかりだ。幸せな人も教えを感じるのもイイノではないか。

●教えは、やさしい言葉で。
教えは、語れば語るほど真が無くなる。語り過ぎは、押し付けとなり、自分の自我を膨らませるだけである。知識人は、言葉を創り過ぎる。だから其の言葉を更に説明しなければならない。その内何を言っているのかさえ解らなくなる。貴女達のお利口さは、解っておりますから御安心を。其の道の専門家は、専門知識を持ち、専門用語を使う。それは其の世界の符号と成り非常に便利な記号の働きをする。しかし此れは、一般の人には解らん事である。気を付けよう、気を付けよう。


●「知識の種」を植えよう
誰かから「知識の種」をもらったら、それはもう貴方のもの。それをどう育てていくのかが問題になる。日が当たり、肥えた土地で育てた物と何も手をかけない種では、実りに差が出来るのは、当たり前。
立派に根を張り風雨に耐え、やがて大きな完熟した実を沢山つける。
さあァ食べよう。甘露の味を味わおう。大切に食べよう。一人占めは辞めて周りの人にも分けてあげよう。それでもまだ残るから。
最後に其の種を植えよう。次にくる人々の為に。
知る喜び・創り育てる喜び・使用する喜び・人の為に分け与える喜びを味わう事ができるでしょう。




私の茶会

2006-04-22 13:34:49 | 茶の湯
●最近の道具茶会に思う事。
村田朱光から明治、昭和の時代へと、そのとき時に、合ったものを受け継がれてきたが、今一度、元へ戻って見るのもいいかな~と思う。
その結果、男の茶道塾を道新文化センターへ講座を持とうと企画中。
今の茶道はお点前・道具がメインで、家元中心の茶道ではないだろうか。
そうでは無く、おのおの各自が、今までの生きて来た中での身に着いているものを活用して、お茶に取り入れ自分自身の「茶の湯」を楽しむ事も大事ではないか。此れだけでは「ただの時間つぶし」にとらえられるので、そこに「へそ」となる茶の心である「禅」らしき事を取り入れ、少しでも何かに役立つ時間を持つ。
これが私のやりたい「茶の道」で、誰が先生かなど、関係ない世界です。

悟りにも段があっても良いんじゃない。

2006-04-22 10:28:12 | 私の言いたい事
●サトリの段階
初段 「なるほど、ワカッタ!」・・・頭で理解したこと

弐段 「ヤッター△※♤*♢!!」・・・感動の中にまだ原因がある事を
                  感じる
参段 「ガーン!」「ナンダこれは、」・・・肌に、「絶対なる物」を
                   感じる時。
四段 「ただ、涙」・・・部分的悟りで、身と心を別々にする。

五段 「 無 」・・・・大悟したことで、自己の心、身、口を捨てる
    
           ここまではまだ自分の身の事である

師範 「 ? 」・・・・無償の行為