宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

意見のあわない方は、御容赦。

●私の趣味履歴 オーディオ編

2011-06-23 22:53:50 | 好学庵日記
私とオーディオ

趣味の中の「音楽」と言うジャンルは、クラシック、ジャズ、演歌、民謡、ポピュラー音楽、オペラ、他にもいろいろあって幅が広い物だ。それもさらに分けて「聞く方」と歌ったり演奏したり、さらには作詞、作曲など「参加型」の物とに分類される。私の場合は、[audio]すなわち音響または音響再生装置、要するにオーディオ・マニアそのもので、ただ自分の好きな音楽を「ナンデ聴くか?」の中に生で聞くと、レコードやテープで聞くのに別れる。一概に生と言っているライブでさえもマイクや装置を通した演奏であり、どれが本当の「音」なのかが解らん。クラシックなどホールで聞く事は有っても、これまた聞く場所や環境によっても微妙に音は変わる。それならば最高の条件で、最高の楽団が最高の演奏をし、レコードにした物を聞くに限る。
そこに登場してくるのが「音響再生装置」audioなのだ。レコードになるまではそれ相当な装置で、作り上げている事で、私たちはここからが出番なのである。レコードを聞くための装置として、ターンティブル、これは盤をムラ無く安定してまわす事が重点で、次は溝を切られている盤より忠実に拾い上げる入り口となる針と、アームと、カートリッジ。それから音を自由にコントロールするためのアンプ。音を出すための力を作り出すためのパワーアンプ。この二つの装置で大体の音は決められてくる訳だがまだ、音質とは言い切れない。最後に残っている物が音の出口であるスピーカーである。これだけの装置を揃え、コードやジャックに金を使うなど気を使いながら何を求めているかと言うと、生に近い音と思うかもしれないが然に非ず、自分はどんな、どの様な音で聞きたいかをハッキリとイメージし、それに少しでも近づいて行くのがマニアのマニア的処である。このイメージが曖昧だとただ無駄に金が掛かるだけなのだ。自分の好きな音の探し方は、私の場合は演歌歌手のダミ声の森進一を基準にシタモンダ。要は具体的にイメージさせ易い物を見つける事が鍵となる。金のない私としては如何に効率よく揃えるかが問題となる。
スピーカーを買うときは、約1年悩んだもんだ。私はピアノ曲が好きだったので最初のスピーカーはブラウンで聞いていたがこれも悪くはないが、幅と言うか奥行きと言うか深みに掛けているようなので、買い替えを考え、店に1年間は通い試聴したものだ。また店員さんとも知り合い配達に行く時同行し、金持ちのオーディオルームなど拝見させてもらった事も思い出される。そんな過程で絞られたのはスペンドールの商品だった。これを聞いたときはなんと伸びやかで、品のある音だろうと満足した。それから毎週通って試聴している間に、「ん?」何か変な気持ちに襲われた。これは何だと考えた所「飽きた!」のだ。そりゃいつも聞いていたら飽きるわ!とお思いでしょうが、そうではなく女性に例えると、良いとこのお嬢ちゃんで、出来過ぎ、私のような下世話な家庭で育った者にはチト持て余す感じがする様になった。それからなんだかんだで、決めたのがジムランの4030だ!どでかいウーハーに、じゃじゃ馬みたいなスピーカーだったし、私のオーディオ生活の最後まで付き合ってくれた物だった。コイツをどう鳴らすかが課題となる。
それからアンプ探し、以前はラックスを使っていたがパワー不足。パワーは車のエンジンと同じで、40キロで走るには何馬力でも走る事には問題は無い物だが、要は余裕だ!このJBLを鳴らすにはアキューフーズのSシリーズで纏めてみた。それなりの跳ねっ返りであり、自分を主張しているそんな感じを持った物だ。ジャズは最高!クラシックもビオラ、ベースなど聞いたら涙がちょちょ切れる。その他にタンノイのスピーカーにラックスの真空管のアンプでクラシック専門で聞いていたが今思っても私には最高だった感じがする。やはり箱を鳴らし、部屋の空気を振るわせて出る音はやはり違うのだ!
その後、オーディオの興味も冷めてしまった。なんで興味が無くなったかと言えば、デジタル世界に移行した事だ。レコードからCDへと移りSANSUIのデジタルアンプを聞いたとき、私のオーディオマニアは終わった。今まで戦って来た事が無駄みたいに思えたものだった。その後結婚し部屋が狭いので、でかいスピーカーにはご遠慮して頂、ボーズに変えていたが、慣らしの途中で全て処理してしまった。
  次回は写真とカメラ

