●『正法眼蔵 弁道語』
「わづかに一人一時の坐禅といへども、
諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに、
無尽法界のなかに、去来現に、常恒の仏化道事をなすなり。」
「たとえ一人の一瞬の行動とはいえ、
それは無限の空間に広がり、過去現在未来に響いて、
途絶えることはない。」
つまり、禅のもとめる究極の美しさというのは一瞬のうちに永遠の時
間と空間が凝縮されて、過去現在未来が分かちがたくなり、自分の身
体がどこにあるのか(空間)、どこからきたのか(因果)も定かでは
なくなるときに現れる。この境地においては主体と客体の区別はなく
なってしまい、対象世界(自然界)と完全に一体化してしまう。
禅の悟りは、自然の観照から得られる。
自然界の事物そのものが無目的性であることによる。花が咲き、川が
流れて鳥が飛び、木の葉が散るといった自然自体には意識も思慮も計
算も無い。まったくどんな目的意識も無い。これを禅では「無心・無
碍(何にも妨げられないこと)」と言う。有心の、目的意識・計算を
もったすべての行為、事物、思念は「無心」にくらべたら取るに足ら
ぬものなのである。
●<「道」と「術」>
『剣道』『柔道』『茶道』はもともとは『剣術』『柔術』『茶藝』で
あった。日本人は具体的な「技・術」の積み重ねに、精神性・思想を
加えて深みを与えてきたとされる。
例えば宮本武蔵。彼は30歳ぐらいまで連戦無敗と伝えられる。それ
はひとえに型に縛られない臨機応変な兵法による。術のたゆまざる積
み重ね、完成の後『五輪の書』で理論化する。しかし、日本はその思
想・観念だけを見て、それに縛られる傾向にあるのではないか。
●日本の茶「道」
『井戸茶碗』 と 『沓(くつ)型茶碗』この二つは日本の茶道で使
われる茶碗であるが形が歪んでいるという共通点が有る。
しかし、その成立には正反対の理由がある。
井戸茶碗は高麗の雑器である。そのときの高麗ではもはや茶は廃れて
いた。飯茶碗として作られたものが井戸茶碗である。その形は破形・
不均斉であったので茶人たちはこれに「完全への否定」という禅思想
が見られるとして大絶賛した。
沓型茶碗は反対に茶人が有名な陶工に強いて形を歪ませ、作らせたも
のであり「井戸茶碗」に見られた「完全への否定」を意識的に企てた
ものなのである。
しかし、井戸茶碗を雑器の中から「至高の美」として見出した初期の
茶人は果たして「完全への否定」という思想が見られたから井戸茶碗
を美しいと感じたのだろうか。そもそも井戸茶碗を作った高麗の陶工
というのは当時一番低い身分で、文盲だった。しかも儒教が主流で禅
が流行しなかった朝鮮半島で、「完全への否定」のような思想は生ま
れようはずが無い。
井戸茶碗は量産された茶碗であり省みられることの無かったものであ
る。すなわち作るほうは形など気にしてられなかったのでありおのず
からかたちが崩れたのだ。井戸茶碗を作った陶工は積極的に均斉さを
否定したわけではない。柳宗悦はこの無意識から生まれる「至高の美」
を「美」と「醜」という概念が生まれる以前の「不二の美」と呼んで
いる。
井戸茶碗が日本の茶人の創始者たちに受け入れられたのは意識も思慮
も計算も無い。まったくどんな目的意識も無い。「無心・無碍(何に
も妨げられないこと)」からではないのか。
沓型茶碗は初めから「完全への否定」などという目的意識にガッチリ
縛られてしまって「無心・無碍」からは程遠くて、禅の思想からもか
け離れたものになっている。「目的表象無き合目的性」ではなく、
「目的表象はあるけれど、反目的性」になってしまった。
「禅の思想を以て茶器を作っても、それは茶器でもなく、
禅の思想からもかけ離れたものができてしまう。」
●中国の茶「藝」
最近日本では中国茶藝が流行している。中国茶藝は固定化して観念・
理論にガッチリ縛られてしまった日本茶道と違って、今も変化の途上
である。いいものは何でも取り入れ、茶器に対しても捉われの無さが
ある。日本の茶道の創始者たちが、「茶」にまったく関係ないもので
も積極的に取り入れて茶器として用いてきたように中国茶藝において
はガラスでもプラスチックでも、良い物はなんでも活用する。
●<まとめ>
自分にも言える事だが、やはり日本人は何をやるにしても
性急に「答え」を求めすぎる傾向があるように思う。
そして「答えのようなもの」が見つかるとそれに縛られてしまう。
茶「道」という形で観念的に固定化しなかった茶「藝」のほうが
理論に縛られていない分、具体的な行動の中に「禅」を体現している。
理論に縛られてしまった「日本茶道」は「ワザ・術」を
喪失してしまっているのではないか。
宮本武蔵が「術」を積み重ねて積み重ねて五輪の書という「道」を
作り上げたように、茶道も「茶を楽しむ」という具体的な「術」を積
み重ねて「道」に到達したはずである。
