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宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

意見のあわない方は、御容赦。

●私の茶道って何だ!

2025-06-15 21:21:34 | 茶の湯
茶道を語るには余りにも大きすぎるので、
まず茶道を分解してみよう

初めは人間の感覚の総称である・・・五感から

❶視(目で見る・観る)=掛軸・お道具や所作・お茶の色など目で見る所から始まって、もっと深い所を心の眼で観る。観の眼で、観察者の目で物を見る。
観察すると言うことは「これは何だ!これで良いのか」を疑って判断する事が出来る。見えないものが見えてくる。

❷聴(耳で聞く)=戸を開ける音・畳をする音・湯の沸る音、注ぐ音・茶を点てる音・亭主や客の話し声を聞く。
ただ耳から聞こえてくる聞くでなく、聴くは注意深く正しく聞く。ここでもまた疑う心でふかくききわける。

❸嗅(鼻で嗅ぐ)=お茶の匂い・お炭の匂いなどを単に匂いを感じ取るだけでなく、わかりにくい事を探り知る。探り出す意味がある。
お香などは匂いを深く吸い込むことによって、知覚する嗅ぐとなる。

❹味(口で味わう)=飲食物に対する舌の感覚(味の基本は5つの種類がある)お茶や菓子などましてやお茶事においての、あじ・味覚の他に、
物事のオモムキ、趣味や興味・賞味など物事を考えて理解する肌感覚も味に含まれるのか?

❺触(手で肌でさわる触覚)=皮膚感覚の一種で、物に触れた時に感じる感覚。圧覚とも良い、指先・くちびる・舌の先などは特に鋭い。
お茶の世界では茶碗などが一番触に影響される。用の美の素になる感覚で、顔以外の部分での危険から対応する生きるための感覚。

五観から始まり次は「心・技・体」での茶道の分解

仏教には五感どころか8観まであるそうだが私のレベルでは第6感止まりです。
五感の感覚から第六感の意識(ここでは見えない物、言葉に表せられない物、簡単に言えば「心」と表現して行きます)
ある方が「体感」と「心感」と分けて、心の中にある物物を外から刺激して膨らせる物。感動などがそうだとしておりました。

❻識(しき)=知る・考える・悟るの意味があるが仏教用語として、意識や心の働きを指すこともある様です。
ここからは哲学や脳科学の世界に入っていくそうなので、専門分野の方にあとはよろしく!
茶道に特化しての心には何があるのだろうか?掛け軸からの禅語や茶道百首などから少しは自分を見つめ、
残り少ない寿命を心安らかに送る手段として、また充実した生活を送る糧として茶の湯に「浸る」身でありたいと切に思います。
心の大切さは、相手を思う心尽くしにつきると自覚してます。なので大寄せのお茶会からはこころの修行はちと難があるかも?

「体」は自分では何とも仕様のないもんでして、産まれ出たあり用は何ともしゃ〜〜無い。訓練・お稽古など気休めはやめてくれ。
低いものは高くはならないし、短いものは長くはならない。最後に残った

「技」は術なので、正解はないので自分に合ったように改善・改良して行くのも一つの手かも知れません。茶道で技となる部分に呼吸法がある。
吸う、吐くにより腰を伸ばす、曲げるの動作や、茶器などを置き合わせ、戻る手などの間や気持ちの入れ方が大切。

茶道は総合芸術だ!と言われることに理解はできるが、これ全てを同時に行なっているお茶人ってすごいですな〜〜〜。
結論:私にとっての茶道とは、足湯ならぬ身の一部を茶の湯の世界に浸ること。



●何故に、日本文化を大切に思うのか?

2025-02-17 19:39:05 | 茶の湯
日本文化に限らず、自分が生まれ育った所の文化を大切にしなければならないのか、疑問に思う方もいるでしょう。
その場、その場所で先祖代々生きてきた方でも、人によっては違う生き方を望むことも多々あると思います。私事で考えて見たら息子とは、相入れるものが全くとも言えないが違い過ぎる。(奥さんの家系の血の方が強い・・・負けた)
故に
嫌いな者に無理には誘わない方が無難である。いつかは振り向いてくれるかも知れないと、淡い期待だけは持っていこう。

ここからは、日本文化に興味がある方へ・・・
文化と言っても私は茶道を通じての物の考え方が中心となっていて、自分が勝手に思っている事ですので、意見の合わない方がいらっしゃっても、それはそれ、お互いとやかく言う事の無いように進めましょう

たまたま何の縁かは解らんが、日本の戦中に生を受け、生まれながらに身体に障害を持ち、「ビッコ」と呼ばれながら、出世のしない、サラリーマンの子として育つ。育つに従い成績が落ち、高卒でデザインの道を徒弟制度よろしく修行し、勤めた会社は違えども42年勤務し今は年金生活者として80歳を超えた爺さんです。
趣味は多く、茶道は定年後始めたものですが、この世界観が私を支えている大きな要因かもしれません。趣味の中には、お茶の世界のほか、居合道、篠笛、など和の世界のものが好きに変化してきた感がします。この3点で作られた80歳超えの者が思う日本文化とはなんぞや!

●茶の教えの中に、「雨が降らずも傘の用意」と言う話があり、常に用意周到、準備には充分気をつけて!とあるが、これらはイベントを企画する時など身に沁みる言葉です。

●職人さんが言うには、道具を大事にするようになり、整理整頓に気を遣っているため片付けや作業がスムーズになったと言う。

●茶道の中に「へ〜〜〜」&「ほ〜〜〜!」の精神が宿っている。物に対しての疑惑!驚き!感嘆!物に対する知識や動作についての謂れをしれた喜びは学校の授業で知ったこととはまた違う楽しさがある。

●掛け塾で、禅語などから、自然と仏教の教えを知る。(吾、唯、足るを知る)事により質素倹約が日本人の身につき、日本経済の失われた30年の基になる、思想となっていたのでは無いだろうかね?

●茶道は苦労するのが少ない割には、教養の持ち主に見られる場合がある。昔の武士の世界に広まったのも、何の取り柄も無い乱暴者が道具一つで文化人の仲間になれた。ちなみに西洋の教養は音楽系で決まるようです。

●茶道は総合芸術と言われ、何をやっても茶道に生かされる。自分の得意生のをお茶の中に取り入れると倍の楽しさを味わうことが出来る。料理が得意な人が羨ましい。仲間にお菓子作りが得意な方もいる。

●創意工夫をモットーとしていた我が流派からは、「答えは常に一つ」と言う考えではなく、いろんな考えがあってもいいんだ!と言う事を知らされていた。

●茶道での一番は、「おもてなしの精神」か?ただお茶を飲むだけならめんどくさいお手前などいらないし、独自のスタイルで良いかもしれない。
だが、茶道となってから400年以上伝えられてきた事に、疑問の余地はない!グタグタ言わずにしっかりとその流派の通りに点てよ!美味しく入れるおもてなしの
心得がここにある。

●居合道からは「形」の文化を知る。我が流派では無いが、刀を降るにも腕の角度、足の幅、何秒で終わらすか?ものすごく細かに制約されているため、美しくみえたが、試斬(巻藁を切る)ではあまり着ることが出来ずらいようだった。

●篠笛からは、誰でも上手くなる者では無いことを知らされた。ましてや歳をとるほどに体力のせいか下手になる。唇の締まりが悪くなったり、息が長続きしなくなる。今の状態が今の自分の実力で、それ以上のものでは無いことを知らされる。

●日本文化の心・気・体からは奥の深さを知らされる。完全なもの、完成されたものではなく、その途中の修行する過程を良しとする。実つれば欠けるより充実する一歩前が希望がありワクワク感が充実している。

●●結論!何故日本文化を大切に思うのか?
「日本の地に根付いた文化」 「日本人の身についたもの」 「日本で永く続いている」

⚫︎日本文化保存・発展へのアイデア

2025-02-01 15:57:14 | 茶の湯
案が良い悪いでなく、まずは多くのアイデア出し

保存したい日本の文化は多くあるが、その類型を分ける必要があるか?