●私の趣味履歴 ドライブ編2

2011-06-21 21:31:13 | 好学庵日記
私とドライブ

アメリカ、キャンピングカーでの旅が心に一番残っているとしたら2番目には、仕事仲間のカメラマン4~5人(女性は入れない)で、金曜の晩に仕事を終えて出発し、1泊する道内での旅を、冬と夏にそれぞれ行なっていた。良く釣りに出かけていた仲間達なので気心は十分合い(私だけがそう思っていたのかな~)ただ、遊びに出かけるだけでも、楽しい時間は過ごせるのだが、そこはクリエィター同士、其の時々にテーマを決めての遊びだった。
最初のテーマは「野付半島で、白鳥の写真を撮る」だった。まだ日の出る前に現地に着き、車の中で仮眠。日が出始める頃起きたが白鳥は見当たらない、「ナンダー」と思っていたら
なんと海全面白鳥だらけ、白くて見分けがつかなかっただけだった。それから撮影開始、さすがプロ、機材は高級品、三脚を立て望遠でのぞく世界はマッコと絵になるな~。しかし寒い。寒いと言うより痛い。まだ防寒対策が充分でなく(ダウンの物は高価で手が出なかった)5分と外に出ていられなかった。カメラのオイルも凍り付きシャターが下りずらく、懐に機材を入れ温めながらの撮影だった。年を追うごとに防寒対策も整って来たもんだった。
其の他のテーマは「手作り」そり滑りや、オリジナル凧揚げ大会など、仕事が終わってからカメラスタジオで手作りに精を出し完成させ、夜中の出発で網走や稚内に飛んだもんだ。いい大人が子供みたいにハシャギ回る様は地元の子供達もショック!帰りにはプレゼントし、喜ばれた。路上脇に車を止め朝飯を車中で、輪になって鍋をしていて学校行きの子供達がビックリしていた事も思い出される。車はハイエースで冬は寒くて体の真から冷え、常に寒さとの戦いだった。対策としてはコンパネを床から周りへと巡らし、大分解消はした。阿寒町ではマイナス30度以上を体験し、朝出発しようとしたら、前回パンク修理した所の糊が変質しタイヤ2本がパンクしていた。また、あまり客の来ない旅館で晩飯の刺し身に当たり、トイレにしがみついて水道も凍る夜を明かした仲間の話は今でも新鮮。秘湯巡りでは、本当に着くのだろうか心配シドウシのドライブで、着いてみれば蛇さんが湯に浸かっていたなど、寒さや苦しく大変な物ばかりでなく楽しい企画もある。モデルを連れての撮影会、素晴らしい景色と美女の取り合わせ、思い出に残る旅だった。
それから、洞爺湖畔でイグールで一泊なんて考え現地に行き、雪を固めてブロック上にするがこれが、水を掛けても固まらず最後はかまくらに変更する。機密が良く人数が多いため酸欠になりかけ窒息死しかねなかった。「あぶね~」ホースを外に出し、片方を口に食わえて寝るか!冗談でなく思った。
大きな工作として手作りのインディアンカヌーを自宅の車庫で2ヶ月も掛かって作り上げ、支笏湖や、洞爺湖、千歳川や釧路川の川下りをしたもんだ。この話はいずれまたの機会に・・・。
ところで話は変わるが車での思い出に、感心したことがある。ロケバスで旭川空港に東京よりのモデルを迎えに行った時、札幌からの出発で時間的にヤバイ感があり、ドライバーは近道してもいいかと許可を求めて来たのでOKを出したら、山道に反れ雪道を逆ハン切ってドリフト走法。バスの逆ハン!これには私も驚いた。空港に着いたら約束の時間より30秒の遅れ、ドライバーはラリーの体験者だった。まだまだ書きたい事は山ほどあるが、趣味の履歴の一幕として思い出されるドライブである。
この企画も消滅する時が来た。原因は、創造する遊びの無い自然破壊のゴルフだった。
  次回はオーディオ

