宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

意見のあわない方は、御容赦。

●笛と私

2015-08-24 09:25:49 | 好学庵日記
何で篠笛をと言うか「笛を吹こう」と思ったのか?
人はそれぞれだが、何で今更70になってから、笛を手にする事になったかを振り返ってみようと思う。
理由は一つだけではなく、いくつかの要因が重なっての事。初めに考えた事は私は10年ごとに習い事というか、趣味を増やして来ている。
若い時からの変遷を顧みれば、海釣り、抽象絵画、車、カヌーなどのアウトドア、オーディオ、陶芸と進み50歳にして居合道の道に入り、
日本の修行方法である「型の文化」に興味を持ち、さらに奥を深める為に総合芸術と言われている「茶道」に60歳の定年を期にはじめる事となった。
お点前の中に所作からの「序・破・急」「間」「残心」などや、禅の教えの中からのもてなしの「心」を、
茶器などの器から工芸美術の日本文化の根底に流れる「侘び・寂び」などを全てを取り入れて「創意工夫」とする、
生涯完成を見る事の無い大きなテーマーに身を置く事となってしまった。
年齢とともに日本の物が身体に合うようになったのかどうかは解らんが、人生を楽しむ趣味と言うか、習い事というか、修行というか、
じっくり時間を掛けて成し遂げて行く過程を楽しみ、自分自身を育て上げて行く行為に歓びを持つようになって来た。
自論として人生大いに楽しむ為には、生涯とうしての仕事に加わえ、「武道」「芸術」それにもう一つ「音楽」を入れる事により、
もっと豊かな生活が送れるのではないかと確信している。
西欧ではクラシック音楽の知識がその人の教養のバロメーターとなるらしいが、私は見たり聞いたりするよりも「自分でやる」ことが好きなためと、
お茶を指導する時、初心者に対し上目線で指導していないかを、もう一度見直すために指導を受ける立場になる、何かを始めようと決心する。
音楽→楽器→手軽さ(持ち運び、価格)→尺八と横笛の選択(仲間が尺八をすでにやっていた)
→道新文化センターですでに茶道の講座をもっていて、お安く受講を受けられる
→稽古日として自分の稽古日と重ならない山口流の門を叩いたが5年前になった。
稽古初日の出来事では、指導者は皆さん山口さんで驚いた。受講されたキッカケはと聞かれたので、隠し芸にするためと答えた(今思うに失礼きわまりない)。
各先生の他、家元の指導も受けられる事には驚いてしまった(今はお忙しいためか、滅多に顔を合す事も無いのがチト寂しい)。
5年目に入ったが飽きる事無く、歳のせいか指は動きにくく、唇は硬くなり、息が続かず目眩をさせながらも、
仲間と楽しく「笛吹くじっちやん」をやっております。
それにしても上手くならないな~~~~ッ!