茶道には哲学があるが日本文化の中には哲学が必要ないものも含まれている。

伝統的なものを捨ててしまっているものはどうするのか、大きく捕まえるのか?

各々のジャンル分けし、その中に2〜3団体を入れる

日本文化保存会などの名称をどうするか?

FACEBOOKなどに登録 茶道部など各分野に分ける

Youtubu/xなどフロアーへの拡散へ働きかけ

札幌近郊地区限定とする

活動内容はより具体的な運動とする

ZOOMによる会議・活動

年1回は活動の発表会

集う場所が欲しい

市や道への公共への呼び掛けをする

AIでのアイデア検索

法人化し、特に中学生、高校生に働きかける

知らせるばかりでなく、体験して喜びを知ってもらう

レベルが高すぎてもダメ、自分の身の丈でやれること

教えられる側の人でなく、より教える人の集まりにする

お金集め、集客に才能ある人を味方にする

●茶道と日本文化

2024-10-23 18:04:54 | 茶の湯
急速に廃れつつある日本の伝統文化。
何故か日本保守党による特定の城の修復を選挙公約に掲げる昨今!その後に天皇制の見直しが続く・・・城の壁の方が重要とは?
スポーツの世界でも日本古来の武道がスポーツとして海外に出張り、何となく「軒下を貸して母屋を取られた」感じがし、
ルールまでも変更されスッキリしない気持ちのパリオリンピックだった。
茶道においてはどうだろうか。海外でのブームとは行かないが、それなりに茶室が建てられ、お手前の稽古をされお茶会など催されている。
この事が日本伝統文化の衰退の歯止めとなっているのだろうか?私はいささか疑問を感じられる。
茶道に限らず、着物文化にしても若者や外国人へのへつらいにより、
発展してたどり着いたまでの基本となるところを捨て形さえも見る影の無いものになって良いのだろうか?
茶は中国から僧侶が持ち込み、薬として広がり、賞品まで付く賭け事の対象になり、
派手なお遊びとなってしまうが、流石に我が民は拾う神ありで禅の教えを取り入れ難しいお点前から簡単な所作に変化し茶道として確立する。
最近日本の伝統文化を見直す風潮が盛んになって来ているが茶道はどうなのだろうか?
茶道の根源は和室にあり!です。
そういう我が家にも畳の部屋がありませんし、床の間もありません。椅子の生活からは形はなぞっても心の修行は難しい。
ソーラーパネルを屋根に設置するより、和室を一間造作する運動を広げてもらいたいぐらいです。

●茶道家は、小説家とも、画家とも作曲家とも違う?

2024-09-15 11:07:44 | 茶の湯
青山繁晴議員がYouTubeで語っていた「小説家と音楽家のネタ違い」から

青山さんが言うには、小説家はマイナー的なところを捉えて小説を書く。音楽家はメジャーな作曲が多い(演歌はそうとも言えないな〜〜〜)と語っていた。
私が思うには、絵画の世界は、写真技術が出来た以降は芸術的で哲学的な目でものを観る感であったが、
現在に当たっては装飾的、イラストレーション的なメジャーな作品が主となっている。
が・・・これらの作家は1人称での世界でしか無いだが、お茶の世界に置き換えると、
「真・行・草」によるお点前の違いがあり、掛け軸など道具によりいくらでも変化する世界を作り出すことが出来るし、
季節によっても、客層によっても亭主の演出によってその時、その場によって、いくらでも変化するまさに「爾今」の世界観を共有し楽しむ「一期一会」の場であり、
それ以上に茶道の世界は、亭主も客をも両方体験することが出来ると言う事が、「○○家」と大きく違う事ではないだろうか?
そんなこんなで、常に臨機応変に対応する作家であり、また逆に、そのことを肌で感じ喜ぶ受け手にもなれる。
次元、極面・・・それを超越したとこに居るのがレベルの違いはあったとしても、その人なりに味わう事ができるのが、茶道ではないだろうか。

⚫︎茶道に関わったことで、何か変わった事はありませんか?

2024-07-16 19:28:06 | 茶の湯
皆さんがどんな理由からお茶の道に入ったのか、人それぞれですでしょうが、
今まで生活をしてきた中には、お茶に関係した事は皆無に近い状態だったでしょう。
作法やお点前それに茶道の知識、見るもの聞くもの全て初めての事。
今に思うにワクワク、ドキドキの連続だった気がします。
そんな日を送っていたある日「茶道ってこんなもんか」とストンと心に落ちたのが忘れられません。

稽古が終わって車を運転し帰宅途中の時、少し陽が落ち対向車が見えにくい状態になったので、ヘットライトのスイッチをONにしました。
今まででしたらライトを点ける事は無かったのですが、自分の車の存在を相手にわかりやすくしようとした働きかけでした。
この時から、日中も点灯するようになりました。いまでは日中ライトをつけるのは当たり前のようですが、20年以上前ではありえない行為でした。

その時思ったのですが、私は、自分の存在を相手に知らせる事により、相手側が事故を回避することが出来る。
それは言い換えれば私が事故に合わない事になる。

相手の為が回り回って自分のためになること。茶道に置き換えれば、客に美味しくお茶を点てもてなすということは、
知らないうちに自分にとって、徳になる事にチャンスがあるのではないだろうか?

皆さんにも何かこのような経験があれば聞かせて下さい。

⚫︎お茶室「茶ごころ」開設について

2024-06-19 19:32:01 | 茶の湯
ご機嫌よろしゅう御座います。
長い間、遠州流茶道札幌支部 心葉会として活動してきましたが、コロナ騒ぎですっかり運営方法も変化し、
新たに考える時期に入っているのではないでしょうか。

茶道との付き合い方は、その方の環境などにもよって変わるのではないでしょうか。
心葉会 会員 皆さんの目指している所は、小さな事より、もっと大きく捉えた茶道との関わりを模索中ではないかと捕まえますが・・・
茶道の「流派」「お点前」「道具」などに異を捉えるつもりはさらさら無いが、
我々の身の丈に合ったところで付き合いたいと心しております。
今の日本文化「知的好奇心」への衰退から”どこへゆくのか日本”を思いますと、
茶道の「輪」「和」「話」の部分の希薄さを感じられます。

この解決策として柔軟性のある場を持つことに行き着き、道具を一括管理することができる茶室を持つことが出来ました。
5名の維持管理者を置き、賛同者を集め、その後、NPO法人化やクラウドファンデングなどで、
茶道で何か世の中に役立つことが出来ないかを会員一同でちょっとはやる気を出しております。