●私の趣味履歴 ドライブ編

2011-06-19 23:42:06 | 好学庵日記
私とドライブ
40歳中頃に仲間7人と出かけたアメリカ七日間キャンピングカーの旅が一番心に残る。25年たった今でも、いい爺ちゃん達が集い、思い出話に夢中になっている。仲間の内訳は、会社の同僚1名。彼とはデザイナーとコピーライターのコンビで仕事の関係上泊まり込みの取材が多く、何かと気の合う間柄だった。後は協力会社の面々で、カメラマン2名、デザイナー2名、それに道中の飯係に軽食屋のオーナー兼デザイナーを巻き込んでの計7人。長期休暇を取る事は正月位しか無いので家族を置いて意気揚々と旅立ったもんだ。プランを練ったのは数年間シスコで働いていた者が綿密に練り上げた物で、時間、ルートはラリーの様に分厚いページになっていた。我々はそれに準じて行動するのみ。
観光バス位の大きなキャンピングカーを借り、全員国際免許を登録し交互に運転、ひたすら走る計画だった。シスコについたら道中使用の買い物を済ませ即出発!買い物のメインは肉の固まりと米と炊飯器、これさえあれば飢え死にする心配無し。シスコを北上し州境のスキー場で滑るがスケールの大きさとリフトが木の上を通る程高く、いつもは奥さんにシガミツイテいる高所に弱い私は大変な思いをしたもんだ。またリフト待ちの者に対し楽しくあきのこないパフォーマンスには関心したし、施設のデザインの良さには驚かされたもんだ。日本は実質的機能を大事にしている余裕の無さ、硬さを知らされた。ソルトレイクを南下し西部劇でおなじみの風景を見ながら一向に近づく事の無い岩や、赤い土や、先住民の細工物のデザインには関心シドウシ、今でもその時買ったベルトを使っている。グランドキャニオンに立ち寄り、「なんだこりゃ~」と仲間の一声で象徴されるし、私は神の存在を感じた。ただ若いモンには見せたくない思いをしたもんだ。人間の存在の小ささ、コツコツやっても大した事無いなど、努力の無駄さなど感じられては大変と思ったのは私だけか?フーバーダムを通過し夜のラスベガスに入る。真っ暗な中にブルーのライトが道の両側に滑走路の様身見えた時は「おおおおおー]と思わず声を発し、寝ていた者も叩き起こされフロントガラスに釘付け。損も儲けも無く皆チョンチョンでべガスを後にし、サン・ディエゴに寄り、ちょこっとメキシコに入り雰囲気を味わう。ここには、満足な車は無いのか?仲間も地元の人に溶け込んで見失う程、そういえば私も道を聞かれた事があった。31日にはディズニーランドに入りカウントダウンを体感する。この時新年を祝い回りの者でハグし、キスをする言われていたので期待してはいたんだが、「クソッ、何も無いじゃねえかー」。後は海岸ベリを北上しカーメル(映画俳優が市長になっているとか、いたとか)に立ち寄り、センスのいい金があれば沢山土産も買ったと思う品が目白押し、最後に同行した仲間の協会での結婚式に全員参列し、私は花嫁の父親役をはたし、緊張のあまり右手と右足が同時に前に出て進みにくかった事が苦い思い出。が・・・最近別れたらしいと風の便りで聞いた。
大陸をほんの一かじりをした私たちだったが、気持ちに余裕ができ、大らかな気持ちになって少々の事は「まあいいか」なんて気取っていた者が成田に着いたとたんに癇癪起こしていたが、大らかな気持ちもあまり長持ちしないもんだ「日本人だな~」と再確認
  次回残りのドライブ

