宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

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●茶事について!思う事

2016-04-18 20:49:15 | 茶の湯
茶会について!思う事。
先日久々に我が家にて客を迎えての茶会を開いた。
茶会というより11時開始とうい事で、昼の食事を出すという事で茶事と言われる物になるだろう。
・・・がしかし、我が家は、茶室に非ずで、ましてや露地や蹲いなども無く、とてもお茶会・茶事に客を呼ぶという代物ではない。
洋室の居間に20センチほど上げ、置炉を設置した畳のコーナーを設けた息子と2人での手作りのもので、茶室とは呼べず茶所と称している。
茶道に身を置いている者として、客を招き、お茶を飲み、楽しい時間を過ごす最低の茶会とは、どんな茶会だろうか、どうするかを考える事も楽しいのではないだろうか?
茶会、茶事の事を考えるにあたって何がそもそも、お茶との関わりを持ち、何をする事が私の求めているお茶になるかを考えるには丁度良い機会となる。
忙しい時間を割いて、我が家までわざわざ来て頂いて、ただ茶を飲んで、饅頭食って、飯食って、世間話に花を添えて、
帰ってもらってもそれなりの満足感は客、亭主ともに得られる物だが、果たしてそれで良いのだろうか?
人は分相応に自分を見つめ、それでいてどんな茶会をやるのかをしっかりと定め、実行に移さなければならない。
お茶の世界を思うに、気の合った客を呼び、やはり何かしらの自慢をし、喜んで客に帰って頂き、
自分も満足を覚える物であってほしい茶会を催す事が出来れば、最高である。
数少ない茶事などに呼ばれ、色々と思うところを考えるに、場所に関しては我が家での茶会であれば何ともしようが無い。
見た目にも奇麗に整頓し清潔感を出す事ぐらい。招く客については、人選に苦慮する。これはその時その時の内要にあった顔合わせに楽しさをを加える。
今回は蕎麦好きの客と、会の世話役としていつもお世話になっている方を、気軽な恰好で来て頂くよう図った。
道具に関しては茶会を一番盛り上げる事の出来る材料ではあるが、分相応で思うには、今の経済状態、年金生活者では、これと言って、
人に見せられるような道具とも無く、借金してまで求める気持はさらさらない。
ただ将来的には道具を自作し、見て頂こうとは計画している。客に喜んでもらうには、道具の他には何があるだろうか?食事も一つだろう。
京都などで、お客を招待する場合、我が北海道には無い「仕出しの文化」がある。我が力では、せいぜい茶会弁当をデパートで買って来るかではあるが、
これが結構お腹一杯になるもんで、お茶を飲む時は何故か美味くない。そんな訳で、寄り付きで口をさっぱりして頂いてから、茶所に席入りし、
蕎麦饅頭を頂いてから濃茶手前に入る。その後寄り付に戻って頂き、食事の用意をし、今一度手を清めてから席に付座布団を敷く。
今回の食事は、以前文化センターの受講生だった方がおそば屋を開店したので、稽古には来られなくなったが、
蕎麦茶会を店の休みに来て頂いて開こうと計画し、当日何を出すかを事前に打ち合わせをする。
その結果、向う付として、卵焼き(我が家に来てから焼く)に紅白の板蒲鉾にたらの芽のミソ和え。
本膳は更級蕎麦、十割蕎麦、桜の葉の塩漬けを刻んだ三色盛りとし、薬味を山葵やからし大根でいただく。
お酒を出すことを前もって伝えておき、自家用車を使用する事無く来て頂いたので、札幌では不便をかけてしまう。
昔の茶室は「市中の山居」と言われていたが本当にそうだな〜〜と、思い知らされた。
お酒は桜を意識し、「花キザクラ」と名のあった物を飲んだがイマイチで、名前にこだわってはいかんと後悔する。
通常は亭主は影で食するが、お客を呼んで話題に入らない事に何故か違和感を感じていた私としては、膳を持ち出し一緒に蕎麦を頂き、
膳を用意してくれた方も一緒に囲身、蕎麦についてのうんちくを大いに語ってもらう。(本人は無口のため、大いにとはならず)
時間を置いて薄茶に入るが、今までお詰めをしていただいた女性に変わって、我が制作の立礼にて点てて頂く。
食事を受け持ってくれた方が薄茶席に参加してもらい私も席を同じくする。
菓子はお干菓子で手順は遠州流独自の重ね茶碗点法で行う。我が流派では、一段落して番茶(今回は蕎麦茶)と水菓子を盆にのせ、
道具の箱書きなどをご披露し、最後のもてなしを行う。我が家では道具の披露は無いが、玄関より見送る。
帰りの坂を歩いて景色を見ながら下るのも、風情の一つ。時間は三時間半ぐらいで、その後の片付けを一人で済ませたのが六時半。
二階を上がったり下がったりの二日間。モウダメ〜〜〜〜〜ッ!