遠州流札幌支部の名称も外し、「茶道倶楽部 心葉会」として立ち上げ、お茶室名は「茶ごころ」と開設しました。
このお茶室にどんな方が来るのか、お茶に関わらない方とのコラボでの茶会など楽しみです。

●武道と茶道

2021-10-13 18:44:03 | 茶の湯
茶の湯を「心」の部分を禅に中心を置いて、思った事を記したが、今回は茶の湯の点前を日本の武道の「技」から見て、取り入れる事が出来ないかを考えてみる事にしよう。

「修業論」光文社新書 内田樹より(うちだ たつる/哲学者であり合気道7段)

●「敵」とは「私に心身のパフォーマンスを低下させる要素」である。敵とは同じルールで戦う「対戦相手」に限定されない。武道家が「敵」という概念を出来るだけ広義かつ網羅的にとらえ、それを効果的に統御する技術を習得しようとするのは当然のこと
である。「天下に敵無し」とは、敵を「存在しては成らないもの」と捉えないという事である。そういうものは日常的風景として「あって当たり前」なので、特段気にしないという心的態度の事である。
茶の道では? 敵という言葉は当てはまらないが、茶会日の天候や自分の体調、点前でのトラブルなど事前に心配しても無駄な事や直前に避けられない自体になる事は往々にして起こりえるものだ。利休百首にあるように、「降る前に雨具の用意」など、前持っての心の準備や、あって当たり前とトラブルが生じた時にパニックにならないように日常想定外を心に止め、日々心身のモードの切り替えを出来る人に癖を付けること。


●「敵を作らない」とは、時間意識を書き換える事なのである。
「間髪を容れず」に反応するとは、反応しないという事である。入力と出力、刺激と反応という継起的なプロセスに即して出来事を見てはならない。入力と出力のタイムラグをゼロにすること。それが答えである。「即答しようと怠りなく準備している主体」がどれほど素早く反応してもそれは即答には成らないからである。
茶の道では? 茶で「石化之機」の状態をお点前に活かす事が有るのかどうかは理解しにくいが、お点前の中には「同時の連続」でもあり、トラブルへの予想して動くのでなく、脳からの指令を待つ事なく、前でもなく、後でもなく、今この時点の新しい生き方に喜怒哀楽に迷う事なく受け入れてほしい。


●現代における「真剣勝負の場」とは日々生業を立てている「現場」である。そこで私達の身に備わった生きる知恵と力を開花させるために役立たないのであれば、「武術」とは言えない。
生業の場は、日頃の稽古の成果を発揮する場で有り、道場において何をどう稽古すべきかを思慮する場でもある。
茶の道では? 技法を稽古する事は言うにおよばず、お点前自体が究極の目的では無い。日々の場でも所作や態度において訓練かつ勉強になるし、稽古場に於いては個々の技量を高めるとともに自分ならではの「真・行・草」、「心・技・体」、「序・破・急」、「守・破・離」や「間・残心」などを心がけなければならない。
その他、師匠や仲間から受ける「見取り稽古」や知識など自分だけではない、一人稽古では味わえない場なのだ!


●武術の稽古を通じて開花される能力のうちでもっとも有用なものは、間違いなく「トラブルの可能性を事前に察知して危険を回避する」能力だからである。実践的な意味での「生き延びる力」である。最も重要な能力は、「集団を一つにまとめる力」である。
端的に言えば、「他者と共生する技術」、「他者と同化する技術」である。合気道とは、その技術を専一的に錬磨するための訓練の体系で「愛と和合の武道」と考えている。
初心の合気道家は、この「愛と和合」を、漠然とした精神的・道徳的な目標のようなものだと思っているかもしれない。だが、これは極めて精緻に構成された技術の体系である。
茶の道では? 良い茶会とは、客との共生であり、気を合せて相手との一体化、気配りである。茶室や茶道具、技とも同化し、共に動く伴頭、お運び、料理、進行役などをまとめる愛のある亭主の「コミニュケーション能力」ではないだろうか。
ある一点に特化したバラバラ感や、ましてや利益誘導によって統合された集団ではあってはならない。


●武道を修業してきたものなら誰でも「無我無念」とか「則天去私」とか「梵我一如」といった言葉は知っている。「我執を捨てないと技芸は上達しない」という言葉は誰でも知っている。
敵を忘れ、私を忘れ、戦う事の意味を忘れた時にこそ人は最強となる。最強の身体運用は、「守るべき私」という観念を廃棄した時に初めて獲得される。敵を無くすには「これは敵だ」と思いなす「私」を消してしまえばいい。自己点検禁止、自己評価禁止、自画自讃禁止。 「木偶の如く愚者の如き容姿」を理想。
稽古を重ねると、「なんとかうまく動こう」という意思が消えて、何事をなす時も無心無念となり、まるで操り人形が踊っているようになる。その「操り人形」こそが、武道的身体運用の理想であると柳生宗矩は書いている。
茶の道では?  無心・無体・無私によって、お点前を褒められたいとか、道具を自慢したり、客に不快感を持たせたり、逆に卑下しすぎるのも良いもんではない。利休のお点前は「夕暮れ時の雨上がりの感じ」と書かれたものがあったが、嫌みのなく、爽やかで、春風が吹いているような、お点前だったのだろう。


●「減点出来ると」いう事は「満点を知っている」という事になる。だが、考えれば自明の事だが、「完成形」というものを仮想的にではあれ先取りするというのは、単一の度量衡に居着くという事を意味している。これは武道的には致命的である。というのは、武道においても、身体技術の向上は、ほとんどの場合、「それ迄そんな身体の使い方が出来るとは思ってもいなかった使い方」を発見するというかたちをとるからである。
茶の道では? 居着くという考え方は習い事においては進歩が閉ざされた、創意工夫もないものになってしまう。身体技術から見れば、持ち方、置き方、歩き方、座り方、開け方、閉め方、捨て方、入れ方など、あらゆる状態の変化に対しても「美しく、美味しくお茶を立てられるのか?」と思い続ければ「思ってもいない身体の使い方を見つける事が出来る。これこそ「奥義」


●政治家たちの好きな「常在戦場」という言葉は、本来は「時間的リミットが示されないままに、身体能力を常に高い水準に保っておく」という事を意味している。それは言い換えると「戦争を生活する」という事である。「戦いを生き延びるということを、日常生活の自明の目標として、淡々と日々を暮らす」ということである。道場はそれに備えるためのものである。けいこは、競ったり、争ったり、恐れたり、悲しんだりする事を免れて、ただ自分の資質の開発という一事に集中する事が許された、特権的な時間である。道場はそれを提供するための場である。
茶の道では? 茶の湯には日常の生活の中に稽古場がある。水屋での道具を置く場所や点前の手順において流れるように、決められた時間を進む。終われば後片付けなど始めにあったままの姿に戻っている。修行する事により無駄のない、美しい、整理された構成力や統制力を身につける事が出来る。料理する事や職人や事務などの普段の仕事にも生かされて来る。「仕事のできる」人の様を手本に見習う心がけを持とう。出来る人の周りはきれいに整理整頓されているものだ。