「わづかに一人一時の坐禅といへども、
諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに、
無尽法界のなかに、去来現に、常恒の仏化道事をなすなり。」
「たとえ一人の一瞬の行動とはいえ、
それは無限の空間に広がり、過去現在未来に響いて、
途絶えることはない。」
つまり、禅のもとめる究極の美しさというのは一瞬のうちに永遠の時
間と空間が凝縮されて、過去現在未来が分かちがたくなり、自分の身
体がどこにあるのか(空間)、どこからきたのか(因果)も定かでは
なくなるときに現れる。この境地においては主体と客体の区別はなく
なってしまい、対象世界(自然界)と完全に一体化してしまう。
禅の悟りは、自然の観照から得られる。
自然界の事物そのものが無目的性であることによる。花が咲き、川が
流れて鳥が飛び、木の葉が散るといった自然自体には意識も思慮も計
算も無い。まったくどんな目的意識も無い。これを禅では「無心・無
碍(何にも妨げられないこと)」と言う。有心の、目的意識・計算を
もったすべての行為、事物、思念は「無心」にくらべたら取るに足ら
ぬものなのである。
●<「道」と「術」>
『剣道』『柔道』『茶道』はもともとは『剣術』『柔術』『茶藝』で
あった。日本人は具体的な「技・術」の積み重ねに、精神性・思想を
加えて深みを与えてきたとされる。
例えば宮本武蔵。彼は30歳ぐらいまで連戦無敗と伝えられる。それ
はひとえに型に縛られない臨機応変な兵法による。術のたゆまざる積
み重ね、完成の後『五輪の書』で理論化する。しかし、日本はその思
想・観念だけを見て、それに縛られる傾向にあるのではないか。
●日本の茶「道」
『井戸茶碗』 と 『沓(くつ)型茶碗』この二つは日本の茶道で使
われる茶碗であるが形が歪んでいるという共通点が有る。
しかし、その成立には正反対の理由がある。
井戸茶碗は高麗の雑器である。そのときの高麗ではもはや茶は廃れて
いた。飯茶碗として作られたものが井戸茶碗である。その形は破形・
不均斉であったので茶人たちはこれに「完全への否定」という禅思想
が見られるとして大絶賛した。
沓型茶碗は反対に茶人が有名な陶工に強いて形を歪ませ、作らせたも
のであり「井戸茶碗」に見られた「完全への否定」を意識的に企てた
ものなのである。
しかし、井戸茶碗を雑器の中から「至高の美」として見出した初期の
茶人は果たして「完全への否定」という思想が見られたから井戸茶碗
を美しいと感じたのだろうか。そもそも井戸茶碗を作った高麗の陶工
というのは当時一番低い身分で、文盲だった。しかも儒教が主流で禅
が流行しなかった朝鮮半島で、「完全への否定」のような思想は生ま
れようはずが無い。
井戸茶碗は量産された茶碗であり省みられることの無かったものであ
る。すなわち作るほうは形など気にしてられなかったのでありおのず
からかたちが崩れたのだ。井戸茶碗を作った陶工は積極的に均斉さを
否定したわけではない。柳宗悦はこの無意識から生まれる「至高の美」
を「美」と「醜」という概念が生まれる以前の「不二の美」と呼んで
いる。
井戸茶碗が日本の茶人の創始者たちに受け入れられたのは意識も思慮
も計算も無い。まったくどんな目的意識も無い。「無心・無碍(何に
も妨げられないこと)」からではないのか。
沓型茶碗は初めから「完全への否定」などという目的意識にガッチリ
縛られてしまって「無心・無碍」からは程遠くて、禅の思想からもか
け離れたものになっている。「目的表象無き合目的性」ではなく、
「目的表象はあるけれど、反目的性」になってしまった。
「禅の思想を以て茶器を作っても、それは茶器でもなく、
禅の思想からもかけ離れたものができてしまう。」
●中国の茶「藝」
最近日本では中国茶藝が流行している。中国茶藝は固定化して観念・
理論にガッチリ縛られてしまった日本茶道と違って、今も変化の途上
である。いいものは何でも取り入れ、茶器に対しても捉われの無さが
ある。日本の茶道の創始者たちが、「茶」にまったく関係ないもので
も積極的に取り入れて茶器として用いてきたように中国茶藝において
はガラスでもプラスチックでも、良い物はなんでも活用する。
●<まとめ>
自分にも言える事だが、やはり日本人は何をやるにしても
性急に「答え」を求めすぎる傾向があるように思う。
そして「答えのようなもの」が見つかるとそれに縛られてしまう。
茶「道」という形で観念的に固定化しなかった茶「藝」のほうが
理論に縛られていない分、具体的な行動の中に「禅」を体現している。
理論に縛られてしまった「日本茶道」は「ワザ・術」を
喪失してしまっているのではないか。
宮本武蔵が「術」を積み重ねて積み重ねて五輪の書という「道」を
作り上げたように、茶道も「茶を楽しむ」という具体的な「術」を積
み重ねて「道」に到達したはずである。