●私の趣味履歴 車編

2011-06-17 01:03:07 | 好学庵日記
私とクルマ 1

20代から60歳まで、ローンの切れる時は無かった程クルマには金をかけて来た。車種はスバル360(2台)、ホンダN360、ブルーバード、コロナ、ファミリアロータリー、カリーナ、トヨタランクルロング、スバルステーションワゴン、スバル4WD、プジョー450、アルファロメオ455、アゥディ18Tクワトロ、パジェロミニ(2台)マツダデミオ
以上14種16台が私のクルマ遍歴である。一番短く乗ったクルマは2ヶ月で変えた。それぞれに思い出はあるがスバル360は最初のクルマでもあるし思い入れは強い。てんとう虫の愛称で空冷のため冬は寒く毛布を膝に掛けて乗ったものだ。ヒューズが飛んでも、そこら編を探しまわって針金を拾って付け換え、無事に帰って来たもんだ。90歳で無くなった母の言葉で「お兄ちゃんの車は後ろから見るとピョンピョン飛び上がっているみたいだ」と言っていたが、スプリングが柔くカーブが恐かったのを思い出す。ブルーバードはダルマと呼ばれた日産の名車で、型は古かったが、走るとアナログの時計の音が聞こえる程静かな走りをした。コロナは癖の無い車で乗り易いが非常に丈夫だった。半年雪に覆われていた物を前の方をざっと雪掻きしエンジンかけ、後ろに車の形を残しドゥーとそのまま走り出す。ファミリアロータリーは、気がついたら100キロを裕に超えていたと言う感じで、走りについては何ら問題は無かったが、燃費の悪さと、故障の多さではピカイチで、交差点でのエンストにはほとほと参る。修理工場に入っている方が長かったのではないかと思う程。カリーナはCMのキャチフレーズではないが本当に「足の良いやつ」で、昔、零戦の搭乗員の言葉で機と機銃が自分の額の部分に一致すると言っていたが、本当に車と体が同体の感じをカーブでは味わえた。ランクルは4,200㏄でパワーバツグン。良く牽引にかり出され、お礼にスイカをもらった。ただ冬の釣りに行って荷台で寝ると鉄板冷えで寝られたもんでなかった。120キロ出すと回転の音が変わるは、箱形のため羽幌付近の冬道は横風でスーと対向車線にはみ出す始末。スバルステーションワゴンはツートンカラーで、夕日の白樺並木の草原によく似合う車だった。この頃からコンピュータ制御が着く様になり道路の凹みと車の下がりの体に感じる違いが気になり、走る楽しみが薄れて来た事を思い出す。
このゴロから修理と言うより、取り替えに変更し、職人が整備工になり「何か違うんじゃない」と言う気が拭えない。
プジョーは走り易くコーナリングでは自分の腕が上がったんじゃないかと思う程。ただ電気系統の故障は多かった。ロメオは走りが楽しく長距離も苦にならなかったが、シフト切り替えのクラッチの浅さと重さには応えたが、差し引き、あまりある物だった。クワトロはさすがドイツの名車、手放してから感じる高級感と、安定感。自分で運転を楽しむならベンツ以上。今は奥さんがデミオ、私はパジェロミニに乗っている。ミニは名車である。ターボ付きの走りは軽なのにリッター8~9キロの燃費の悪さだが、今までの車に引けを取らない良い走りで、充分に私を満足させてくれている。友の中にも若い時は走り屋で、ぶぴぶぴ言わせていた者が軽に乗り、「やっぱ車は軽だべやー」と私と共にウソブイている。
  次回はドライブ・他の話

●私の趣味履歴 釣り編

2011-06-16 11:35:45 | 好学庵日記
私と釣り
人生いろいろ、島倉千代子の歌じゃないけれど趣味もいろいろ。只今70歳に手がかかる時だが、二十歳位からの趣味の遍歴を纏めてみよう。仕事は自分也に頑張るのは当たり前、それに肉付けしてより大きく膨らませ、楽しんで生きる事が趣味の役割と思う。何をやっても無駄と言う事は無い、何かしら己の肉や血になり栄養となり、仕事へ反影されてくるもんだ。

1、釣り・・・主に海の投げ釣り、北海道中の海に出かけ、カレイ、ほっけ、アブラコ、氷下魚、樺太ます等を釣り歩き、川は厳冬の稚内でのイトウ釣りが記憶に残る。道糸に凍り付いた玉を口で溶かしながらの苦労も空しく「ぼうず」だった。知床の川や道南の川は山親父が恐いし、移動が足を痛めている私にはキツ過ぎた。また網走湖でのワカサギ釣りで、薄い氷を気にしながら釣り上げたワカサギを宿に持ち帰えり、からあげにして仲間と食った味の思い出は、まだ口の中に残っている。こんな経験の中から感じた事は、釣りは短気な者に合うが、一緒に行って短気の中の短気者とは同行したくないもんだ。数を上げる事を目的とした釣り人とは釣りに関しては”あわん” 竿を投げる前に、まず山を見る。そして海の地形を想像し、静かにのんびりと竿先を見て待つ
「待つ事を体で知る事を思い知らされた」これが私の釣りだった。だから、竿も2本以上立てた事は無く50年以上修理しながらの竿を持っている。今にして思う事はもう少し、釣ることの戦術・戦略があってもよかったかな~とは思う。書いているうちにまた釣りに行きたくなって来た。
  次回はクルマと私