●暴走して来る車に対処する時、刻一刻と形を変えているが、その変化にはある法則性がある。この法則性を読み切ったものは衝突を免れる事が出来るが、「何だか分けの解らないもの」が切迫して来ると私に居着いたものは生き延びる事がむずかしい。
適切な状況判断が「できない」のは、遭遇した出来事が「想定外」だからである。何が起きるのか「待つ」構えは、原理的に「後手に回る」。どれほど迅速かつ的確に反応したとしても、そもそも「反応する」ということが「遅れる」という事を前提にしている。
「狐疑」に居着いている人間は、外からの操作的介入に極めて感受性が高く、こちらの指一本の動きにも敏感に反応し、技をかける側から言えば、「狐疑」に居着いたものは活殺自在なのである。
(狐疑とは何が我が身に起きたのか、起きつつあるのかを知ろうとする。この状態を武道的にいう。)
茶の道では? 失敗もしていない段階からどうしようと「狐疑」に捕われると、身体が硬くなり、頭はボーッとして、何時もの自分ではない状態になってしまう。博打打ちは幾ら高額な掛け金の時も「ソヨトモ」心を動かさないそうだが、凡人には無理な話し。そんな時どうすれば良いかは人それぞれにあるのであるが、私の場合「笛の発表会」では、まず自分は「今、上がっている」と自分に言い聞かせる。上がってるなら、上手く出来なくても「しゃ〜〜〜ないべ!」「恥かいても今だけだ!」と開き直る。次に、頭の酸素不足にたいし、大きく腹式呼吸を3回程行う。其の後、硬くなっている口や指をマサージして揉みほぐす。これが今の俺の実力で、それ以上でもなく、それ以下でもない。














●世の中変わったな〜〜〜と思うとき

2020-06-03 13:02:37 | 茶の湯
1、車で事故を起こしとき
以前はすぐに「ごめんなさい」「すみません」と自分に非があるように先ずは、謝ったもんだ。今は「なにやってんだ!」「どこ見て運転してるんだ」と相手の非を先に指摘する。
これは保険制度が行き渡って来てからのこと。金が絡むと見苦しい世の中に変貌する。

2、会社組織が年功序列で無くなったとき
海外の学者たちが、日本の年功序列の会社組織について、見直すような動きが出て来ているのにも関わらず、お金中心の考えに取り付かれた我が国の経営者が
「利益第一」「能力主義」「株主重視」等、仏様の国の人には合ないガツガツした自分主義が横行し、潤いのない会社となった。

3、研修などスキルアップに力を入れるようになって来たとき
なんでもかんでも海外から取り入れ、あたかも日本を作り替えようと自慢げにウンチクを語りさもさも乗り遅れた者はこの時代に付いて行けないと指摘する。
箱根や軽井沢での何泊かの研修では楽しかったが・・・
真面目な人は寝ないで頑張っていた。私は「恥かいてもここだけの事」と割きりって、一番先に発表する。このせいか、出世しなかったのは?

4、会社のお偉いさんがテレビの前で頭を長い時間下げ続けているとき
武士の時代は腹切って終わり。とは言い切れないが、大衆の前でひたすら謝るここは無いだろうし、恥と思っていただろう。
今じゃ本当に反省しているのかどうかも怪しいもんだ。部外者はすぐに「責任取れ」「すぐ辞めろ」と言うが、私にはどうも腑に落ちないものを感じる。何故かと
言うと、ぽこぽこ辞めて行ったら、力のある大物がだんだんいなくなり、小物ばかりで世の中回されるようになるんじゃないかと心配する。

5、真似る・盗作・影響・いただく・改造等の話題が多くなって来たとき
以前は親方の作品行程などを盗むのが修行とされていたが、50年前頃から、いち早く海外に行ったり、こっそり本を購入して自分の作品とし、
オリジナルとして発表する要領のいいヤツが羽振りを利かせるようになってきた。金のないヤツは遅れて日本で発表されるので、その時は「し
てやられた〜〜〜」とほぞを噛んでも後の祭りだ。

6、働くって「汗をかく」んじゃない事と知ったとき
人より多く汗をかき、人より多くの時間を費やし、人と違ったやり方で、それに相応しい報酬を受ける。これがハタラクという事だった。
しかし、世の中変わってしまった。「労働者」という言葉は死語になりつつある
「汗はかかず」「働く時間は短く」「他人を使い」「頭で大金を稼ぐ」身体を使って働く者は低く見られ、収入にも差が広がり格差社会が一段と日本も犯されて来ている。

7、数の恐さを感じたとき
今まで物を売るという事は、その質なり、価格や付加価値が取りざたれて来た時代が長かった。でも最近はそうとは限らないのではないか。PC時代になり、
販売に特化する事無く小さな金額でもより多くの人が動く事により大金が生じる。中国の経済やネット販売の異常さには恐ろしさを感じる。

8、架空の物、見えないもの、バーチャルな世界が多過ぎる
「金を金で買う」「ゲームで死んでもすぐ生き返る」「カード生活で謝金がクレジットとカッコ良く言い表す」
「映像で世界遺産やドローンで見た事の無い世界を安易に見る事が出来る」が・・・自分の五感をフルに使って動物的感覚で生活していたが、
頭の中まで与えられた物によって生かされてしまい、「生き抜く」という感覚が、すっかり反応が薄くなって来てしまった。
衣食住の自給自足も大切だが、頭も自給自足でやらなくちゃ。

9、正義の味方が居なくなったとき
餓鬼のころから「黄金バット」「水戸黄門」最近は良く解らんが「ウルトマン」など戦隊ものが子供や親たちの正義の味方がいたのよ。
今、何処行ったの?本やTVだけでなく、生活の中でのヒーロー、正義感のあるヤツ!ほとんど見当たらない。選挙の時は表われるようだが、コレも眉つばもんが多く、
お正義の味方かと思い気や、皮被っていたりして、信用ならん。

成人後の感じた事。貴方もほかに何かある?

●武蔵「五輪書」と茶道の関わり

2020-05-06 16:05:57 | 茶の湯
宮本武蔵の最晩年に書かれた「五輪書」を皆木和義が観見の一振り  駒草出版より抜粋。

武蔵は全ての発想を兵法へと発展・進化させた。
私は趣味の段階ではあるが、茶の湯を兵法に置き換えたならば、茶法と考える事が出来るのではないか。
前回の内田樹氏の武道の技とお茶の点前を置き換えてみた。
今回は武蔵の生きざまと茶道との一致する部分を見つけ出し、自分への糧と為し「老計」への指針となす。


●武蔵は、「五輪書」全体を通して、勝つための五つの要諦を記している。
一、相手の心と相手の動きを見抜く観察力、洞察力の鋭さ
二、剣の技量の卓越さと敏捷さ
三、相手に勝つための仕掛けづくり
四、情報収集力
五、志と勝利へのあくなき執念
60回余りの不敗の理由は、実践の修行の中から「相手の心を見抜く術」を身につけた。
「火の巻」の教えの中の「敵になる」とは、現代で言えば、
「顧客の立場に立つ」顧客の心になり切る」という事であり、現代の経営の基本である。
茶道では、勝つ、とう言うのは、美味しくお茶を飲んで頂くためのあらゆる条件を指すとする。
相手の喜びそうな事、お茶道具やビックリさす仕掛け等は、相手を良く前もって知らなければ
タイムリーなものにならない。お茶事での会席で相手の嫌いなモノを出してはお話しにならん。
技は美しさの中に、間や残心、守・破・離の動作と心のゆとり持つ事が勝つための一つになる。


