宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

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身と意

2006-04-25 09:19:28 | 私の言いたい事
●心と目どっちが大事か、本心が見えない。
「茶室、草庵や露地といい、創る趣旨とは別に、形に捕われ、見る物、見える物に、特に目からのインプットに此れほど強力に意識し、作り上げなければならないのか。どんな小さな道具にいたるまで、心の茶を目指しているのならば、目に見える形の法にこだわらなくてもいいのではないだろうか。茶人の中には、私から見て、あまりにもやっている事が、茶道の精神の禅と、違うのではないかという部分が感じられる。そこが、どんな場所であってもどんな部屋であっても、心の持ちようですばらしい「場」になるのではないか。
野点の時の道具は其の風景にまけないような道具立てや、不意の客には、名物ものを使用し、真のお点前をするなど、利休本心の意味は解らないが、余りにも「目で見えるもの」に捕われ過ぎてはいないだろうか。客に対しても茶巾の話しがあるように不潔でなければそれでよいのではないか。家は、漏らぬ程でよい・・・と、いっていたではないか。でも???庶民より数段良い生活を送って立派な家にすんでいる者が良く言うよ。こんな所も疑問点ではある。付け加えれば必要以上に手間、暇、金をかた草庵、露地にしても心の修行であれば、町外れか、田舎に創っても良いはずなのに、高級宅地に草庵のように建てたのはどんな神経なのか解らない。
そこに来たくない客なら来なくてもいい。偉い人の付き合いもない私だったらいくらでも言えるが、利休も天下人との付合いの中ではソウモイカナイカ!落とし穴の話じゃないが相手の気持ちを思う優しい所もアル千利休、本当の心からの侘び茶をしたかっただろうな~。この時代、禅宗の僧たちは、どんな茶会を催していたのだろう。

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