宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

意見のあわない方は、御容赦。

●茶の道を活かす

2010-04-23 16:37:01 | 茶の湯
貴方だから出来る茶会②

貴方は今何をしていますか? どういう状態に身を置いていますか? 貴方は何をされたら嬉しいですか? 
亭主として今の貴方だから出来る茶会。貴方が今出来る茶会のヒントがここにあります。しっかりと自分の足下を見て下さい。
茶会は拝見に出す道具が無くてもその一時を持つ事が大切なのではないだろうか。お孫さんのいる方なら、楽しい話をしながら飲むお茶、目に映るような気がします。親や子といただくお茶、心にしみる時間が持てるのではないでしょうか。
私は最早両親は他界してしまっているが、兄弟集まった時など仏壇の前で茶盆点てで思いで話をする茶の時間は又格別な時を感じます。
人それぞれの生活の中、自分に出来る茶会をみつけ、楽しんで下さい。


●茶の道を活かす

2010-04-14 18:22:34 | 茶の湯
茶道のお点前を覚えたら次は何をしたら良いか ①

時間をかけ風炉・炉の基本の点前を身につけたなら、今度は人前で点前を披露する事。幼い子でもピアノを習えば発表会で弾くではないか。同じ事。指導者が催す茶会に参加し、大勢の人前での点前で自分の腕を試し、実力をつける。
次には自分が亭主に成り自分の実力に合った茶会を開く。始めは、お茶とお菓子だけの茶会で良いのではないか?それこそ「お茶、しよう!」の感じで気の合った仲間との一服。話題も気の張った物でなく、趣味や思い出話や時には上役の悪口に至るまで気軽な時間を過ごす楽しみを味わおう。
それから少しグレードアップさせ、食事付きの茶会。会席、懐石を出す茶事とまで行かなくても、幕の内弁当や話題の駅弁などで、新しく手にした道具(見立て)、仲間の寄り合い(俳句の会)で、○○祝い事(誕生日)で、友とのコラボ(蕎うち)などアイデアに困らないぐらいの茶会を開くチャンスはある物だ。人に見せて恥じない道具がない、茶室が無い、金が無い、無い、無いばかり言っていたら何時までたっても出来ないもんだ。印刷物や動画で目にする茶会にこだわっては駄目。あれは見せる物として表現された世界。我ら一般庶民地に足をつけ見栄を張らずアイデアだけが勝負の見せ所。是も又茶道に精神に見合ったおもてなしが出来るのではないか。最近耳にする事の無くなった言葉「お呼ばれ」。是こそ茶道の心と思える。
ただ間違っても会費などを取る茶会などに成らないように。高い会費を払い窮屈な場所で道具の自慢話を聞く似非茶事に落ち入らないように。

●スピード落として

2010-04-06 10:26:42 | 好学庵日記
急がず、ゆっくりと。

今の教育は答えを出す事に急ぎすぎるようだ。教える方も時間が無いせいか答えをすぐに教えてしまう。勉強に限らず日本の文化、思想も軽薄短小を良しとするとこらから大きく変わってきたのではないか。便利、便利と、モノへの考え方から、マニアルの徹底により失敗の無い客との対応などそれになれた生活の結果、安易に答えを求める。
教える方も即、餌を与える。よって、自分の糧を簡単に早く得るための方法に飛びつき、自分の頭で考え作り出す事の出来ない子供たちが育ってしまう。子供に限らず、物事に付いてあまり深く考えない『簡単・便利さ」を求める大人達に育ってしまう現代の一面では無いだろうか。
全てが悪いという物ではない。現時点でもいろいろ出てきてはいるがもう片方の面も見直してもらいたい。
「何故なんだろう」「どうしてなんだろう」という疑問視する目を持ち、『どうしたらOKが出るだろう」と考える癖を付けたいモノだ。ハイスピードで回る今の世の中、取り残されはしないかと、心配になるのもうなずけられるが、本当に自分の力には成らないのではないか。教育者は当然、演劇の演出者、スポーツの世界のコーチなど先生と言われている方達に、使い捨を製造するなら是でも良いが、時間を掛けた人造りをもう一度見つめ直す所に来ているのでは無いだろうかと、問いたい。

●「血」&「気」

2010-04-02 00:39:48 | 私の言いたい事
人、とは天と地との間に存在している「モノ」の仲間の一種である。動物も植物も、地を這うもの、地上で過ごすもの。水の中で生きるもの、空を飛ぶもの全て同じ生き物で、何らかの影響を天と地からを受けている。
天からは「光」を、地からは「糧」を、天と地を繋合わせるモノとして生まれた「水」を与えられて生存している。
・・・が、いずれかは消える。な~んにも残らないのか、物体だけが消えてしまうのか解りません。しかし人からの五感で感じ取る物は何も無くなっている。存在するという事は、あらゆる生き物に与えられる光・糧・水を受け、生まれ、生き続ける事なのだ。そうして出来上がった目で見える物体と、目では見えないモノとの組み合わせで地球を始め、あらゆる物が生きている。
木や花を美しく咲かそうと思えばプラスするのは肥料。人にも教育や娯楽が必要となる。只人には見える物の肥料としては是で十分かもしれないが、見えない物への肥料がいまいち少ないのではないだろうか。二つの物が組み合っての人であればバランスが大切になる。見える物の代表に、生きている証として心臓から送り出されるTI(血)が流れている。では見えない物の代表とは何だろうか、それはKI(気)ではないかと感じられる。その二つの均衡を違えたならばの言葉もあるぐらいだ。
血の流れが止まったら、脳梗塞や心筋梗塞など死に結びつく結果となるし、それに対しての予防や治療、対処などはある程度できているに関わらず、気の方に関しては何ともお粗末な現代社会ではないだろうか。
中国思想では水に関しての関心は高いように、血の流れも同じであれば気の流れにももっと心がけるべきではないだろうか。結果として、気は溜めてはいけないのではないか、溜めれば淀む原因となる。