●「独行道」は、晩年の心境を書き込んでいる。
武蔵が自身の心を冷徹に管理するための必須の項目だった。
そもそも、自己管理が出来ない人間には、初めから戦う資格などないのだ。
一、世々の道を 背く事なし
一、身に楽しみを たくまず
一、よろずに依怙(えこ=不公平)の心なし
一、身を浅く思い 世を深く思う
一、一生の間 欲心思わず
一、我事において 後悔せず
一、善悪に他を妬(ね)む心なし
一、いずれの道にも 別れを悲しまず
一、自他ともに 恨みかこつ心なし
一、恋慕の道 思いよる心なし
一、もの事に すき好む事なし
一、私宅において 望む心なし
一、身一つに 美食を好まず
一、末々代物なる古き道具 所持せず
一、我が身に至り 物忌みする事なし
一、兵具は格別 よの道具たしなまず
一、道においては 死をいとわず思う
一、老身に財宝所持 もちゆる心なし
一、仏心は貴し 仏心をたのまず
一、身を捨てても 名利は捨てず
一、常に兵法の道を 離れず
だから兵法は、物事の本質をしっかりととらえた上で、真っ直ぐで純真な心で実践しなければならない。
茶道では、剣、茶に限らずここまで自分を管理する事が出来ればただひたすら「独座観念」


●武蔵は相手を観察する事に関して「観の目つよく、見の目よわく」と言っている。
一事で言えば、「目で見るよりも心で見よ」という意味。
戦いの目配りにおいて物事の本質(相手の心も含めて)、真理を深く広く冷静に心で見極める事を第一にしている。
姿、形、挙動などの表面の動きや現象を見ながら、心の目でより強く見るのである。目先の太刀や敵の動きなどにとらわれてはならない。
茶道では、お点前の仕草を目で見て、その日のお道具などを観の目でとらえ、亭主のこころ尽くしを五管で受け取る。


●将棋の大山名人はマンネリという知らず知らずのうちに忍び寄って来た自分の心の中の大敵を倒した。
対戦相手を含めいろいろな事に慣れることから、心の中にマンネリズムが蔓延して行く。
これが無意識のうちに、見えない敵となり、スランプの元凶の一つになっていく。
こういう場合は心機一転、全て過去の常識を捨てて、新人になる。つまり、自分をまっさらに純粋化することが、
自分の心の中の邪心を払い、新たな良い運を作る事になる。皆木さん何故か武蔵から大山氏へ何せ武蔵は負けた事がないんで・・・
茶道では、というか、もの事全てに於いて、経験があっての挑戦の始まりだろう。
大山氏のレベルまで達した事のない我々には捨てる物さえまだ出来てはいない。
が・・・スランプという大袈裟なものではなく、ただ「できな〜〜〜イ」と思う事は何時も感じる。
そういう場合には、くさるのではなく、今この状態が俺の実力。何らかの努力をしていると思えるならば(何もしていなければ問題外)、
焦らず、その内上手くなるだろうと自分の心の中の負の部分を追い出そう。


●五輪書は1645年5月、死の間際まで筆を取り続けた武蔵の勝つための実践兵法書である。この道を学ぶための九つの方法論。
兵法行道九箇条
一、邪心を持ってはならないこと
二、二天一流の兵法の道を実践的に鍛錬すること
三、剣だけでなく、多くの他の芸術、文化に触れること
四、自分の道だけでなく、ほかの仕事や職業の道を知ること
五、合理的にもの事の利害得失を判断すること
六、あらゆることについて、本質を見抜く目を養うこと
七、目に見えないものであっても、直観によって悟り得るように   
  すること
八、どんな些細なことにも真剣に、しかも慎重に注意すること
九、兵法の道において役に立たない無駄なことはしないこと
そして、ありとあらゆるすべてのことが、兵法の真理を極めるという一点に有り、これに向かって一意専心、鍛錬して、
この真理を会得するならば、百戦百勝であるという。決して途中の過程を飛ばしてはいけないのだ。
茶道では、客の相手に邪な考えで接することの無いように心を鍛え、茶道は総合芸術と言われるものであるから、
自分のやっていることが無駄にはならず、必ずそれを活かすチャンスに巡り会う。
合った物を逃がさないためにも本質を見抜く観の目をしっかり育てておこう。
三種混合ワクチンではないが人生においての味つけとして、自分の好きなこと3つを取り入れることで、
お互いに影響しあい上手く回転することが出来る。三種の中に取り入れる大枠は、
「文科系・趣味」「スポーツ・武道」「楽器演奏」「アート・芸術」などで、より深い茶道になると思うのだが!



●石舟斎は儒教の基本的な徳目である「五常」にその道を求めた。「五常」とは人が常に守り、行うべき五種の道、
すなわち仁・義・礼・智・信である。仁は、慈悲・慈愛の心。義は正義を貫き通す心。礼は、礼節を重んじ、人を敬う道。
智は、道理・真理を正しく把握する知恵を働かせること。信は、誠意・真心・信頼の心。
この道がなきがゆえに、また微弱になっているが故に人の心も乱れておかしくなるのだ。
茶道では、柳生の兵法道、哲学と命のやり取りはないが、行き着く所は同じだ。
「茶の五常」を考えるに千家なら「和・敬・清・寂」遠州流なら「勤・謹・和・緩」さしずめ私なら「和・美・創・楽・慎」


●兵法とは絶対に勝つことである。これを事業や仕事に置き換えたら、顧客の満足・喜び・感動を獲得することである。
さらに、自分が人生という兵法の道場で修行を積み、勝ち取った「心」が大きければ大きいほど、
深ければ深いほど自分の器は大きくなり、人格が高まり、兵法の至極に近づく。
武蔵は兵法の理の仕事も含め、いろいろな諸芸に応用して、深め、広げて行くことが改めて大切だと強く思った。
そうする事によって、兵法と諸々の仕事や諸芸の双方向から、今の殻を外から内からうちつけていけば、倅啄同時で兵法の道が極められるはずである。
茶道では、というより、茶道も同じような茶法を持って道を切り開いて行くのでしょう。今の茶道に於いて問題となっているのは何なのか、
この辺りをクリアーしなければ解決を見ることは出来ないし、指導者側だけが躍起になっても問題は無くすることは出来ない。
殻の内外同時に声を上げよう。

●武蔵は、南宋の哲人官史であった朱新仲の「人生の五計」を改めて自分に当てはめての5つの計画
第一、「生計」我、如何に生くべきか 天から授かった使命を考え
第二、「身計」如何に身を立てるか 社会にどのように貢献するか
第三、「家計」如何に家と家庭を正しく営んで行くか
第四、「老計」如何に老い、老後を充実させていくか
第五、「死計」如何に死すべきか 死を前向きにどう受け入れて行 
   くか
茶道では、生まれた時からお茶に携わっていないので、私のお茶に関わった人生を五計で言えば、使命までもいかないが「生計」では、
男のための茶、男性だから出来るお茶、男性だからやって欲しいお茶との関わりを稽古する場をつくること。ここで目標は定まる。
「身計」では生計で立てた「男の茶道塾」から、お茶のある人生が如何に潤いのある生活となることを知ってもらう。
「家計」では男女に関わらず心葉会という仲間つくりを行う。
「老計」まさに、今の私の環境。茶に感心のある人なら誰でも参加することが出来る、もっとオープンな会に発展させ、
お茶のある充実した人生を知ってもらうこと。「死計」我一人座して飲む!な〜〜〜んて言うのはヤダ!
茶の湯は目標ではなく、お茶を活かして人の為になることを主眼に置く手段として活かそう。
今は、北海道子供ホスピスサポートに参加し自分は何が出来るのだろうと模索中!計画したらまず実行!


●生きざまの反省
一、自分の「生」をひたむきに誠実に尽くしているか。
二、自分の心・魂を常に磨き、浄化・純化・深化させているか。
三、世のため、人のために、自分の出来ることを通して、一隅を            
  照らしているか。
太陽に慣れなくてもいいから、自分の力で明るく照らすホタルであれ。「自分はこれだけのことをして死のう」という気概こそが大切だ。
「老いるは嘆くに足らず、嘆くべきは 老いて虚しく生きるなり」

              結び
       「我、茶の心を持って 生きぬく」

●宗葉の「茶の湯」って何だろう!

2019-06-05 10:30:09 | 茶の湯
自分に取って茶道とは何だろうか?茶道というには少々大袈裟であれば、茶の湯とはどんなものだろう。
茶人、茶の湯者、茶道家などと、大層な名で表さなくても、抹茶で人との混じり合いを大切に、日々の暮らしの中に、
茶と関わった時間を持ち、精神的にゆとりある落ち着いた環境をどう持つ事が出来るか。
今迄の歴史の中から、伝えられた幾人もの茶道家を手本とし、今の自分の身の丈にあった所で、考えをまとめてみよう。

●鎌倉時代に臨済の開祖栄西(1141〜1215)によって中国から伝わり歴代将軍と同様に暇を持て余し唐物を収集し、
殿中で立花、茶の湯を盛んに行う。義政の茶は水面に映った月を楽しむ境地で東山文化と言われる

●詫び茶の開祖と言われる村田珠光(1423〜1502)
八代将軍足利義政の時代、一休の純禅と深切に出合い、茶に禅味を加えた「月も雲間のなきはいやにて候」と、
完全な月よりも雲間に欠けた雲隠れのわびしい月にこそ茶の湯の高尚な美があると、心の茶を主張。
逆転の発想で、従来の禅林や殿中の茶とは一線を画するものであった。
珠光の茶はそれらと袂を分かち、民衆の共感を得て奈良流を形成。
国産の陶器や床の間を取り入れ、不足不完全という精神性の高い境地に茶の湯の美を見出そうと、
芸道としての茶の湯の発展を目指すがまだ観念的なもの。ここから心の茶が育って行く。

●戦国まっただ中室町末期武野紹鴎が珠光の茶を受け継ぐ
大徳寺の影響を受け「茶禅一味」や「一期一会」の理念で茶の湯の美を極め、様々な教養を積み、
その分野事との真髄を茶の湯に取り入れ、禅と和歌の精神を結実し、詫び茶を創出した。
武士や豪商の間に日本的な禅の一様態とも言える侘び茶を開花させ、
心の平穏を得ようと先達が長い年月をかけ深化させ、わび茶独自の流れを生じ我が国独自の精神文化、堺文化となる。
「仏心を伝え、心地の修行」と紹欧の茶を評する。
バブリーな境遇に安住するのではなく、「慎ましく」、「謙虚で」、「上品な」生き方に価値を見出す。

●藤原定家「詠歌大概之序」より
和歌を作る時に大切なのは、稽古である。いにしえの名歌を習い、名人を見習ってその真似をすること。
その主たる目的は、ただ形ばかりまねる事では無く、その人の心を学ぶことである。
それから、何をおいても作為が一番大切である。人と同じ事をするのではなく、一歩踏み出して自分を出す。
和歌で言えば人がまだ読んだ事の無い新鮮な情を求め詠む。これは茶の湯にも大切な事である。
この精神を茶の湯に取り入れた事により、わび茶の湯が本質を得て、形式を脱却し、生命を持った。

●芭蕉の不易流行について
「不易」とは、寂滅の永遠性を課題にしている。この風雅の精神を身に付け、本質を衝き、句を生み出すことで、
常なるもの、詰まり普遍性を追求したのである。
「流行」とは、自分を絶えず新しく変える努力をして、日々新しい自分となること、常に新鮮な作為を得て寂滅を捉え、
句に読み込むことである。簡単に言えば、無常という普遍の本質を探究することを、自分自身の人生の課題としていたのである。
芭蕉は世俗を離れて、生きながらに己を無にして自然と一体となることで、本物の自分を見出すことが出来たのである。
無を求めることもまた執着であるが、わびは無にあるのではなく、仏の道(禅)のあるがままの人生観にあるのである。
芭蕉は、仏法に開眼したことにより俳句に開眼し、「芭風」を興し得たのである。これは紹鴎の茶と同じ構図である。
紹鴎はわび茶によって、芭蕉は俳諧によって、直感的に奥深い小宇宙を探究し、宇宙の原理を発見したのである。

利休のわびさび
わび茶で求めるものは本来、世俗をはなれ、隠遁の世界で得られる心の静けさであるべきである。
しかし利休は信長や秀吉といった権力者の茶頭として、政治の中に我が身を置いた。
そして、最後迄天下人秀吉との葛藤に心をみだしている。その生き方は、心の静けさとはほど遠いものだった。
秀吉は統治の術の一環として茶の湯を利用し、利休と結んだ。これにより利休の発言力が伸長するが、
わび茶は、政治の道具にされ、その思想も干渉された。

「茶の湯の心を持つには、どうすれば良いのかを探る」

権威が廃れ、古い物差しが使い物にならなくなった時代、良く言えば自由、悪く言えば放埒な世の中、一体何が正しいのか、
自分で判断する基準がほしい。その基準の一つに「禅」があるが、やがて禅は形式主義、権威主義に落ち入る。
そこで、一休が禅宗の腐敗を痛罵して、自由な禅の在り方を主張。

我が国では人里離れ山中深く入り込み修行すると、普通の人には見えないものを心の目で見る事が出来るようになる。
この事は、根源的にして不変なるものを見る能力の事で、常なるものの本体の事で、
人間としてより良く生きようとする際の、私欲を捨てた仏の心、理念の事である。

人が良く生きようとすると、人生の意義や目標、そして価値判断の基準が必要になって来る。これが無ければ混乱するばかり。
価値基準と言ってもいろいろで、茶碗で言えば、道具としての「使用価値」、どれだけで売れるかという「取引の価値」、
そして鑑賞するための「美的価値」がある。秀吉も紹鴎も利休も追求したものは人生における美であろう。

人生は人それぞれで、何に価値を見出し、どれだけ深く生きたかが重要である。

禅とは一つの事物に精神を集中し、その真の姿を知ろうとする事で、知ったとしても心の平安が得られるだけで、
実益のある物ではない。コツコツと知識と実践を積み重ねて同じ事を深く行い、己を磨いてゆくと、やがて、
一つの知識と別の知識が融合するのであろう。悟ろうという気持から吹っ切れてこれを超え、昇華した所に、
新境地が出現し、物の本質を捉えて自然体を得、本物の名人、自由人になるのである。

茶の湯の世界でも「茶の湯者覚悟十体」に(我より上の人と知音するなり。人を見知りてともなうべし)
有能な人は多くの知識や人脈を持っている。彼らから学ぶべき事、得られる物は多い。
有能な人との繋がりが多ければ多い程、情報の質と量が増加する。
茶の湯者の心の変化
精神的な美を求める茶の湯者は、荘厳の美に満足しなかった、荘厳の美から吹っ切れた時、そこから一転して、
不要の美をそぎ落ししていく。そして荘厳の完璧な美の対極に位置する。簡素で静寂な、
自然に近い日本独特の美、いわば消極・否定の美の究極に、わび・さびの美を完成させたのである。
茶の湯における美の創造とは、具体的に何をする事かと言えば、
従来認識されていなかった新たな美を自ら発見し、茶室に再現する事なのである。

富貴の人がわび者の真似をして貧乏ぶるは「さばす」であって「さび」ではない。
茶の湯のさびは自然にさびるのがよいので、「さばす」であってはならない。

珠光の「心の文」より
一番いけないのは、己が心の我慢我執であり、これを抑えなくてはならない。
この様な心の有様は自然に身に付かないものであり、修行を積んで我慢我執を抑える心の師とならなければならない。
「我慢」と言う語は現代語の意と違い、慢心して我意を張ること、我が意を通すこと、思い上がりのことである。
わびの美とは、我が意を徹することではなく、自然の摂理との調和にこそある。
堕落、傲慢の心を戒めた、現代社会でも道徳規範の根元となり得る観念である。

紹鴎の茶の湯において一番大切な心は、和歌におけるわびと同じであり、茶の湯に具現化したことにある。
亭主はわびさびを身に付け、それを茶室で演出し、客はわびさびの感性を磨き、
これを感じ取る。わびとは不足を味わうこと、不自由な自由である。
「不足不自由の美」を味わうことで、亭主も客も普段は見えない宇宙の体系美を感じ、
神の声を聞き取ることが出来る境地に至るのである。

紹鴎のたどった軌跡は、旧来の社会制度もモラルも崩壊した自由社会への激動期の、
社会変動に対応する「自己改革運動」であるといえよう。個人や集団の欲望に基づく活動を制御しなければ、
健全な社会を保つことはできない。住み良く健全な、あるべき社会を実現し維持するには、
私利私欲にとらわれる己の弱さを捨て去るよう修行し、正義の精神を会得しなければならない。
その為の選択肢の一つとなるのが「わび」である。まるい豊かな心を持ち、実り多い人生を送って欲しいと願ったのだ。

わびと貧乏は違う
まず心の持ちようからして違う。わびはワビを追求し、その過程で何をなし得たかの過程である。
紹鴎の言うわびは、隠遁の心第一にわびて宇宙の究極に美を求め、閑寂を楽しむ心のあり方で、
心豊かな茶の湯の世界なのである。貧乏は夢を持てない。あるいは夢破れた、その結果のしがなさである。

本阿弥光悦は、利休を一応名人と認めながらも、権力と結んで、茶の湯を俗化させたと批判している。
利休が創造したのは、冬の枯れ木に美的価値を置いて我が茶風とする、ものに立脚した美である。

紹鴎の茶の湯の心は、虚飾を取り去った誠である。これは、人の生活の規範となすべきもので、
成熟した現代社会を健全に守るためには忘れてはならない。欧米人もこれを持ってはいるが、
ともすれば自己主張のハッキリした、外向的な開拓魂の陰に隠れてしまいがちである。
ある種内省的な世界で、ハッキリしない中庸さに真実を求める人生観である。これは芭蕉のわびとも共通する。

珠光の茶の湯の真髄を知るには、一休から与えられ、「不法も茶の湯の中にある」
と悟った園悟墨蹟の文面に籠められていた深い意味こそが重要なのである。要するに珠光が遺言した茶の湯の奥義とは、
ものへの執着からの解放なのである。しかし、利休は物や珠光の嗜好に執着していたようである。

利休のわびは冬から春を想起するところにあるのではない。実際の利休の審美眼は、
春の雪解けに象徴される生命の躍動などというものとは真逆の、黒茶碗の黒、利休鼠のネズミ色など、
墨の濃淡の様な枯れたものに美を見出していた。

紹鴎が禅の実践や和歌を基本に外来文化の和洋化を図ったのに対し、利休・宗二は外来文化を崇拝し、
儒教を基本に漢詩や水墨画を取り入れたのである。

利休は秀吉の茶頭であり、秀吉と利休とは主従の関係にあった。殿中にあって利休が、
秀吉の立場に配慮することなく茶人として茶の湯上の真念を貫くことは、もとより無理なことだったのである。
利休は己の美学を以って茶風を興そうとしていたが、従来、茶の湯で重要な要素は一、目利き・一、
作分(創意工夫)・一、手柄(功績)・一、心の働きなどであったが、利休の心の働きは、機知、
機転の類に基軸を置いていたのである。

「山上宗二記」によれば、
利休は名人なれば、山を谷、西を東と、茶の湯の法を破り、自由せられても、面白し。
平人それを其の侭似せたらば、茶の湯にては在るまじきぞ。とあり、利休が形式を破った茶を好んでいたのは確かなのである。
        
           利休の師 武野紹鴎           
                武野宗延著  武野紹鴎研究所より抜粋

                   

私は、利休百首よりの「降らずとも雨の用意」を茶の湯の心の働きの元としている。前もっての準備、
何かのことがあっても慌てることなく、自分を守ることができれば、相手の身にもなれる優しさが生まれるのではないか?              
わびさびは、道具などには言うにおよばず、仕草や、心の働きの中にも取り入れ、我欲をおさえ、
「禅」の修行までは行かなくても、誰かのために、何のための茶会かを催すことに心がけたい。

茶会の目的 ①感謝へのお招き ②コミュニケーション 
茶の湯の様式 ①濃茶(式的要素で心大らかに)食事(腹8分目)薄茶(身体共に楽しみ遊ぶ)
狙いところ ①茶のわび美を何処で表すか ②形式のオリジナル化 ③創意工夫な作品のお披露目

                梶間 宗葉の茶の湯感







●2人の許状式

2018-09-12 17:31:52 | 茶の湯

6日 震度7での地震。夜中の出来事とはいえ恐かた〜〜〜。
我が家の影響はコケシの損傷ぐらいだが、全道での停電、断水などがあったが、厚真方面の地滑りで家が崩壊し40名以上の死者が出た。
札幌でも清田区で液状化現象による道路の陥没や家の傾き等で、まだ立ち直るには大分時間がかかるだろう。

こんな状態の中、平成30年度 遠州流茶道秋季認定授与式が東京で行われる為、
交通機関にヤキモキしながら2人の受講生とともに無事出発! やはり東京は暑かった。
初日はせっかくの「おのぼりさん」上野鈴本演芸場で昼の部の落語を聞く。満席で色物も面白く、
TVに出ていない人なのに何でこんなに面白いのか?TV局の無難さに頼る怠けさを感じる。

夕飯は以前には歌舞伎などをみたり、「どぜう」など食ったり日本文化丸かじりを体験していたから、
今回の2人は「江戸前天ぷら」を企画し、ネットで知らべて出かけた。
我が家では、目の前で揚げる天ぷらを頂くちゅう高級な外食にはとんと縁がないもんで、
供の2人して若い主人のウンチクに頭を立てに振り振りいただく。写真は喰うのが急がしくてインスタバエ出来ず!
次の日が本番。何故か、ここ何処?ていうか、日本語の聞こえないホテルで朝食を食べ、
タクシーの運ちゃんは、ナビを観ても目的地に迷い、偉く遠回りしてやっと着く。
何と例年より参加者の少ない事!半分位でないの?お茶人工減って来たのを肌で感じるわ!私は少ないほうが好きだけど!
家元の供茶、許状授与、祝杯などを受け、2人は無事に宗名を頂く。
参加人数が少ないため式が早く終わり、飛行機の搭乗を2時間前倒しで帰札。疲れたが、楽しい東京でした。

●武士と茶道

2018-07-12 15:33:36 | 茶の湯
「亭主に隙がなくば、客は茶を楽しめませぬ。」

「そもそも茶の湯はゆとりの道にござりますれば、慌ただしきご勤番の方にこそ親しんで頂かねばなりませぬ。
よって古来武士は戦陣にても茶を点て申しました。常在戦場の武将ゆえ、茶人の隙を忘れては成りませぬ。

謹厳居士等と囁かれているのは、少しも褒められた話ではあるまい。
余裕が無い、隙がない、器が無い、という意味であろう。


浅田次郎「一路」より

●洞爺道場でお茶の特訓

2016-07-19 00:27:40 | 茶の湯
2016/7/16〜17 洞爺庵
9時半、真駒内地下鉄駅に、私が着いた5分前は全員集合していて即シュッパ~~~ツ!
天気も良く四台の車を連ねいざ洞爺へ。
その前に恒例の「きのこ大国」により銘々おにぎりときのこがタップリと入った、いつもと変わらぬ味のみそ汁を堪能。
3連休の割には渋滞も無く快適なドライブ。
洞爺湖町に入り今晩の夕食の弁当を1人1,500円で、夕食後の「飲み会用」としても通用する物として予約。
そのあと明日の「野点」の菓子を購入。この近くには菓子屋が無く種類も少なく、どら焼きにする。
最後に明日の下見に浮見堂まで足を伸ばす。予定の場は蟻が多く、また子供たちが水遊びに夢中になっている場でもあり若干ずらす。

我が家に着き、明日の野点の分はそのままにして今日の徹夜の稽古の「大板」に使用する道具と、各自の寝袋などの荷物を搬入。
即、着替え今回のお稽古の「大板」にかかる。マヅ教本にのっとり、一人が読み、
それに合せてお点前を別な人が行うというやり方で、一つ一つ書かれている事を潰しながら、時間を掛けながら行う。
道新などで時間が限られているのと違い納得いくまで稽古が出来るのは皆も納得いったのではないだろうか?
その後、帛紗さばきなど新人には基礎的なものや経験者は今までの癖がついているので、初心に帰ってのやり方で稽古。
6時から温泉「いこいの森」に行く。思っていたより空いていた。皆初めての所で景色の良さに感動する。
明日の野点の浮見堂が見え、中央に中島、右手に有珠山、温泉街が見える。
今晩の夕食に予約していた弁当を7時に予約していたので、時間に間に合うようにそうそうに着替え出る。
弁当はデカイ包みにすでに包装され待っていた。次は明日の朝食と今晩のお酒を銘々の予算んで購入。
大体お一人千円チョイトで済ます。以前程酒の持ち込みは少なくなっているように思えた。歳かな〜〜〜。
まずは晩飯!大きな容器に数沢山のおかず、めしは別盛り。量としては充分だが全体的に小間切れな感じがするし、
特にこれが旨かったと記憶に残るものはなかった。稽古後の酒ようにオードブルとして残し、9時より第二回の稽古に入る。
茶巾のたたみ方や、柄杓の扱い方などを割稽古に徹する。
初心者、新人の通し稽古が済んだのが夜中の一時半。
疲れた〜〜〜。

今回の「大板」の稽古で思うのは、道具の位置決めに気を使う。我が家の畳はサイズが小さいので、
タッパのある男性は建水に捨てるだけでも大変だわ。
気を取り直して、残したおかずでカンパ〜〜〜イ。話題になったのは病気の話しやら、今後の心葉会の在り方。
そんな中で遠州流に入門する方が生まれる。
3時半、今日の行事は全て終わり皆さんそれぞれ場所を確保して寝袋にくるまう。

私は朝6時半に目覚め外を見ると小雨。皆さんはまだおねんね中。
庭の草が伸びていたので草苅を始め8時頃になるとそろそろ皆さん起き出した。
昨日買い置きした朝食をとり空の状態を見て野点を中止と決める。ただ室内での立礼による稽古はする事になる。
今日から参加する人に野点の中止を知らせるが、一人は着いてしまったので稽古に参加。
反省点としては立礼の天板の幅が少なく道具をおくと点前にゆとりが無く見えるのが難だった。その内一枚板の大きいのを手に入れたいものだ。
水屋と棚までの間で道具をどう扱うかを皆で色々話し合う中でそれなりに手順が出来上がってくるのが、
茶道の面白みとなる経験を持つ事を、皆も思ってくれたのではないだろうか。
私の思っている中に茶道には間違いというものは無いんだ、ただそれが美しいかどうかだけなんだと思う。
2時頃には札幌へ出るようにして片付けに入る。経験者がいるため誰が何をしなければならないか理解しているので、
部屋の掃除までしてくれて私は楽だった。

今回は酒気帯び運転の無いように気をつけ帰路につく。
私も皆さんを見送り、戸締まりをして帰るが、定山渓辺りが渋滞し、眠た〜〜〜〜い。

今回参加出来なかった方も次回には顔を出してみて下さい。いつもの稽古と違う事を味わう事が出来ますよ。





●茶会

2016-06-27 16:33:54 | 茶の湯
今日は、札幌を中心に男性だけで立ち上げた茶道の無茶会に参加した。
無茶会はいろいろな流派が寄り集まって、お道具を中心に寄り集まった会で創立40年を超えている。
最近主催者側の人数も少なくなり、休み気味ではあったが、
裏・表千家だけの男性で「第30回無茶会」として釜を掛けた。
場所は東本願寺別院で9時からの懐紙となり時に最後の席となる。会費は濃茶/薄茶席で2,500円也。
今回は私だけの参加になり、女房に送ってもらい11時頃ナンバー57番で受付。
ホールはお荷物受付と順を待つ方でごった返し。2時間ほど待って濃い茶席へ、部屋には50名程の客で、薄茶は立礼でのお点前。
両亭主側は、経験も浅そうで、手が、アチコッチと無駄無く動いているし、伴頭は片手を付かなければ立てない様で、
袴を良く踏み、背の板がずり落ちてきていた。部屋が広過ぎてよく聞こえんし見えん。私の席は男性私1人。
道具にしても、お金いっぱい持ってお店に行けば手に入るようなのが多く、
茶会の主旨を考えさせられるそんな茶会だった。会場を、お骨の入った白い箱を持ってうろうろは頂けない。